と滞在後記
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up date | 17 July, 2012 | (追記: 2012年8月2日、2016年11月28日、2022年2月22日) |
ダーチャ(下賜されたもの) または ロシア的別荘(4) 『2011年黄金の秋、クラスノヤルスク(1)』のダーチャをまわるから 2011年9月29日 |
Дача (осенью 2011 года)
(1) | ニーナさんの甥のダーチャ | クラスノヤルスク市 アルミや重金属の工場の多い東方面の他は、 ダーチャ団地で囲まれている。 (ウィキペディアによると、クラスノヤルスク市全体が 東方面も含め軍事施設にも囲まれている) |
ニーナさんのサローキナ村のダーチャ | ||
収穫物の保存 | ||
ダーチャ恩赦法 | ||
(2) | ダーチャの国ロシア | |
ダーチャの歴史 | ||
クラスノヤルスクの不動産業 | ||
ゼレノゴルスク市のダーチャ | ||
リョーバのダーチャ | ||
ウダーチニィ地区 | ||
ドロキナ村のフェージャの家 | ||
今、ダーチャ | ||
(3) | 追記2010年シーズンオフだがダーチャ | |
(4) | 追記2011年リューダさんのダーチャ | |
ダーチャとコッテージ | ||
(5) | 追記1917年コミ共和国で | |
(6) |
追記2018年リューダさんのダーチャ |
2011年、木々が黄金に色づく頃、3週間ほどクラスノヤルスクを中心に旅をした。9月29日朝、北京経由でクラスノヤルスク市に到着して、ホームステイ先のディーマさん宅に落ち着く。一休みすると、ディーマさんの奥さんのリューダさんとダーチャに向かった。 以下の文は当サイトの 『2011年黄金の秋、クラスノヤルスク(1)』ダーチャをまわる の一部を転載したもの。 |
リューダさんのダーチャ | ||||||||||
お昼ごろ目が覚めると、リューダさんからどこへ行きたいかと聞かれる。まずはダーチャへ行こう。今回クラスノヤルスクでは、シーズンは終わりかけているが、ダーチャをできる限り見て回りたいと思っていたのだ。 リューダさんたちのダーチャは、マヤーク・ダーチャ団地Ⅱにあって、そこは、クラスノヤルスク市の西の自宅マンションのあるアカデミガラドク団地のもっと西、つまり、エニセイ川の左岸上流方向にある。 1950年60年代のフルシチョフ時代から大発展した一般人用『ソ連式ダーチャ』は、都市郊外の非耕作地を企業(組合)が借り受け、従業員(組合員)に6アールずつに分けて与える、というものだった。当時は郊外でも、その後は都市が膨らんで市内になったと言うラッキーな場所もあるが、市街地になりにくい崖地だったりすると、ダーチャ(農地)のまま今も残っている。当時そうした一般人のダーチャでは、そこに自分で建てる家の面積や高さが制限され、地下室を作ってはいけない、柵を巡らしてはいけないなど多くの制約があった。庶民のダーチャはその菜園で作物を作り、自給自足の足しにするもので、建物は農器具を置く程度、または雨宿り用、せいぜい、夏場のシーズン中の簡易宿泊程度で十分だった。 クラスノヤルスク郊外だけでも、そうしたダーチャ団地(協同組合のかたち)は1966年には312ヶ所あったと言う。クラスノヤルスク郊外に限らず大小の都市は、まわりがダーチャ団地で囲まれていると言っていい。ダーチャ団地はあらゆる所、生活不能な場所、例えば、『高圧線の真下、地下資源採掘コンビナートのスラグ山の上、ゴミ捨て場の近く、化学工場のすぐ隣などにすらできた』とサイトにある。エコロジー的に良好な場所や、都市からの交通の便のよい近郊はエリートの団地だった。 クラスノヤルスクのような大都会(2012年人口100万を突破、ロシアで14位)では自分のダーチャは、できる限り自宅アパートの近く、たとえばエニセイ右岸に住んでいるなら右岸の郊外のトルガシーノ村やサローキナ村などに、左岸のエニセイ上流に自宅があるならより上流の郊外に、などと自宅と同方向にダーチャを持つようにしている。大都市では夜遅くまでも渋滞が続くからだ。
アカデミガラドク方面は、住宅地としては1等地なので、その先(同方向の郊外)のダーチャ団地もエリート向けだ。都市部から最も近いところに超エリートのソースヌィ・コッテージ団地があって、そこを通り過ぎるとニューリッチのウダーチヌィ・ダーチャとコッテージ団地(タウンハウスも含む)がある。ウダーチヌィ団地はソ連崩壊後の最も早い時期から個人用住宅が建ち始めたところで、もとはウダーチヌィ・コルホーズがあった。 ウダーチヌィを道路の左に見てしばらく行ったところで、右へ曲がり、小高い段丘を、ヘヤピン・カーブを描いてぐるぐる回って登ったところが、元エニセイ河川運行会社職員用ダーチャ団地だった『マヤークⅠ』、その奥に『マヤークⅡ』がある。ここを、去年、タガンローク市(黒海方面)へ引っ越しした医師夫妻から70万ルーブル(当時のルート約220万円)で買ったそうだ。医師夫妻はエニセイ河川運行会社の職員から買ったはずだ。ちなみに、市の住宅地としては最も高級なアカデミガラドク地区の1階の2DKマンションは4年前 150万ルーブルで買ったが、リューダさんによると、今では400万(1千万円)以下では買えないそうな。 クラスノヤルスクは、2004年ごろから、他のロシアの都市でもそうだが、その中でも特に大建設ブームが続いているそうだ。住民一人当たりの新築住宅面積(0.873平米)はモスクワの約2倍だそうだ。それでも住宅は需要の方が供給よりずっと大きい。(『シベリアの家』誌2012年5月http://www.sibdom.ru/article.php?id=1159)。ソ連時代の都市計画から外れて都心近くの市街地に平屋建て家々が残っている地区(後述のスロボダなど)や、以前のダーチャ地区(農地)で市街地の膨張によって高層住宅地に囲まれるようになった地区などを撤去して、新住宅地にするか、近郊の村に付属して新たに団地を作っている。古い地所を売るにしても、集合住宅や、郊外の地所、そこに立つ一軒家を買うにしても、不動産の値は高騰する一方だ。リューダさんのダーチャの敷地内には真っ直ぐな松が何本も建っていて、トウヒやトドマツも1,2本ある。松の幹にはブランコを作り、片隅には畑を作っている、花も植えてある。あずまやや、ガレージ、バーベキューのできる炉もあり、蒸し風呂小屋もあって、シベリア風に楽しく休日が過ごせる。潅水用タンクが敷地の道路近くにあるのは便利だ。家の中には、先の住民が残していったもの、例えばタイプライターや、書籍、壁の絵、とってがスズ製で脱着のできるガラスコップなどがまだたくさんあった。立派な階段もあって、2階は寝室で、1階から2階へ突き抜けるペチカもある。 マヤーク団地を回ってみた。エニセイへの河岸段丘の上にあるので、見晴らしの良い絶壁も近くにある。段丘の下、エニセイ川岸に沿って延びているウダーチヌィ団地が見渡せる。さすが、いながらにして素晴らしい景色の見渡せる地所には、レンガ建ての立派なダーチャが建設中で、番人も犬もいた。 |
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ダーチャとコッテージ | ||||||||||
ダーチャは、市街地中高層住宅(アパート)にある本宅以外で、郊外にある菜園と夏用の簡易住宅のこと。だから極寒には耐えられないつくり(壁や窓が薄く暖房が弱い)で十分、電気はあっても上下水道はなく、普通は通勤不可能な場所にある。(政府高官、著名人用のダーチャを除く、こちらは『別荘』というイメージ以上だ)。土地利用形態では、ダーチャ団地は『宅地』の区分ではなく『農地』の区分に近く、『ダーチャ地』とされている。『ダーチャ地』には住民登録ができない。(1990年代後半からは、できるようになったダーチャ団地も現れた)。。
一方、コッテージは宅地付き個別住宅なのは同じだが、市の郊外、と言っても普通は通勤可能の距離にあって、コッテージが本宅となる。元々持っていた市街地中高層建築のマンションもそのまま持っていることもある。コッテージ団地は富裕層が住んでいるので、団地全体を囲って出入り口が一つ(火事など緊急用出入り口もある)で、入口に遮断機がついていて警備員がチェックする。また団地内は犬を連れた警備員が見回っているそうだ。団地内にはその住民だけの公共施設もある。まだ、ヘリポート付きのコッテージ団地もある。 ここ数年、不動産資本によってコッテージ団地が幾つも造成され、今やたいていの都市はコッテージ団地に囲まれていると言っていい。大都市ほど資本が集中しているので『特級』コッテージ団地が多い。クラスノヤルスクも、コッテージ団地で囲まれつつある。『特級』地でなくとも、自分の地面を買って自分の家を建てられるのは、もちろん一部の富裕層に限られている。不動産会社の広告によれば、デラックス・クラスからエリート、プレミアム、ビジネス、エコノミー・クラス等にランク付けされていて、超特級のデラックス・クラスはモスクワやサンクト・ペテルブルクにしかない(富は首都に集中され、シベリアはモスクワの植民地とさえ言う人がいる)。特級のエリート・クラスならクラスノヤルスクには4か所あることになっている。準特級のプレミアム・クラスですら小金持ちでは手が出ない。『並』のエコノミー・クラスでも立派なものだ。ランクは、森林、川などが近くにあるか、都心から近いか、工場地帯から遠いかなどの環境や、伝統(たとえば、もと党幹部別荘地だったとか)などによって決まっているらしい。 前記、ソースヌィ・コッテージ団地は、知事邸宅(別荘)もあって、ランク付けではエリート・クラスだ。1998年エリツィンと橋本がノーネクタイ会談をしたのも、ソースヌィだった。 リューダさんたちは、マヤーク団地の今のダーチャを買う前に、いくつかを回ったそうだ。候補になった場所は、どれも市の西部で本宅から近いところだ。その一つに、グレミャーチィ・ロッグ(グレミャーチは薬草の名、ロックは『窪地』)・ダーチャ団地がある。アカデミガラドクと市街地の間にかなり広い森がありその一角には塀で囲って見事に植林されたアカマツ林があった。その森の向こう側のエニセイ川へ下りる急斜面がグレミャーチィ・ロッグ(またはクリューチ、泉の意)ダーチャ団地だ。今、森を削り、斜面の上ぎりぎりにグレミャーチィ・ロッグ高層マンションが建設中なので、アカマツ林の中に道路ができた。 グレミャーチャ・グリーヴァ(グリーヴァはたてがみ、たてがみのような森のある長い山地・丘)はエニセイ左岸、クラスノヤルスク市の西に広がる台地だが、そこからエニセイへ注ぐ小川、または泉川が流れていた辺り(の窪地が)がグレミャーチィ・ロッグと言われている。小川はほとんど干上がっているらしい。今は、その斜面にあるダーチャ団地と、その上の高台にある建設中の富裕層向け高層マンション団地の名前になっている。 つまり、リューダさんは、グレミャーチィ・ロッグ・マンションの裏手の崖ぶちに建ち並ぶグレミャーチィ・ロッグ・ダーチャ団地の地所も検討したそうだ。ここはダーチャ小屋を取り払って平地にするとコッテージが立てられるが、急斜面にあり、急坂の道路も狭く、道路の先には怖そうな階段を上り下りしなくてはダーチャ小屋や菜園に行けないので、候補から外したそうだ。 リューダさんの候補地となった他のダーチャ団地も、車でまわってみた。道は舗装されてなく、板塀に囲まれた農家風の家が多いが、中には半地下ガレージ付きの瀟洒なものもある。数年前と比べるとこぎれいなダーチャが増えたものだ。みんなお金持ちになったわけではなく、貧富の差が開いたということだそうな。 郊外のプガチョヴォ団地も回った。比較的町に近く、森に囲まれ、エニセイ川からは離れるが、やはり工場地帯の風上にある市の西部なので、環境がいいことで、ダーチャ団地としては悪くない。 |
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