クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
        В Красноярске      Welcome to my homepage

home up date 16 January, 2018 (追記; 2018年9月14日、2019年12月19日、2022年2月23日)
ダーチャ(下賜されたもの) または ロシア的別荘(5)2017年
            北ロシアのコミ共和国スィクティフカル市近郊のダーチャ

           2017年7月6日、7日

Дача (осенью 2011 года)

(1) ニーナさんの甥のダーチャ
スィクティフカル市近郊のモーロヴォにある自分
のダーチャの木戸を開けるアルテェエフさん


ゲーテッド団地内の新築ダーチャの売却張り紙  
ニーナさんのサローキナ村のダーチャ
収穫物の保存
ダーチャ恩赦法
(2) ダーチャの国ロシア
ダーチャの歴史
クラスノヤルスクの不動産業
ゼレノゴルスク市のダーチャ
リョーバのダーチャ
ウダーチニィ地区
ドロキナ村のフェージャの家
今、ダーチャ
(3) 追記2010年シーズンオフだがダーチャ
(4) 追記2011年リューダさんのダーチャ
ダーチャとコッテージ
(5)     2017年コミ共和国で
  アルティエフさんのダーチャ
  ィヨリャ・トイのゲーテッド団地
  作家同盟ペンション『レミエ
(6)
 2018年リューダさんのダーチャ

 2017年6月25日から7月26日まで1ヶ月間もロシアを訪れた。7月9日までの前半はロシア北部のコミ共和国スィクティフカル市へ行き、後半はカフカースへ行った。夏至の頃にはロシア北部の村々では夏祭りが行われるので、コミの友達から誘われていたのだ。そのときの紀行文は『モスクワから北ロシアのコミ共和国』に載せた。夏祭りから帰って、スィクテフカルに数日滞在した。そのときアルティエフさんのダーチャに招かれたのだ。また、別の日、スィクティフカル市近郊にも造成されつつあるデーティッド団地を見る。コミ作家同盟が所有する宿泊設備も、スィクテフカル近郊の自然の中に建っている。

 アルテェエフさんの別荘
アンヌ・リーザさんの学習机
アルテェエフさん宅の居間
 7月6日(木)。コミ滞在10日間は長すぎたかと思っていた。だがこの日は『レスブリカ』誌記者のアルチュール・アルテェエフさんが自分のダーチャに招待してくれている。(レスプリカは共和国という意味。同誌はコミ共和国御用誌らしい)
 10時ごろ、セルゲイさんにアルテェエフさんの新聞社前まで送ってもらう。10時過ぎにはアルテェエフさんの車に乗って、彼のアパートまでいく。セルゲイさんやガリーナさんたち(それなりにエリート層)はコミ歴史記念建築物も多い市の中心に住んでいるが、アルテェエフさんのアパートは、ロシアのどの中程度の都市にでもあるようなあまり整備されていない郊外ベッド・タウンにあった。彼の妻ナターシャさんは医師、長女アンヌ・リーザは中学生で日本のアニメのファン、息子のアルチュールは10歳だ。
 子供部屋では、アンヌ・リーザ好みのアニメが自分の机の周り一面に貼ってあった。サスケやナルトだ。彼女自身はそんな年ごろなので、私を見るなりどこかへ行ってしまう。案内されたアルテェエフ宅の居間は部屋の3分の1が本で埋まっていた。本箱に入りきらないので、本箱の前に幾重にも積み重ねてある。これでは目的の本がどこにあるか覚えていても、手に取る前に大量の本をどかさなければならない。地震で本が崩れ落ちてくれば、文字通り本に埋まる。アルテェエフさんはいったん買った本は決して処分しない人なのだ。私も実はそうだが、彼のアパートの方が狭く居住人数が多いから、こうして平地に積み上げることになる。
 彼のダーチャはモーロヴァ Морово村にある(地図)。途中に食料品店でバーベキューの材料など買って、着いたのは11時ごろだ。もともとモーロヴォは普通の村(しかし定住者は数人)だったが、ソ連時代後期、村の近くにダーチャ団地ができた。その団地のダーチャ組合(*)はいくつかあって、アルテェエフさんのダーチャはレソヴィック Лесовик組合だ。会費も払うのかな(*)。国道のモーロヴォ村の入り口にもバス停はあり、モーロヴォ・ダーチャ村の中央の曲がり角にもバス停がある。
 ダーチャ団地の諸組合 帰国後モーロヴォ・ダーチャ不動産サイトを開いてみた。レソヴィクやコスモス、ルーチなどと言った地区ごとの組合が9個あって、それぞれの組合で数十軒のダーチャを管理しているのだろう。レソヴィックは国道に一番近い。ちなみにその不動産サイトでは、レソヴィックの隣のコスモス組合の5アールのダーチャが530 000ルーブル、約110万円で売り出されていた。

 アルテェエフさんのダーチャ面積は広くはない。5アールで縦横は20メートルと25メートルだそうだ。たぶん典型的な農作業小屋つき菜園だったと思う。農作業小屋と言っても、古い家具があり、夏場ならなんとか宿泊もでき、食事もできる。だからダーチャだ。2階もあるが物置。2階からは屋根へも出られる。小屋根に立って外を眺めるなんて何年ぶりだろう。落ちないように。
小屋根に出られる家と菜園
シャシリクの準備
SMSで送られてきた記事をパソコンにだした

 アルテェエフさんが建てたのではなく、3,4年前に購入したので、前の持ち主のものも雑然と積んであった。急いで捨てることはない、いつか役に立つかもしれない(ロシアではどこもごみは無料)。菜園は、アルテェエフさんとナターシャさんの努力で、整然として、収穫も容易そうだった。畔にはチップが撒かれている。雑草が生えなくていいな。(そのチップをどこで買ったかも教えてくれた)。畑の半分はジャガイモだ。他にビーツ、ネギ、ウイキョウ、ニンニク、レタス、カボチャ、大豆などが植えられていた。だいたい農業には向かない寒い気候なので、緑の季節は短い。トマトやキュウリなどはハウスでないと育たない。じゃがいもは私も自宅の菜園に植えているが、6月末この旅行に出発する前に収穫してきた、と言うと、彼は後の記事にそのことを書いていた(下記)。ここでは、じゃがいもなど収穫は9月だ。
 バーベキューでごちそうしてくれた。来るとき、バーべキュー(シャシリク、串焼き)用味付け肉を買ってきたのだ。バーべキューは都会のマンションのキッチンではできないから、ダーチャの楽しみの一つだ。

 息子さんのアルチュール君とダーチャ村を散歩する。ダーチャのある森はキルティミユ Кылтымъю(37キロ)というスィソラ川の小さな支流の合流点近くにあり、この川で泳ぐこともあると言う。泳げるような温かい水温になるのはきっと夏場でも珍しいかも知れない。冷たそうな川が水草の間を流れていた。
 アルテェエフさんのダーチャにはトイレがないので(ナターシャさんが「うちのお父さんはトイレをまだ作ってくれない」と言う)、空き家の隣家の半壊でドアなしのトイレ小屋を利用する。このダーチャにはトイレはないが蒸し風呂小屋はある。ナターシャさんは自宅のシャワーがいいからと入らなかった。10歳のアルチュームもパス。都会のアパートではできない蒸し風呂に入らないなんて、やっぱり若い子は。アルテェエフさんはきっと私をもてなすために特別に焚いてくれたのだ。
 彼のダーチャがモーロヴォ村にあるのは偶然ではない。もとの自分のダーチャも(今の)両親のダーチャも、この辺にあるからだ。彼の父親ボリス・アルテェエフさんのダーチャにも行く。それはレソヴィック組合から道路を挟んで隣の隣のルーチ組合管理下にある。行ってみるとボリスさんは畑仕事中だった。写真を撮る。と言うのも彼のダーチャに軍服(制服)が保存されていたからだ。男性は兵役があって軍服が支給される。あるいは国防関係に勤務していると制服が支給される。その外套は重くてかさばるが、不要になっても使用に耐えそうだ。捨てずにしまっておく人もいるが、しまい場所はたいていダーチャだ。都会のマンションのクローゼットは狭すぎる。と言うわけで、私は試着したばかりではなく、イミテーションの自動小銃まで持って写真を撮ってもらった(満足そうな顔で撮らされた)。
 
 外国人の私がこんな
格好をして、
ちょっと恥ずかしい

 8時近く、アルテェエフさんのアパートに戻ってきて、セルゲイさんに迎えに来てもらい、帰ったのは9時過ぎだ。
 後から、ジャーナリストのアルテェエフさんにメールでダーチャの感想を聞かれた。私は普通のことを書いて出した。すると、写真といっしょに記事にされた。彼は私を材料に5個ほどは記事を書いている。私のような普通の旅行者でも記事になるものだ。
 8月2日の『レスプブリカ』誌の『モーロヴォでタカコ・サン、日本からの客がロシアのボリス・アルテェエフ氏のダーチャを訪れる』記事のURL
http://respublika11.ru/2017/08/02/takako-san-v-morovo/
    その後のアルテェエフさんからのSNSによると、彼のダーチャはかなり修理をしたそうだ。トイレもちゃんと作ったとか。招待されている。
 ィヨリャ・トィのゲーティッド団地 (地図)
 7月7日(金)。ガリーナさん宅の水道管と台所工事は続いている。だからこの日もセルゲイさんが案内してくれた。ガリーナさんの情報ではヴィリゴルト村のソスノーヴォイ・ベーレグ Сосновый берег(松林の岸辺)へ行ってみればいいと言うことだった。ヴィリゴルトはスィクティフカルの南の一部ともいえるほどの近辺の村で、南からスィクティフカルに入るときは必ず通る。(ロシア中央部から来る時は南ルートしかない)。ヴィリゴルトはコミ語では『新しい住居』と言う意味だそうだが、16世紀からの文献にはもう載っている。現在、周りの14個の村を合わせて、ヴィゴルトの人口は1万人余。
ゲーティッド団地の入り口

 その14個の一つがィヨリャ・トィ Еля ты(トィはコミ語で湖)と言って、同名の湖(と言っても旧川床)の辺にあり、1940年代は強制移住者が住む村だった。(ウィキペディアによると、旧富農、ヴォルガ・ドイツ人、西ウクライナ人などの強制移住者が住まわされていた)。現在は新コッテージ団地となり、モスクワ郊外の富裕層向け別荘団地の一つをまねて、その名もソスノーヴォイ・ベーレグなどと名乗り、団地全体を囲い、入り口には遮断機と番人を置いている。こういう富裕層向けゲーティド団地(門のある閉鎖団地)は各都市の、最も憧憬地に不動産業者によって設営販売されている。スィクティフカルのような田舎の町の富裕層向けにもできたようだ。141戸分あり、各広さは12アールから30アールだそうだ。
 閉鎖団地の敷地内には誰でもは、入れない。この地区全体が道路も含めて個人所有(不動産会社か)となっているからだ。セルゲイさんはこの富裕層団地の一人(花屋をやって成功しているとか)と知り合いで、番人に連絡してもらったので、入れた。ヴィリゴルトからィヨリャ・トィまでは非舗装の泥だらけの道だが、団地への遮断機を入ると、なめらかなアスファルト舗装された道になる。歩道も石畳で整備され、雑草なんか生えていない。アンチックな街灯まである。泥ぬまの中の別天地と言ったところだ。立派な門構えの完成した家もあれば、建設中のもある。業者が建てて売り出し中らしい物件は大きく連絡先電話番号の書いた看板が門の前に張り付けてある。
 この景勝地は、団地ができる前はチムーロヴェツ Тимуровец(ソ連人気少年小説の主人公チムールの名から)と名付けられたピオネール・キャンプ場(青少年の家)だった。ソ連時代、長い夏休み期間中の健全教育と将来のソ連人育成にこのような青少年の家が各地に建てられたものだ。今、それらの多くは廃墟となるか、別の用途に回っている。
*「チムールとその仲間」シリーズの作品を書いたのは、アルカディ・ゴリコフ(ペンネームはガイダール、1904ー1941)。1922年国内戦時、ハカシアでソロビョーフの白軍(反革命軍)とその同調者と疑われた多数のハカシア人を情け容赦なく弾圧したことで有名。村人全員を虐殺したこともあって、ハカシアではその後、泣く子に「ガイダールが来るよ」と言って泣き止ませたとか。しかし、ロシアではソ連少年物語の主人公としてチムールは有名。その孫のエゴール・ガイダールはエリツィン時代前期の政治家。

 セルゲイさんと団地内を歩く。彼は昔のキャンプ場を知っていたのだろう。ィヨリャ湖の方へ行く。この湖の松林に青少年の家があったらしい。(今は、廃墟すらない。当然だ。富裕層向け別荘地なのだから。)昔を思い出したのか、セルゲイさんは難しい顔をしている。湖に向かって木造の新しい橋もかかっていて、白いテントの結婚式場と披露宴会場(多分)が建っている。テントのように見えるだけの建築物だったのかもしれない。この日は無人でテーブルと椅子が並んでいるのが空いた戸口から見えた。白いテントのホールの周りは記念写真を撮るにぴったりの庭やあずまやがあった。 
 ペンション『レミユ』
レミユ・ペンション
レミユの書き物机のある部屋
 7月8日(土)。この日も祭りがある。私の滞在期間に間に合ったというより、イベントがあるせいで日程が埋まって助かる。スィクティフカルから40キロほど東のコルトケロス корткерос村の鍛冶祭だった。ガリーナさんやセルゲイさんと出かけるが、途中、16キロのところにレミユ Лемьюと言うペンションがある。ガリーナさんから、当初ここへ行って宿泊しようと言われていたところだ。作家同盟会員なら無料だからとか。
 だから寄ってみた。道路沿い林の中にあり、下に降りて行くと小川もある。この時は内部にも周辺にも人気がなかった。ガリーナさんは鍵を持っている。2階建てで、3階に素敵な屋根裏部屋もある、木造の快適そうなペンションだった。床にはじゅうたんが敷いてあり、執筆活動ができるよう机もある。しかし宿泊するためには食料の他に布団やシーツを持ってこなくてはならないだろう。家の周りには間違いなく蚊の大群がいるだろう。

 後記:2019年冬期にも、コミのウードル区で冬祭りがあって、友達のガリーナさんに誘われて出かけた。そこから帰ってから、2月25日、レミユに寄る機会があった。その冬祭りにモスクワから車で来ていた記者のプロシャークさんが捻挫し、レミユに逗留することになったので、動けないプロシャークさんに食料を届け、お見舞いするためだった。プロシャークさんはレミユの周りの除雪をしていて捻挫したとか。

HOME ホーム  <←BACK前のページ <↑ページのはじめ NEXT 2018年追記6ダーチャ→>