クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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home up date March 04, 2025   (校正:2025年3月13日)
    41 - (2)   2024年経済制裁下プーチンのロシア
               モスクワ、チェチェン、ペテルブルク (2)
    
                                 2024年10月12日から11月3日(のうちの10月16日から17日)

Путешествие в России, Москве, Чечене и Пётре 2024 года (12.10.2024−3.11.2024)

       モスクワ
 1 10/12-
10/15 
 計画、費用 北京大興国際空港  モスクワ、シェレメチエヴォ空港  マーディナ宅  モスクワのショッピングセンター   トレチャコフ美術館 
 2  10/16-
10/17
 新興私立学校  拡張した新興モスクワ市にあるヤーナ宅    電飾のモスクワ夜景  モスクワ大聖堂モスク
     チェチェン
 3 10/18-
10/19 
 グローズヌィ 山岳イトゥム・カリ村   新興ヴェドゥチ・リゾート   イトゥム・カリ博物館再訪   ミラーナとの会話
 4 10/20-
10/22
 
 預言者イエスのモスク 英国宮殿   アルグン市とシャリ市のモスク ヴェデノ村   カゼノイ・アム湖 グローズヌィ・シティ  ズーラ宅 
 5 10/23-
10-24
 
 グルジアとの国境  トルストイ・ユルタ村  マーディナの悩み  アフマト博物館  ガランチョージ区
      サンクト・ペテルブルク
 6 10/25-
10/28 
ペトログラード島 パヴロフ宮殿   薬局  ショッピングセンター『ギャラリー』  ネフスキー大通 カーチャ宅 
 7 10/28-
10/31 
 市内バスツアー サンクト・ペテルブルク大聖堂モスク    旧マチルダ宅 マリインスキ−2劇場   映画『モンテクリスト伯』  息子プラトン
 8 11/01-
11/03
 
 仏教寺院 ゼレノゴルスク市   セストロリツケ市  クロンシュタット市 『ナヴァリヌィ』のシール   モスクワ  上海乗り換え
2024年 旅行前のインターネットなどによる報道では『国際的な制裁措置にかかわらず、ロシア国内の経済は比較的堅調だ。報道によるとモスクワのショッピングモールは活気にあふれ、高級車が首都の大通りを埋め尽くしていると伝えている。国際通貨基金(IMF)は、2024年のロシアの経済成長率予測を3.6%に引き上げており、これは米国や欧州を上回る水準だ』とあった。モスクワに関しては、私がこの旅行で見た限りでは本当だった。

 新興の私立学校
 
 途中の道の掲示板には『ロシアの誇り』とある
 私立『スマート・スクール』
 スクールの前庭、ここを撮ってほしいと言われた
 ちょっとだけ漢字を教えた初級クラス
 歴史の授業では第2次世界大戦のクルスク戦
(ソ連軍がドイツ軍に勝利)について教えていた
 歴史の授業のあった年長クラス
職員室のようなところに案内された 
 10月16日(水) モスクワ・グループのリーダーのヤーナはモスクワで会おうと言っていた。私は18日にはグローズヌィに立つが、それまでのモスクワの住所はここだと知らせておいたのだ。この日、11時過ぎに私を迎えに行くとのことだった。マーディナの手を煩わせることなく、送り迎えされて数時間私だけが留守になるだけなので、事前にマーディナに私の予定を伝えただけだった。しかしこれは、本当は客として滞在しているのに、主人に礼儀を欠いたことだったかも知れない。後のことになるが、マーディナから「ヤーナは私の気に入らない。あなたを彼女の手に委ねなければ良かった」と言われた。それは、夕方私を送ってきたヤーナが(マーディナが招かなかったはずはなかろうが)マンションに上がって話し込んだ後で言ったことだ。
 ヤーナは事前の約束どおり、ナビで調べて、マンションまで来た。住所はわかっても、このタワマン敷地内のどこに車を入れればいいかわからないだろうと、アーダムが迎えに行った。
 12時半には私はヤーナ車でモスクワの町を走っていた。新しいアスファルト道路で広く、走りは快適だった。。兵士募集のポスターがあったら走りながらでも撮そうと構えていたが、このモスクワ西部の大通りには見かけなかった。それもそのはず、モスクワの広い道路には、兵士募集には縁のないピカピカに洗車された高級車が走っているのだから。

 ソルンツェヴォ地区 район Солнцево の方向に走ったらしい。マーディナ宅はモスクワ市の北西、こちらはモスクワの南西でかつての別荘地(ロシアで別荘ダーチャとは個人用畑地)だった。今は新モスクワと言われている。
 2012年、ほぼモスクワ環状道路内にあった旧モスクワ市が環状道路外にも拡大された。それはモスクワ南西の新2地区だ。モスクワの領土を拡大するための最大のプロジェクトの一環としてモスクワに併合され、モスクワ市の2.4倍にもなった。併合された地区をニューモスクワ、またはビッグモスクワと呼ぶ。モスクワ市はモスクワ州のいくつかの自治体(市)に囲まれているが、南西の田園地区がモスクワ州の一部からモスクワ市に加わったことで、面積が2. 4倍にもなったのだ。地区名のソルンツェヴォ(陽だまりの、太陽の)という名も田舎っぽい。

 だから、到着したのは林に囲まれたスマート・スクールという私立の学校だった。貧富の差が大きくなり特に首都モスクワでは、富裕層も多く現われた。地方都市でも学費の高い私立の学校が増えている。この『スマート学校』も、その一つだ。玄関前の駐車場には安くはなさそうな車が止まっている。生徒を迎えに来る保護者の車か、職員の車か。校舎は公立学校の建て方と違って別荘風で、趣がある。校舎として建てられたのではないかも知れない。中に入ってみても、公立学校とも雰囲気が違う。
 教室では子供達と写真を撮った。日本のこと、漢字のこと何か教えてほしいと言われたので、いつもこんな時やるように象形文字の山や木のできかたを黒板(白いボード)に書いて、ちょっとだけよけいな授業をやった。高学年の現代ロシア史の独ソ戦(第2次大戦)の『クルスク反撃』の授業も見た。食堂では、生徒達たちのいない時間帯だったのかお昼をごちそうになった。ここの食堂は、野菜食やアレルギー食などに対応したメニューもあるそうだ。
 職員室のようなへやに案内されてお茶を飲み、この学校のCмарт Cкулと言うレゴを手に持った職員さん達とまた写真を撮り、プレゼントにチョコレートや最近のモスクワ写真集、学校宣伝グッズなどどっさいもらった。

 帰国後、このスマート・スクールを検索してみると、創立2016年で学校22校と、学校に付属して幼稚園9園がある私立教育機関網で、全部で1200人余の児童生徒が学んでいる。教職員数は300人余とあった。22の学校施設の中で、私が訪れたニュー・モスクワのスマート・スクールが最も大規模で、3歳の幼稚園児から、1年生から11年生まで学べる。学費は年間950 000ルーブル(11月29日現在で132万円、日本の文系私立大学と比べてどうだろう)。
 拡張したモスクワ市(ニューモスクワ)にある新興住宅地のヤーナ宅
 
ヤーナ宅 奥が夫さんの仕事部屋 
 
 ヤーナの仕事部屋
 
 1階で、ヤーナのママと
 2時半ごろ学校を去って、近くにあるというヤーナ宅に車で行った。10月8日モスクワ・グループが金沢観光の時、彼らの希望で、『普通の日本人の家』(あまり普通でもないが)という私の家を披露した。年金だけ生活者だから私は社会層としては『中の下』、または『下の上』であると、おそらく『中の上』であるモスクワグループ員に説明しながら案内したものだ(案内するほど広くない)。だから、彼女は個人的に私に自分の『中の上』の新築の家を見せたかったのかも知れない。私は喜んで賛成。彼女の母も私に会いたがっているという。

 ヤーナのニュー・モスクワ地区という郊外にある職場の近くに(最近引っ越してきたという)自宅は、新たに宅地となった場所に整然と建てられた独立4階建ての家だ。4階建てと言っても各階には1部屋半しかない。1階は足の悪い母親とリビング・ダイニング・キッチン、2階以上が、夫婦や娘の寝室や仕事部屋だ。息子もいたが、彼は戦争を非常に嫌って、つまり愛国心に燃えていたわけではないので、動員はされないだろうという専門職に着いてはいたが、東ヨーロッパに脱出したそうだ。3階に彼のかつての部屋もあった。4階は階段というよりはしごを上った屋根裏になる。たいていの家ではここは無秩序な物置となっているのか。だが私はこんな最上階が好きだ。
 部屋が階段でつながっているのでは足の悪いおばあちゃんにとって不便だろうが、私の年齢(私の体重)までは、住みやすいかもしれない。この家に入れた家具類は使いやすそうで、配置も良い。ちょうど夫さんが自分の部屋で仕事をしていた。

 ヤーナに、日本へ送る3枚の絵はがきをポストに入れてくれるよう頼んだ。絵はがきには日本の住所も書いたが、赤ベンで『アヴィアАвиа・航空便』で、と書けなかった。マーディナ宅には、赤ポールペンも赤鉛筆もない、文房具は置いてないと、言われたので、ヤーナに頼んだのだ、学校関係だから赤ペンぐらいはあるだろうと、日本風に推測したのだ。しかし、それら絵はがきは日本に航空便としては届かなかった。40日後に届いたはがきには航空便とは書いてなかった。航空便用の切手を貼ったと、ヤーナは後で書いてきたが、赤ペンはなかった。スィクティフカル市から去年差し出した絵はがきには自分で赤ペンで『アヴィア』と書き、自分で郵便局へ持って言ったので1週間で届いたものだ。

 5時ごろ、ヤーナ宅を出て、マーディナのタワマンまで送ってもらった。私はまだ入り方がわからなかったので、マーディナにヤーナの車まで迎えに来てもらった。マーディナに招待されたのか、その時ヤーナは私達と一緒にマンションまで上がってきた。意外なことに、ヤーナは長居した。マーディナと話して何だか意気投合したようだった。ヤーナは私から聞いていたお金持ちのチェチェン人に興味があったのかも知れない。
 今の時間はモスクワではラッシュだから、少し時間をずらして帰宅するからと、ヤーナはアーダムとも交えて長く話し込んでいた。それで、後でマーディナからヤーナは気に入らないと聞かされて、意外だったのだ。客人の私を未知の人ヤーナに託したことを後悔していると言う。マーディナは、ヤーナは外部の人だからと、会うときはスカーフで頭部を隠している。私やアーダムだけの時はスリップ姿だ。
 ヤーナは、モスクワの夜景は世界一だから是非見たらいいと勧めて帰って行った。
 電飾のモスクワ夜景
赤の広場近くの歩道橋 
 赤の広場近くの歩道橋、モスクワ川
 
 赤の広場近くの横町
 
パイプをくわえたスターリン 
  ラッシュも過ぎたらしい8時ごろアーダムの車で、モスクワ中心地、つまり、クレムリンの方へ行った。赤の広場は大きく柵がしてあって入れなかった。アーダムによると近々催し物があるからかも知れないとか。赤の広場以外の中心部一帯は、見事なイルミネーション電飾だった。すべての建物の輪郭や窓枠が光っていて、まるで光で描いたおとぎの国の家のようだった。モスクワ川には見晴台を兼ねた歩道橋も架かっていた。そこから見る遠くの尖塔のある建物も青と白の照明で近景の光の家々を目立たせていた。川向こうには白いロシア正教の壁と金色の丸屋根が見える。これらすべてロシアの繁栄を証明しているようだった。日本のイルミネーション(ルミナリエ)と違う点は、入場チケット不要、期間限定なし、時間限定もないことだ。いつでも一晩中眺めていられる。(『モスクワ、イルミネーション』と検索すると12月1日からはお正月の特別イルミネーションを見ることができるそうだ。)

 赤の広場近くの横町では上空から電飾が下がっていて、空は真っ暗なのに道路は昼間のように明るい。有名な歩道だ。ここにスターリンに扮した男性が2人いた。一緒に写真を撮ることになって、『日本にご挨拶を、日本万歳』とか言って私と握手しているビデオをアーダムが撮ってくれた。一人宛1000ルーブルのモデル料がかかると知っていたら、私は彼らと座らなかったのに。それは後で知ったのだ。マーディナが払っていた。(ちなみに6年ほど前になるがサンクト・ペテルブルクのエルミタージュ前の宮廷広場でピョートル大帝に扮したモデルと写真を撮ったときは200ルーブルだったので、そのくらいかと、私は思ったのだ。後のことになるが、今回またサンクト・ペテルブルクの同じ場所でエカチェリーナ女帝に扮するモデルから500ドルと声を掛けられた。モスクワより安いが、スターリンのモデル料に腹を立てていた私が無視して通り過ぎると300ルーブルと言われた。後述)

 10時過ぎ、広場近くにあるエレベーターで、先ほど止めた駐車場に降りた。昨日のトレチャコフ・ギャラリーでは路上駐車の場所を探さなくてはならなかったが、クレムリンと赤の広場と見晴台付近には有料地下駐車場がある。(1時間500ルーブル)
 クレムリンから西に4キロほどに『モスクワ・シティ』がある。1990年代末から企画されていて、今では300mを越えるオフィス・ビルなどがいくつも建っている。エヴォリューション・タワーなどというねじれた建物も見事に電飾されて、旅行者の目を引く。モスクワ・シティはモスクワ川岸にある。川岸通も電飾に輝き、夜のモスクワ川クルーズ船も運行している。
 モスクワの夜は、さすが寒い。この日、私は鼻風邪を引いたらしい。帰国後になっても治らなかった。
 
 赤の広場駐車場へのエレベーター内の鏡

モスクワ・シティ↓

  モスクワ大聖堂モスク
  10月17日(木)
 
 アーダムとアディーリ
 5,200,000ルーブリの募集電光掲示板
 モスクワ大聖堂モスク
 女性用階上席から大広間を見る
特別軍事作戦勝利マーク 
 
モスクワ・メモリアル・モスク 
兵士募集5,200,000ルーブルの掲示版が見える 
  この日の朝(9時45分)撮った写真には、アーダムがアディーリに離乳食を食べさせているところが映っている。テーブルにはゆで卵と綺麗に切ったハムとチーズがお皿に入れて並んでいる。ハムは豚肉を使わない七面鳥の肉からできているそうだ。
 モスクワに来てから、暇なときは、私の部屋にもある大型テレビで『オネーギン、2023年版』を見ていた。日本ではディスクは売ってないし、YouTubeでは予告編しか見られない。しかし、ここでは日本語字幕こそはないがビデオが放映されている。マーディナによれば、去年公開の映画だからディスクは売っているだろうとのこと。店になくても、取り寄せができるという(後述)。

 この日は、アーダムと二人、モスクワのイスラーム寺院を見に行くことにした。2017年夏に、パヴレンコさんПавленко さんの妻でバシュコルトスタン出身のヤミーリャЯмиляさんといったことがある(URL)。モスクワ・シティのような、発展途上国の大都市に建ち並んでいるような高層建築群を見るより、もう一度モスク(イスラーム礼拝場)を見た方がいいと思ったのだ。
 途中の道には(つまりモスク近くの道には)兵士募集の大きな電光掲示板があった(募集看板は高級住宅地にはなくても、中央アジア出身者が集まりそうなイスラーム礼拝場近くにはあるのか)。5,200,000ルーブル以上を契約時に支払うとあった。(10月中旬のレートでは800万円)。これは、モスクワは平均給与が高いからで、サンクト・ペテルブルクになるとぐっと低くなる(後述)。クルスクやブリャンスクのようなウクライナに接している州では高いそうだ。地方の州や(自治)共和国ではもっと安いだろう。死亡の場合も相応の金額が遺族に支払われるとか。

 モスクワでモスクと言えば、市の中心にあるモスクワ大聖堂モスクМосковская соборная мечетьだろう。ロシア正教の総本山、救世主ハリストフ大聖堂を再建した後、プーチンは人口でロシア第2の信者を持つイスラーム礼拝堂も2015年に再建して、国民の心をつかんだのだとか(モスクワ大聖堂モスクの創立は1904年。スターリン時代閉鎖はされなかった数少ない寺院)。
 青色の尖塔と窓、金色のドームの美しい外観のモスクに着いた。モスク内部の幾何学模様の美しさは、ロシア正教の聖人の肖像画がびっしり並ぶ内部より、私はずっと好きだ。アーダムは男性なので入口は別だ。6階建てで、3階が礼拝場、女性用は最上階とウィキペディアにある。1万人が同時に祈ることができ、ロシアで4番目に大きく、2階はイスラーム博物館も兼ねているそうだ。また金箔で覆われたメインドームの高さは46メートル、直径は27メートルで、2つの主要なミナレットの高さは78メートルとウィキペディアにはる。
 4階か5階でアーダムと会い、写真を撮ってもらった。床はぎっしり青色の絨毯が敷いてある。絨毯には椅子を並べたような模様が織り込んであり、大勢の人が整然と祈ることができる。
 1階には「清め室」もある。つまりトイレもある。水洗ではあるが便座はなく、横に洗浄用のホースがある。便座なしの、しゃがむスタイルの方が、この手動ホースは使いやすいかもしれない。しかし、使い方に慣れない女性には目当ての場所に命中できないし、温水でもないし、どうやって乾かすのだろう。ペーパーか。
 外に出ると、男性用出口から出てき私を待っているアーダムがいた。親戚でもない男女が一緒に外出するのはいけないし、ヒジャップも付けていない女性とは、昔なら戒律違反だったかも(毛糸の帽子はかぶっていた)

 車で、モスクワの大通りを走ると、昔と違ってとても快適だ。今回モスクワはほぼ車だったので、歩道の段差や角がはがれた建物、水たまりなどは体験しなかった。お金持ちモスクワは車社会だからか。大通りの走行はめちゃめちゃ快適だ。Z印を大きく記した建物もあった。この印は2022年頃からロシアに勝利の意味で使われてきた。ウクライナ戦争が始まった年には国中・町中で見かけたようだ(前年のハカシアでも見かけた)
 モスクワの大通りを1時間半位も走った。見た限りでは中心部は歩きやすい歩道があり建物の表側は装飾されている。途中でアーダムがいつも行くらしい小さなディスク屋に入った。「オネーギン」はなかった。

 モスクワ市には100カ所以上のムスリムの祈りの場と、4軒のモスクがある、とウィキペディヤに出ている。モスクの一つは、モスクワ大聖堂モスクで、他に、『歴史モスク』、『イマムとヤルデムのモスク』、『メモリアル・モスク』がある。アーダムの車で『メモリアル・モスク』のそばを通ったが、入らなかった。外観の写真は撮った。(だから、後日ウィキペディで調べて、このモスクの名前がわかったのだ。)

 郊外の自動車道に乗ると、両脇の高層建築が目に入る。戦争をしている国だから、兵士募集や英雄の掲示板があるはずと、スピードが出ても、電光掲示板が数秒で変わっても、見逃すまいと、私はスマホを構えていたのだ。しかし、郊外の自動車道には見かけなかった。この5日間、かなりモスクワ中を走り回ったが、見かけたのは 2,3回だった。

 3時頃にはマンションに帰った。この日の夜、マーディナは通信教育の講義の日だという。コーランの講義だという。一緒に聞いてもいいと言われ、しばらくだけ、横に座っていた。テキストには、日本の漢文のように、読み方指導用の印がある。アラビア語で書かれたコーランを読むのも難しそうだし、内容も理解しなければならないだろう。私はといえばアラビア語にはすぐ飽きて、自分の部屋に引き上げた。
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