up date | 10 February, 2010 |
南シベリア古代文明の中心ハカシア・ミヌシンスク盆地 (ハカシア古代史 略年表) 2009年6月22日から7月14日 |
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Древная культура в Хакасско-Минусинской котловине ( 22.06.2009-14.07.2009 |
ハカシア・ミヌシンスク盆地 古代史略年表 |
旧石器時代 中期 (10万年から3.5万年前) |
・ボグラット地区ドゥヴグラスカ洞窟…1970年代発掘調査、幾層もの文化遺跡地層があるが下の層は4万年から4万5千年前のムスティエ文化<ネアンデルタール人が住んでいたレ・ムスティエ洞窟(フランス)から> |
旧石器時代 後期(3.5万年前から1万年前) |
・白イユース川左岸のマーラヤ・シーヤ遺跡…1974年発見。3万年から3万5千年前。2千平方メートル以上にわたって集落。50平米の広さの半地下の円形の住居跡や囲炉用の穴のほか寝台用の突起もある。住民は、仮住まいでなくここに何十年、もしかして何百年と定住していた。大量の石器の他、鹿の角でできた槍の先、トナカイ、羊、ヤギ、カモシカ、バイソン、熊、マーモット、ウサギの他、マンモス、毛サイ(1万年前に絶滅)の骨などが発掘された。 ・エニセイ川左岸のマイナ遺跡…1万6千年前の粘土の像(高さ96mm)などが発掘される。 ・サヤン山麓を含むエニセイ中流やアバカン川流域、トゥバ川流域、では、1万年から2万年前の氷河期時代の後期旧石器時代人生活跡が100箇所以上発見されている。住居は円錐形で穴に石で囲った炉もあった。トナカイなどを追って狩りをしていた小さな家族集団らしい。 |
中石器時代 (1万年前から8000年前) 新石器時代 (紀元前5千年紀、6千年紀から) |
・ハカシア盆地に残っているアグラフティー山やエニセイ川の川岸、その支流に多くある最も古い岩画はこの時代。 ・エニセイ右岸ウニュク村、左岸のカピョニ村付近など(今はクラスノヤルスク・ダム水面下)で、住居跡と土器類などが発見されている。 ・埋葬地で有名なのはバイカロヴォイ村やバテニ村(ダムの水面下)付近で、古モンゴロイド系の男性や多くの副葬品が発見された。 |
アファナーシエヴォ文化 (銅石併用時代)紀元前3千年紀後半〜紀元前2千年紀初め(2500−2000) |
・エニセイ川左岸アファナーシエヴォ山(ハカシア共和国ボグラッド区、ダム水面下のバテニ村付近)を1920-1932年考古学者S.A.テプロウーソフが発掘調査。 ・コーカソイド系。銅と農耕文化、牛、羊、馬の家畜を持って渡来した。東ヨーロッパのヤムナヤ文化と共通点が多い。 ・以前はこの地になかった墳墓(クルガン)を営むという伝統をもたらす。 ・多くは直径10m以内、高さ1m以内の円形に石で囲ったクルガン。土器の副葬品 |
オクネフ文化 (紀元前2千年紀前半〜紀元前2千年紀半ば(20000−1500) |
・ウイバット川(アバカン川左岸支流)オクネフ村で、1960年アファナーシエヴォ文化と異なる遺跡の発見から、アンドロノヴォ文化の前に位置づけられる。 ・クルガンは前時代のように石を置くものではなく石板を横にして地面に埋めた方形のもので四隅に高い石碑が立つ。中央に1つの墓、周囲に何個かの墓。副装品に青銅製ナイフ、石のやじり、石や青銅、骨、角せいの装飾品やお守り。 ・丘、小山の上の石の要塞(スベ,モンゴル語)。石の壁の高さは2.5m。ハカシアに多くあるスベのうちで最も古いものはこの時代。 ・彫刻のある石柱(『サラーラ岩娘』、『ウルック・フルトゥヤッフ・タス(おきな石のおばあさん)』や、不思議な動物を打刻した岩画、香炉を打刻した立石。 ・トゥイム・リング(直径80mの円形で一定の距離をおいて石碑が建てられている) |
アンドロノヴォ文化 (紀元前2000年紀第3四半期から) |
・クラスノヤルスク地方アーチンスク地区アンドロノヴォ村の遺跡から名付けられる。 ・東ヨーロッパからコーカソイド系が渡来した。西へはスルブナヤ文化(ルーマニアからトゥルクメニスタン)、東(カザフスタン、中央アジア、西シベリア)へはアンドロノヴォ文化。 ・担い手はコーカソイド系、アファナーシエヴォ人やヤムナヤ人により似ている ・ハカシアまでは、アンドロノヴォ人の膨張は弱い形で現れ、北方に住んだ。ここで、前時代のオクネフ人や次時代のカラスク人と共存した ・クルガンは縦に置いた石でできている。方形または円形。主なクルガンに付属して回りに作られた小さなクルガン。 ・副葬品は土器や小型装飾品が主。土器の模様はひし形、鍵十字。 |
カラスク文化 (紀元前3千年紀末から1千年紀初め) |
・ハカシア共和国ボグラット地区エニセイ川左岸支流カラスク川の遺跡から名づけられた。 ・青銅器の繁栄。高い鋳造技術。担い手はモンゴロイド系。ハカシア盆地の人口増加。 ・方形のクルガン。主なクルガンに付属した小さな土盛りクルガンも多い。多くは、クルガン中央に1つの墓。台形の塚穴。肉の副葬品の他、玉の首飾り、銅の輪、貝、くつわ、幌馬車などが発見。 |
タガール文化 (紀元前8世紀から紀元前2世紀 初期鉄器時代、スキタイ時代) |
・ミヌシンスク市、エニセイ川とエニセイ川右分流との間にできた中州タガール島の遺跡の発掘調査から命名。 ・ドナウ川からザバイカルまで、馬具、武器、芸術(動物意匠など)が共通するシベリア・スキタイ文化が広まった。しかし、たとえば、タガール人と『スキタイ』人は異なる民族で、『スキタイ』人はイラン語、タガール人は、おそらくサモエード語を話した。 ・タガール人のクルガンも何千とあるが、それまでの時代と異なって、巨大な石を使っているクルガンが多い。サルビック大クルガンの石は30-40トンもする。また、サフローノフやカザノフカなどのクルガンは縦長の石板で、上が斜めになっていたりする。現在ハカシア盆地で見られるクルガンの90%はこの時代のもの。 ・この時代の草原地帯では初期鉄器文化が栄えたのだが、タガール人の前期クルガンの副葬品は青銅製のみ。後期のクルガンになってやっと鉄製品が現れる。 ・中国の歴史書で言及されている丁零(ディンリン)か。紀元前201年匈奴がディンリン国を破る |
匈奴帝国内のハカシア盆地、タガールからタシュティック文化へのテシ移行期文化 (紀元前2世紀から紀元後1世紀) |
・エニセイ右岸トゥバ川のテシ村の遺跡から命名。タガール文化晩期テシ時代。2つの文化伝統(土着タガール人とチュルク系渡来)が合体して後のタシュティック文化になる。 ・匈奴がモンゴル、ザバイカル、サヤン、アルタイ、東トルキスタンを征服。 ・1940年から発掘されたアバカン南8キロのチャパエフ村の中国風建物は、1500平米の粘土の壁で囲まれた瓦屋根の宮殿、全ての瓦には漢字で『千年の秋、万年の喜び』と書かれている。匈奴の捕虜となり、後に地方代官になった漢王朝の季陵(リー・リン、?-74BC)の屋敷か |
タシュティック文化 (紀元後1世紀から5世紀) |
・ハカシア共和国バグラット地区エニセイ川左岸支流タシュティック川の遺跡から命名。 ・特に有名なのは、エニセイ右岸のアグラハティ遺跡やテプセイ遺跡。多数のミイラが発見され、石膏生の葬儀用の仮面が付けられていた。 .男性は火葬され、土器や皮袋に遺骨が入れられることが多い。 ・チュルク語系民族キルギスがハカシア盆地に広まる |
中世以降のハカシア盆地 |
中世キルギス(エニセイ・キルギス国) (6世紀から1207年まで) |
・エニセイ・キルギスは中世文化圏の中で最も北に位置する ・チャータース(石の戦士)と呼ばれるクルガンがこの時代のもの(ウイバット・チャータース、カピョニ・チャータースなど)、副葬品にろくろを使った器 ・スレーク岩画 ・トゥタッチコフ遺跡(生レンガで建てられたマニ教寺院跡?) ・7世紀、オルホン・エニセイ文字(モンゴル時代に消滅、19世紀オランダ人トムセンによって解読される) ・ウイグル可汗国を倒して、840-924年キルギス・可汗国(東トルキスタンからセレンガ川、満州興安嶺の契丹の地を含む) |
モンゴル帝国内のハカシア (1207-1368年) |
モンゴル帝国崩壊後(ホンゴラヤ連邦) (1399-1727年) |
ハカシア盆地にはエニセイ・キルギスの4つの侯国 |
ロシア帝国内のハカシア (1727-1917年) |
・1727年清国とロシア帝国の間にサヤン山脈を国境とする条約が締結。サヤン山脈の北をロシア帝国に、南を清朝に |
ソ連時代のハカシア (1917-1991年) |
ハカシア共和国 (1991− |
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