クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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home up date 31 May, 2011 (校正2011年6月28日,8月23日、12年7月31日、15年1月29日) 
ダーチャ(下賜されたもの)またはロシア的別荘(3)
  『晩秋の南シベリア、ハカシア・ミヌシンスク盆地再訪』のハカシア盆地ベヤ村到着から

           2010年10月25日

Дача (Осенью 2010 года)

(1) ニーナさんの甥のダーチャ
 クラスノヤルスク市とダーチャ団地の一部 
@トルガシーノ Aソースヌィ Bウダーチヌィ Cマヤーク 
Dプガチョヴォ Eミーニノ Fドロキノ Gリビニーノ 
Hアレイスコエ Iソールニチニィ J空港(エメリヤノヴォ)
ニーナさんのサローキナ村のダーチャ
収穫物の保存
ダーチャ恩赦法
(2) ダーチャの国ロシア
ダーチャの歴史
クラスノヤルスクの不動産業
ゼレノゴルスク市のダーチャ
リョーバのダーチャ
ウダーチニィ地区
ドロキナ村のフェージャの家
今、ダーチャ
(3) 追記2010年シーズンオフだがダーチャ
(4) 追記2011年リューダさんのダーチャ
 2009年夏、クラスノヤルスクからハカシアを訪れ、南シベリアの古代文明遺跡など訪れ、発掘にも参加した。今回2010年、10月24日にクラスノヤルスクに到着し、26日から2週間の期間、ハカシア・ミヌシンスク盆地をまわった。その折、ハカシア出発の前日10月25日には、クラスノヤルスク郊外のダーチャを訪れた。
以下の文は当サイトの
晩秋の南シベリア、ハカシア・ミヌシンスク盆地再訪(1)ハカシア盆地のベヤ村到着
 
の一部を転載したもの。 
 シーズン・オフだが、クラスノヤルスクのダーチャ
 10月25日(月)は、私への個人招待状をだしてくれたディーマさんの会社のために通訳したり、滞在手続きをとったりするために過ぎた。ディーマさんの招待ではこうした非観光の日が1日以上あるのはやむを得ない。どうせ、何日滞在しても、特に滞在費が増すと言うことはないのだから、喜んで協力する。
 私のロシアでの携帯電話は5年も前に買ってディーマさんの奥さんのリューダさん名義でMTSと言う会社に登録したものだが、料金表が替わっていたのでリューダさんに来てもらって登録しなおした。それから、最近リューダさんたちが買ったと言うダーチャ(ロシア風別荘)に彼女と行って、まだ枝に残っていた橙色のシーバックソーン(グミ科ヒッポフェア属スナジグ、サジー)の実を食べたり、写真を撮ったりした。
 事実、10月後半はダーチャ・シーズンも終わっていて、道には大きな水たまりがあり、人影も見えず、松葉の他には緑もなく、花も咲いていない。風の音しか聞こえなくてさびしい。

 クラスノヤルスク市郊外には(どの都市の郊外にでもだが)、ソ連時代に市のはずれにある非耕作地(だから荒野)が各国営企業に与えられ(貸し出され)、各企業はその土地を、基本的には6アールごとに細分して社員に与えた(貸し出された)というダーチャ団地があちらこちらにある。例えば、クラスノヤルスク南東のトルガシーノ地区のはずれにあるダーチャ団地は、『クラスノヤルスク重機』社の社員に分配されたものだ。クラスノヤルスク北東にだけはダーチャ団地はない。なぜならアルミ工場があって環境が悪いからだ。
 市の西部で、エニセイ川上流方面、プガチォヴォ村外れ、ミーニノ村外れ、空港のあるエメリヤノヴォ方面、北部のソールニチヌィ区外れなどに大きなダーチャ団地がある。ソ連時代、(国営)企業から土地を与えられた(ほぼ無料で貸し出された)市民はそこに自給自足用の菜園を作って、もののない時代をなんとか過ごしたそうだ。だから、各ダーチャ団地には家族ごとの6アールの区画がぎっしりあって、土曜日と日曜日には畑仕事をするため都市部から家族がやってきた。自分に『給与・下賜』された区画に、自分で建てた家(だから不細工のもの多い)で週末は寝泊まりし、自分でビニールハウスを作り、キュウリやトマトなどの菜園用の畝を作り、ブルーベリーなどのコケモモ類やラズベリーなどの木イチゴ類、カシスなどのスグリ類、シベリアリンゴや桃などの実のなる木を植え、土地が広ければジャガイモも植え、水を貯めるドラム缶も置き、余裕があれば蒸し風呂小屋やガレージも建て、都会の本宅アパートから(不用品の)家具を運び快適化を図り、もちろん自分の土地を囲む板塀も作った。ここまで労力をつぎ込めばダーチャと言われ、まだそこまで至っていないような畑の畝と物置小屋兼雨宿り用だけのものも、ダーチャと言うこともあるが、アガロードогород(畑・畝)とも言う。(企業組合によっては、ダーチャとは別にジャガイモ用の土地(野原)を耕作期間のみ賞与した場合もあった)
シーズン・オフのマヤーク・ダーチャ団地、
道端には薄雪も
ダーチャの門の鍵を開けるリューダさん
ダーチャの庭に何本も生えている木々
 
 そうした庶民用ダーチャ群とは違うところに、政府関係者エリートのダーチャがある。ソースヌィ別荘地は市の南西、つまり、市内を流れるエニセイ川の川上の超一等地にある。そこは警備されていて、入り口には遮断機があり、周りも木々と塀で囲まれているので、どんな建物が何軒あるのかもわからない。ヘリコプター発着場も遮断機の近くに作られている。ソースヌィを通り過ぎてさらにエニセイ川に沿って川上に行ったところにあるのが、ウダーチヌィ高級ダーチャ団地で、この二つはクラスノヤルスクの市街地が終わってしばらく林の中を行ったところの近場にある(行政的にはクラスノヤルスク市内)。本宅や仕事場のある市街地から近くにある土地ほど、高いものだ。ソースヌィのダーチャは道路からは見えないが、ウダーチヌィ団地には立派な2階建てレンガの一軒家が建ち並んでいるのが見える。美しくレンガを積み重ねた塀や門も『別荘』と言うにふさわしい。木造では『田舎家』、レンガ造りだと『お屋敷』となるだろう。『お屋敷』には、自給自足用菜園の畝はない。ウダーチヌィは、ソ連崩壊後のニューリッチの別荘団地らしい。
 
 リューダさんのダーチャ(別荘)は、1等地ウダーチヌィを通り過ぎて、エニセイ川を離れ、急な山道をぐるぐる回って登った先のマヤーク団地の一番遠い外れにある。マヤーク・ダーチャ団地はマツ林に囲まれていて、団地外れの区画地は、もう松林の中に入り込んでいる。つまり地所内に、何本も高い松が生えている。リューダさんによると、ここは、元々はエニセイ河川運行会社の(上級)社員に与えられたダーチャ団地で、後にその1軒を買った医師夫妻が何年間か住んでいたが、彼らが引っ越すことになったので売りに出された物件だそうだ。70万ルーブリ(購入は2010年春だったと言うからその時のレートで約220万円)で買ったと言う。古い木造の2階建ての家が建っているが、これが、もっと状態の良い家ならば、ダーチャの値段もその2倍はするそうだ。レンガ建てなら、もっとする。
 思い立って突然行ったので、リューダさんは鍵を持っていなくて、家の中には入れなかったが、庭は見せてもらった。真っ直ぐな松の幹を結んでブランコもある。落ち葉を踏んで歩きながら庭の木々に感心したり、まだ残っていたシーバックソーン(スナジグミ、ヒッポフェア)の実を試食したりした。リューダさんはガレージとあずまやがあると自慢していた。ディーマさんとリューダさん一家はアッパー・ミドル・クラスだから菜園は特に作らない。夏に時々来てバーベキューをする程度だ。
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