クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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home up date March 04, 2025  校正2025年4月10日
    41 - (1)   2024年秋、経済制裁下のプーチンのロシア
               モスクワ、チェチェン、ペテルブルク (1)
    
                                    2024年10月12日から11月3日(のうちの10月12日から15日)

Путешествие в России, Москве, Чечене и Пётре 2024 года (12.10.2024−3.11.2024)

       モスクワ
 1 10/12-
10/15 
 計画、費用 北京大興国際空港  モスクワ、シェレメチエヴォ空港  マーディナ宅  モスクワのショッピングセンター   トレチャコフ美術館 
 2  0/16-
10/17
 新興私立学校  拡張した新興モスクワ市のヤーナ宅    電飾のモスクワ夜景  モスクワ大聖堂モスク
     チェチェン
 3 10/18-
10/19
 
 グローズヌィ 山岳イトゥム・カリ村   新興ヴェドゥチ・リゾート   イトゥム・カリ博物館再訪   ミラーナとの会話
 4 10/20-
10/22 
 預言者イエスのモスク 英国宮殿   アルグン市とシャリ市のモスク ヴェデノ村   カゼノイ・アム湖 グローズヌィ・シティ  ズーラ宅 
 5 10/23-
10-24 
 グルジアとの国境  トルストイ・ユルタ村  マーディナの悩み  アフマト博物館  ガランチョージ区
      サンクト・ペテルブルク
 6 10/25-
10/28 
ペトログラード島 パヴロフ宮殿   薬局  ショッピングセンター『ギャラリー』  ネフスキー大通 カーチャ宅 
 7 10/28-
10/31
 
 市内バスツアー サンクト・ペテルブルク大聖堂モスク    旧マチルダ宅 マリインスキ−2劇場   映画『モンテクリスト伯』  息子プラトン
 8 11/01-
11/03 
 仏教寺院 ゼレノゴルスク市   セストロリツケ市  クロンシュタット市 『ナヴァリヌィ』のシール   モスクワ  上海乗り換え
2024年 旅行前のインターネットなどによる報道では『国際的な制裁措置にかかわらず、ロシア国内の経済は比較的堅調だ。報道によるとモスクワのショッピングモールは活気にあふれ、高級車が首都の大通りを埋め尽くしていると伝えている。国際通貨基金(IMF)は、2024年のロシアの経済成長率予測を3.6%に引き上げており、これは米国や欧州を上回る水準だ』とあった。モスクワに関しては、私がこの旅行で見た限りでは本当だった。

 計画、費用
 8月中頃、イルクーツクのニキータからのメールで、『モスクワから20人ほどのグループが3日間金沢へ行くから観光を手配して(通訳もして)ほしい』とあった。その後、彼らの飛行機のチケットのコピーも送られてきた。モスクワのシェレメチエヴォ空港を10月4日に立ち、北京で乗り換え、10月5日に羽田着、復路は10月12日夕方に羽田発、北京で乗り換えに1泊して、10月13日モスクワ着、中国東方空港を使い、全額63 110ルーブルとあった。
 白川村への途中で休憩したモスクワ・グループ

 そのチケットのコピーを見てすぐ私は彼らの復路便に同乗してモスクワへ行くことに決めた。私のパスポートは2025年の1月に切れ、ロシアビザはパスポートの有効期限が6が月以上でないと取れない。それで、7月にインターネット申請でパスポートを取得しておいたのだ(有効期限の残っているパスポート保持者のみインターネット申請できるらしい)。
 実は、2023年の秋にイルクーツクとクラスノヤルスクに行った。それで40年近く続く私のロシア訪問は終わりにしても良かったが、『老骨にむち打って』もう1度くらいは行くかも知れない、念のためにと思ったからだ。ネットで申請ができるなら、簡単だし、1度くらいは使うかも知れない。
 もう1度チェチェンへ行きたい。新型コロナで4年前に、行けなかったからだ。サンクト・ペテルブルクのジェーニャにも会って話を聞きたかった。しかし、ロシアへの直行便が運行していない今、中国経由しかない。それ以外は、長時間か高額になりそうだ。中国の空港で、特に夜、一人乗り換えは厳しい。北京で1泊するというモスクワ・グループにくっついていこう。断られはしないだろう。それで、彼らの復路便と同じ便を購入した。自分の復路便は3週間後と決めて、購入。往復15万円余だった。
 ニキータにいつものようにビザを発行できる招聘状を頼む。ロシアビザ申請窓口とか言うのがあって、招聘状を添えても2万4千円ととても高い。ネットで比較的安く代行してくれるところを探して、必要書類を添付した。安いだけあって時間がかかる(?)。だが、出発まで1ヶ月以上あったので、かまわない。
 モスクワからのグループの復路便は北京に夜着くので、前記のように、ホテルに1泊する予定になっている。連れがいる以上は、その方がいい。西へ行くので時差が6時間なので昼間便なら、乗り換えがうまくいけばその日のうち(日本時間では翌朝)につくが、疲れる。モスクワ・グループが1泊する北京の空港ホテルに私の分も予約を入れてもらった。宿泊料500ユアン(当時1万円)は、ニキータのおごり。
 10月6日から9日までモスクワ・グループが金沢に来て、私が手配したマイクロバスで、ニキータが自分風に立てた計画で動いた。ニキータの計画は初めての金沢観光コースにしては良くないと思ったし、グループからの不満も出て、その場でかなり修整した。これには私も疲れた。彼らからは、戦争をしている国からとは全く感じられなかった。

費用
・ビザ取得手数料(3週間後取得) 20,200円 + 振込手数料 300円
・飛行機往復チケット 153、090円 + 座席指定料 1200円 合計 154,290円
ロシア国内ではルーブル払いとなるので
・ニキータに両替、8万円分のルーブリ(53,030ルーブル) + モスクワグループのガイド料70ドルx3=210ドル分のルーブル(19,896ルーブル)合計72,926ルーブルをすべてロシアで消費。さらに3万円分(19886ルーブル)は借りる。 つまり、合計92、816ルーブル持参  
 11月3日帰国で残っていたルーブルは16,860。これは借金の19886ルーブルに3026ルーブル足りないので、そのぶんの4754円を返金。つまりロシアで84,754円分のルーブルを使ったことになる。(当時の為替ルートで)  
旅行中その92,816ルーブルのうち
・グローズヌィからサンクト・ペテルブルクの飛行機代 1、3054ルーブル
・サンクト・ペテルブルクからモスクワへの飛行機代 8,708ルーブル
・お土産(マフラー、手袋、帽子、キーホルダー5個)と、自分の帽子1950ルーブル、自分の本6,500 アンジェリカさんに食費として残り全部のルーブリ)
・羽田航空宅急便往復 4,840円
・金沢駅から羽田まで 新幹線+モノレール 往復 (13,850+520)x2=28,740円
・羽田空港免税店で化粧品 マーディナとアンジェリカにお土産5100円
・前から集めてあったお土産 マーディナに約8000円,ジェーニャに約5000円、アンジェリカに約4000円
この旅行で旅費が154,290+84,754 =239,044円で、それにビザ取得料とお土産、国内旅費などが必要だった
 北京大興国際空港へ
 金沢駅から東京までは、新幹線でいつも行っているが、飛行機出発3時間前に羽田へ着けば十分と思い10時頃家を出た。着いてみると金沢駅の自動切符売り場は外国人旅行者の長い列だった。みどりの窓口も同様だ。私の前にいた人が教えてくれるには、列車に間に合わないと改札口の車掌さんに言うと、車内で料金が払える引換券をくれるかもとのこと。本当だった。しかし自由席のある遅い方の『はくたか』のみ乗車できる。よかった。そして、車内で廻ってきた車掌さんにその引換券と料金を払って、領収書のようなものをもらった。これは自動改札はもちろん通らないから改札口脇の車掌さんに渡せばよい、と言われた。外国人観光客の長い行列に困っている人も多いのかな。
 空港へは空港へは早めに到着。ここで宅急便で送ったスーツケースを受け取る。搭乗券を受け取れる窓口に行ってみると、モスクワ・グループも来ていた。ここで合流するはずだったから、会えてほっとする。やはり添乗員(リーダー)のヤーナの指導は的確だ。22人のグループ員の要求を入れながらまとめている。彼女の後ろに(モスクワ・グループの一員のような顔をして)ついて行けば安心だ。
 私達は北京で乗り換えだが、スーツケースはモスクワまで行ってくれるはず(スルーバゲージ)。そのつもりで私はスーツケースと小さなバッグを用意した。ヤーナは乗り換え時スーツケースを受け取らなくてはならないと思っていたらしい。だからグループにもそう言ってあったらしい。彼女は搭乗口近くのガイドが(中国東方航空だから中国人ではなく)日本人なら確かめてほしいと私に頼む。確かめところ、確かにスーツケースは希望すればそのままモスクワまで行く。しかし、モスクワ・グループの中には1泊する北京ホテルで荷物を下ろす人もいて、彼らは全員それにならった。
 羽田の免税店ショップでも、モスクワ・グループは最後の買い物をたっぷりしたらしい。最後の本当の日本食だと、私から見れば割高の寿司店にも入っていた。私はいつもロシア人女性には免税ショップで買う資生堂の化粧品をお土産の一つにしている。

 夜、北京の大興国際空港に着く。空港ホテルと言っても、中国領だから入国検査を受けなければならない。トランジット・ビザは不要なはずだ。しかし中国国境検査というところで一時入国許可を取らなければならない(通過ビザとどう違うのだろう)。後で、パスポートに貼られたシールを読むと、『10月12日から13日までの滞在期間で24時間ビザなしトランジット、入国地北京大興空港、出発地***』とあって、出発時に押されたはんこは『10月13日大興空港出発』とあった(中国語だ)。
 全員が一時入国許可のシールを貼ってもらってゲートを出た後、私達はヤーナの後からホテルのフロントへと歩いて行った。添乗員に案内してもらっているので、一人旅の心細さがない。私だけがロシア人らしくない風貌だった。ホテルのフロントでは現金払いの私は一番にルームキーがもらえた。他の旅行者は、使えるカードがなかったらしく両替していた。ヤーナは自分の背後にいるグループに振り返って「ほら、タカコサンはちゃんとユアンを持ってましたよ」と叫んでいた。
 まだ深夜ではなかったので、この機会に北京の夜散策に出かけたロシア人もいたようだが、私はすぐ寝た。チケットを取ったばかりの頃、サンクト・ペテルブルクのジェーニャに北京で乗り換えると伝えたとき、「北京ね、見るところがいっぱいあるよ、万里の長城とか…。」と書いてきたが、ロシア旅行の前に、空港体験だけで十分ではないか。
 北京空港ホテルからモスクワ、シェレメチエヴォ国際空港へ
 空港ホテルのカフェで、セルゲイたちと
 
 大興空港のロビー
 
 大興空港の庭園
 
 10月13日(日) 早朝に起きて、昨夜部屋へ案内してくれた職員が「朝食ができます」と教えてくれた食堂へ行ってみた。ホテル料金に朝食が含まれているとは、昨夜遅くのヤーナから伝言を頼まれたという女性からもあった。数分前に開いたらしい食堂には客は1組ぐらいで、調理台の背後のコックたちが、バイキングの食料を温めたり客の茶碗によそったりしていた。軽く食べてから、一旦自分の部屋に戻ったり、ホテルの中庭を散歩したり、もう一度食堂へ行って、セルゲイとターニャ夫婦と息子セルゲイのテーブルに座ってお茶をのんだりして時間を潰した。飛行機は11時55分発だったから、搭乗口へは9時半と、添乗員ヤーナに言われていた。私もヤーナ指導下の一員だった。
 北京大興国際空港は、2019年に開港したという世界有数の規模の空港のようだ。搭乗口から入るとまずは大きな中国国家マークがあって、私はモスクワ・グループの少年の一人と一緒に写真を撮る。赤地のバックに黄金の鎌と槌、そして星と言う中国国旗と中国共産党旗を合体したような、巨大なオブジェだった。鎌と槌シンボルは今のロシアではほとんど見られなくなった。このシンボルも1996年以前と以後では微妙に異なる、とは帰国後ウィキペディアで知った。
 私達のモスクワ・グループは、免税店ショップ群に散っていった。だから私はひとりぼっちになってしまった。これからゲートの開く2時間を潰さなくてはならない。資生堂店に入って値段を聞いてみた。羽田より高かったなあ。ショップばかりではない。広い中庭にある庭園を見ると、中国へ来た実感がさらに高まる。この庭園の設計者に私は大拍手。
 私は海外へ行ったら、トイレも必ずのぞくことにしている。もちろんこんな空港だから清潔だった。ペーパーも以前のように品切れでない。便座を拭く消毒液もあって、使い方が図式してあった。日本と同じだ。ウォッシュレットもあり、今や、満点。
 廊下には4種分別のゴミ箱が並んでいる。円錐形の紙コップがある水飲み場もある。この空港で出入国窓口の順番が早く進み、申請書の書き方を教えてくれる親切な職員がいてくれたらもっと良かったな。

 北京11時55分発、モスクワ着15時25分だが、時差5時間があるので、飛行時間は8時間30分だ。私はいつも飛行機の予約を取るとき座席も決めるが、後方通路側としている。後方は人気がないだろうが、トイレは近くにあり、だから、トイレにたどり着くまでにスチュワーデスさんたちの運搬車に遮られることも少ない。しかし、目的地について降りるときは遅くなる。
 この飛行機全体に中国人が大勢乗っていたせいか、他の中国発の飛行機も到着したせいかモスクワ・シェレメチエヴォ空港の外国人用入国審査窓口は、長蛇の列だった。ロシア国籍者用窓口の列は早く進むのに、こちらは(外国人用)立ち止まったままだ。外国人と書いた数少ない窓口の列の、あっちの列の後尾、こっちの列の後尾と走ったが、結果は同じ。外国人用窓口の整理をしていた制服のロシア人女性が搭乗員出国窓口をさし、「こっちが早く終わるわよ、終わったら外国人用窓口になるから」と、親切にも教えてくれたくらいだ。でもならなかった。モスクワ・グループがもしやして私を待ってくれているかも知れない。マーディナが迎えに来て待ちくたびれているかも知れないと、先に進まない長い順番についたときはいつも焦る私だ。
 どの窓口から出たか覚えていないが、私はスーツケースが廻っているターンテーブルに急いだ。私の乗ってきた便のターンテーブルはとっくに止まっていて、引き取り手のないスーツケースが固まっておいてあった。そこへ走ったが、私のものはない。ロストバゲージと言うことが頭にこびりついて、そうなるかもしてないと羽田出発から恐れていたのだ。荷物捜索という窓口へ走って、「私のがない」と言った。「よく見てください、ないと言っても横にあるはずですよ」と忙しそうな職員にいわれる。もう一度見に行ったがやはりない。中国航空はロストバゲージの苦情が多い、と言う評判は本当だと思って、またさきほどの職員をつかまえて訴えた。彼女から「今の要件の相手が終わるまで待ってください」と言われる。彼女の後ろで待っていたが、ロシア人職員はそんなことでは急がない。ロストバゲージと先入観にとらわれた私がもう一度見に行くと、あった。先ほどの職員に「ありました、私の件は解決しましたから」と伝えて謝るべきと思った私は、また荷物捜索窓口に行き、忙しそうにしているあの職員に伝えようとした。そういうことはロシアではやらないらしい。職員を何事だとびっくりさせただけだった。
 到着ロビーに出てみると、モスクワグループは私一人を長々と待つまでもなく散っていっていた。モスクワには迎えがいると言ってあったから、責任感の強いヤーナも確かに迎えが来ているかどうか、見定めなくてもいいと思ったのだろう。後で聞いたところでは、しばらくみんなで待ったそうだ。中国人は出てきたのに私は出てこなかったそうだ。そうだろうな。
 到着ホールに出てみてもマーディナの姿も見えなかった。Wi−Fiが使えないのでローミングでマーディナに電話した。飛行機到着後多分1時間以上もして、やっと、夫のアーダムとベビーカーの1歳9ヶ月の娘アディーリを連れている彼女に会うことができた。彼女たちも探していたらしい。
 マーディナ宅
  シェレメチエヴォ空港の駐車場に行き、アーダムがカーシェアリングしたというドイツ車に乗って、1時間ぐらいで、彼らのモスクワ移住の数年前購入したという住所がジューコフ大通り Хорошёво-Мневники, про.Маршала-Жуковаにあるタワマン『コンチネンタリ』"континенталь" の19階84号室 と言うところに着いた。
 
 タワマン『コンチネンタル』
フロントガラスには雨滴が
 
私の寝室 
 
キッチン、ダイニング、リヴィング 
 
携帯を放さないアディーリとマーディナ 

 モスクワでもサンクト・ペテルブルクでも高層マンションは乱立している。だから日本のようなマンション敷地内の白線を引いた特別の駐車スペースはない。寒冷地だから地下駐車場はあるが、割高なせいか、みんな周りの通路(道路)に止めている。だから、マンション敷地内に入ると両脇に止められている車の間をぬって、自分の止めるところを毎回見つけなければならない。私はアーダムが上手に通り抜け、毎回上手に空き場所を見つけているのに感心していた。
 1階や2階はカフェやバーなどになっているらしい。いくつかあるらしい入り口には番人が座っていた。マンションの公共部分はさすが掃除が行き届いている(後に宿泊したサンクト・ペテルブルクの普通の古いマンションとは違う)。エレベーターで19階に上がると、そこの廊下にはいくつかのドアがあって、その一つがマーディナ宅だ。後で聞いたことだが皆同じ広さ、同じ間取りではないという。そうだろう。マンションは建設中からその空間(一画)を購入する。将来室内になるところは、コンクリートの壁だけがある。購入すると自分好みに部屋割りをして内装する。日本のように内装済みのマンションも売っているが、値段はずっと高くなる(そうだ)。不動産投資もある。
 首都の中心部にあるマーディナのマンションの面積では、普通のモスクワ人の買える金額ではないだろう。広いダイニング・キッチンと居間、マーディナたちの寝室と子供の遊び場や、姉妹が来たときに泊まるという今は私のための(客用)寝室、さらに広いバストイレが3つある。彼女の家のッドはなぜかダブルサイズどころかキングサイズだ。しかし、数日前工事の手違いで水が床にあふれ、ベッドのマットレスもだめになったとかで、キングサイズのベッドに小さめのマットレスが敷いてあった。
 私は自分に当てられた部屋で早速スーツケースを開き、彼女用のお土産を全部取り出した。それでずっとスーツケースが軽くなる。1歳9ヶ月のアディーリに3歳児用着物セット数着。マーディナ希望のがま口をいくつか、日本の知り合いに縫ってもらった和風柄のポシェットのようなものいくつか、箸セットもいくつか。羽田の免税店で購入した資生堂化粧品などだ。カフカス人はお客としてきた人から接待用の費用は絶対に受け取らない。現金は受け取らないがお土産の物品は受け取ってくれるから、相応のお土産を持って行かなければならない。今回も、相応ほどではないが、できるだけ用意した。
 マーディナはほとんど料理はしない。下のカフェで買ってくる、電話を掛けてデリバリーサービスを利用する。夕食に何を食べたいかとスマホのメニューから選ばされた。朝食は何がいいかと言われ、ゆで卵とパン、野菜があったらと答えておいた。
  モスクワのショッピング・センター
 
 19階がマーディナ宅
 
朝食 
 
 近所のスーパーで、飲み物コーナー
遠くに見えるレジでの支払いはカードのみ
 
モスクワの町 (おんぼろ車は見なかった)
 
新車が並ぶ駐車場。ハンプもある。 
 
マクドナルドの後釜 
 
フードコーナーで。抹茶店もある 
 
 アディーリ(足だけ見える)が退屈している
 10月14日(月)
 午前中はマーディナの広いマンションでアディーリの相手などしてゆっくりしていた。私が知る限り、ロシアの家庭では小さい子はパンパースのみで室内では裸だ。子供はその方が動きやすいし、大人は服の洗濯もしなくてよく、何より、パンパースを換えるときが便利だ。大便をしていてもウェット・ティッシュで拭かなくてもシャワーを浴びせればもっと綺麗になる。 子供用の椅子に座らせて、マーディナが食事を与えようとする。ベビー専門店で購入したベビー・フードだ。マーディナは大人用も子供用も、前記のように、滅多にはつくらない。マーディナが心配事として言うには、アディーリは母親の顔をじっと見ない。目が合いそうになってもすぐそらすという。もちろん、私とも誰とも目を合わせない。人見知りして私の顔を見て泣くようなことがなく、抱っこもさせてもらえたが、視線も身体も落ち着かない。絶えず動き回るのは、子供としては普通かも知れない。ベビーフードばかり子供に食べさせるのは、それでも、おいしくて栄養があればいい。私はすぐに気がついたのだが、マーディナがスプーンでアディーリの口に食べ物を運ぶときも目を合わせない。アディーリが口を開けるのは、手にスマホのゲームがあるときだけだ。ないと口を開けない、スマホを与えられると口を開ける。母と子が目を合わせながら離乳食を食べるという光景では全くない。お腹が空けばスマホゲームが手になくても食べたがりますよ、とは言わなかった。(日本ではその方法で子供に好き嫌いを止めさせた賢母の逸話があるが、子供を飢えさせると誤解されたくないので黙っていた)
 マーディナは、子供が自分と目を合わせないのはやはり発達上の異常と考えているらしい。カウンセリングが必要だと言っている。母乳で育てたはずで、今でも母親の胸に寄ってくる。アディーリがやはり目をそらせて飲んでいるのかどうか、私は遠慮して確かめなかったが。

 お昼頃懸案となっていた、グローズヌィからサンクト・ペテルブルクまでとサンクト・ペテルブルクからモスクワまでのチケットを購入した。グローズヌィからサンクト・ペテルブルクへいつ行くかをまず決める。サンクト・ペテルブルクのアンジェリカさんに電話して10月25日ということにきめた。早すぎれば、アンジェリカさんの負担が増えるし、遅すぎればマーディナの負担が増える。二人ともいつでもいいですよと言ってはくれる。だからちょうど半分にした。マーディナの携帯で購入してもらって、それぞれ、13154ルーブルと、9708ルーブルを現金で受け取ってもらった。モスクワからグローズヌィのチケット代7734ルーブルは受け取ってもらえなかった(後述)

 午後から、荷物運びがあるそうだ。マンションにも段ボールが積んである。これを乗せてモスクワのどこかにあるレンタル倉庫へいく。妹の一人が、ネットで家具販売をやっているとか。彼女はチェチェン共和国の隣カバルダ・バルカル共和国のナリチク市に家族と住んでいるらしい。中古か新品か骨董品か普通の家具道具か知らないが大量の段ボールをどこかからどこかへ運んでいるらしい(運送会社利用か)。その流通基地の一つがレンタル倉庫でで、マーディナが管理しているらしい。
 よくわからないが、一人でマンションにいても退屈なので、一緒に行く。雨が降って寒い日だった。レンタル倉庫群のある敷地には入り口に有人の門番小屋もあって、敷地内へ入ると大小のコンテナが並んでいる。それらコンテナの一つの丈夫そうなドアを開け、マーディナが入っていって、長い間、中で整理、選択していた。アーダムはドア近くの箱を一つ開けて、カフカス人が使う剣を見せてくれた。美しい銀色で彫刻がしてあって、高価なものかどうか知らない。私はお愛想に感心してあげた。
 長い間コンテナの奥で仕事をしていたらしいマーディナがやっと出てきてくれて、比較的近くにあるというショッピングセンターに行く。広い駐車場など、日本と変わらないが、通路を疾走する車があるのかハンプ(凸部、道路の一部を隆起させ減速を促す)が所々つくってあった。

 日本出発が10月初めだったので、日本の店にはまだ極寒物は並んでいなかった。それで、モスクワへ来てすぐ毛糸の帽子を買う予定だった。マーディナも、アディーリのベビーカーを押しながら、自分の買い物をしていた。
 食事のためには、もちろんフードコーナーの並ぶ階にいった。日本のように、様々なテナントが並んでいる。マクドナルドの『後がま』もあった。『フクースナ・イ・トーチナ』と名前だけ変わっていて、食券を買って、テーブルに座って自分の番号が来るまで(画面に記される)待っていればいいようだった。試してみたいと、アーダムにチキンを注文してもらった。アーダムとマーディナたちは食べきれないほどたくさん注文したようだ。アディーリもベビーカーでもぞもぞしていた。私の知っている日本のフードコーナーよりゆったりとして快適だったかも知れない。アディーリが走り周り、マーディナが後を追っかけていた。

 4日後の10月18日にはマーディナの実家のチェチェンのグローズヌィ市へいく。チェチェンはクリミアから近そうに思われた。もしかして車で、ケルチ橋(クリミヤ橋、アゾフ海と黒海の間のケルチ海峡に架かる橋)を通ってクリミアへ行けないだろうか。国際的に話題のクリミアへ是非とも行きたいと数年前(2014年頃)から思っていた。そこはロシア連邦内だからロシアのビザがあれば行ける。問題の橋が渡れたらもっといいではないか。チェチェンに知り合いの多そうなマーディナに心当たりを当たってくれるよう頼んだ。あまり実現しそうにもない様子だったが。
 トレチャコフ美術館
 
 モスクワの町を行く
 
 『エウロペの誘惑』
 
 有名な絵の前ではガイドの説明を生徒達が
聞いている.アディーリが騒いだので注意された
 
トレッチャコフ美術館前 (3度目かな)
 
 巻き寿司のからあげ。横の茶碗は醤油
 10月15日(火) 
 モスクワでの滞在5日間にどこへ行きたいかと尋ねられていたが、答えられない。今まで何度も来ているからモスクワ観光の中心地も博物館や美術館、庭園、宮殿は、その時の時点で、メジャーなものはみんな廻った。彼らのほうがモスクワを知らないかもしれない。そんなことは言わない。トレチャコフ美術館に行きたいというマーディナの提案だった。彼らは初めてだったのかも知れないが、私は3回以上は訪れたことがある。私の大好きなヴァレンチン・セローフ Валентин Александрович Седовтщ の『エウロペの誘拐』 "Похищение Епропы (1910)" がトレチャコフにある。(しかたなくと言う様子は見せず)何度見てもいいと思って承知した。
 しかし、入ってみると、有名な15世紀のイコンからロシア史の挿絵に出てくるような絵が、当然のことながら何枚もあって、きてよかった。ピョートル3世の大きな肖像画や、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、まだ若いトルストイ、ドストエフキーの肖像画は、本やポスターなど様々な媒体に印刷されているが、みんなこのトレチャコフスキーの原画から取ったものだ。やはり何度見てもいい。
 皇帝、女帝、ロシア史に名前が載るような人物だけでなく、その歴史的な場面の絵画もあって、ああ、ここに原画があったのかと感心して眺めたのは、コンスタンチン・フラヴィツキー『皇女タラカーノヴァ」Константин Флавицкийの "Книгина Тараканова”やプクイレーヴォ『不平等な結婚』 Пукирево В.В. "неравный брак、1842”だった。
 ああ、そうだった、クラスノヤルスク出身のスリコフの『大貴族モロゾヴァ』の原画もここにあって、クラスノヤルスクの美術館のほうはコピーだった。
 何枚も写真を撮った。特に、『エヴロハの誘惑(拉致の方が訳にぴったりだが)』の前では、家族と撮った。ニコライ・リョーリフРёрихの ”Заморские гости 1901”もあった。リョーリフがこんな目も覚めるような絵を描いたとは知らなかった。

 夕食はマンション1階のカフェだった。マーディナは寿司を注文する。わさびもショウガもついてきた。醤油をたっぷり入れた小鉢も割り箸も出された。日本で言えば海苔巻きが6きれあって、油で揚げてあり、お好み焼きのタレのようなものがかかっていた。一切れ食べたがまずまずのお味だ。海苔巻きを唐揚げするというのもアイディアかも知れない。
 マーディナは前回2018年にグローズ会った時はアーダムと婚約していた。結婚してマーディナもアーダムの家族と仲良く暮らしているのかと思ったが、そうではなかった。夫婦の間も私から見れば危なっかしげだった。しかしそんなことは言わない。マーディナからアーダムについてどう思うかと聞かれたが、曖昧に返事しておいた。彼らはあまり夫婦らしくない。マーディナはアーダムに威張っている、アーダムは妻にほぼ養われているようだ。アーダムに自分は夫としてどうかと質問されて、横からマーディナに見つめられていた私は、口ごもってしまった。この夫婦関係は、私がロシアを去るまで悩ませた。

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