7月7日(金)。ガリーナさん宅の水道管と台所工事は続いている。だからこの日もセルゲイさんが案内してくれた。ガリーナさんの情報ではヴィリゴルト村のソスノーヴォイ・ベーレグ
Сосновый берег(松林の岸辺)へ行ってみればいいと言うことだった。ヴィリゴルトはスィクティフカルの南の一部ともいえるほどの近辺の村で、南からスィクティフカルに入るときは必ず通る。(ロシア中央部から来る時は南ルートしかない)。ヴィリゴルトはコミ語では『新しい住居』と言う意味だそうだが、16世紀からの文献にはもう載っている。現在、周りの14個の村を合わせて、ヴィゴルトの人口は1万人余。
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| ゲーティッド団地の入り口 |
その14個の一つがィヨリャ・トィ Еля ты(トィはコミ語で湖)と言って、同名の湖(と言っても旧川床)の辺にあり、1940年代は強制移住者が住む村だった。(ウィキペディアによると、旧富農、ヴォルガ・ドイツ人、西ウクライナ人などの強制移住者が住まわされていた)。現在は新コッテージ団地となり、モスクワ郊外の富裕層向け別荘団地の一つをまねて、その名もソスノーヴォイ・ベーレグなどと名乗り、団地全体を囲い、入り口には遮断機と番人を置いている。こういう富裕層向けゲーティド団地(門のある閉鎖団地)は各都市の、最も憧憬地に不動産業者によって設営販売されている。スィクティフカルのような田舎の町の富裕層向けにもできたようだ。141戸分あり、各広さは12アールから30アールだそうだ。
閉鎖団地の敷地内には誰でもは、入れない。この地区全体が道路も含めて個人所有(不動産会社か)となっているからだ。セルゲイさんはこの富裕層団地の一人(花屋をやって成功しているとか)と知り合いで、番人に連絡してもらったので、入れた。ヴィリゴルトからィヨリャ・トィまでは非舗装の泥だらけの道だが、団地への遮断機を入ると、なめらかなアスファルト舗装された道になる。歩道も石畳で整備され、雑草なんか生えていない。アンチックな街灯まである。泥ぬまの中の別天地と言ったところだ。立派な門構えの完成した家もあれば、建設中のもある。業者が建てて売り出し中らしい物件は大きく連絡先電話番号の書いた看板が門の前に張り付けてある。
この景勝地は、団地ができる前はチムーロヴェツ Тимуровец(ソ連人気少年小説の主人公チムールの名から*)と名付けられたピオネール・キャンプ場(青少年の家)だった。ソ連時代、長い夏休み期間中の健全教育と将来のソ連人育成にこのような青少年の家が各地に建てられたものだ。今、それらの多くは廃墟となるか、別の用途に回っている。
| *「チムールとその仲間」シリーズの作品を書いたのは、アルカディ・ゴリコフ(ペンネームはガイダール、1904ー1941)。1922年国内戦時、ハカシアでソロビョーフの白軍(反革命軍)とその同調者と疑われた多数のハカシア人を情け容赦なく弾圧したことで有名。村人全員を虐殺したこともあって、ハカシアではその後、泣く子に「ガイダールが来るよ」と言って泣き止ませたとか。しかし、ロシアではソ連少年物語の主人公としてチムールは有名。その孫のエゴール・ガイダールはエリツィン時代前期の政治家。 |
セルゲイさんと団地内を歩く。彼は昔のキャンプ場を知っていたのだろう。ィヨリャ湖の方へ行く。この湖の松林に青少年の家があったらしい。(今は、廃墟すらない。当然だ。富裕層向け別荘地なのだから。)昔を思い出したのか、セルゲイさんは難しい顔をしている。湖に向かって木造の新しい橋もかかっていて、白いテントの結婚式場と披露宴会場(多分)が建っている。テントのように見えるだけの建築物だったのかもしれない。この日は無人でテーブルと椅子が並んでいるのが空いた戸口から見えた。白いテントのホールの周りは記念写真を撮るにぴったりの庭やあずまやがあった。 |