クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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home up date 12 May, 2016 (追記 :2016年6月3日,11月10日、2017年6月9日、2019年1月12日、2019年12月16日、2021年11月22日) 
33-2 (7)   北ロシア,ウラル山脈北西コミ人たちの地方 (7)
    コミの原生林を行く(2)
           2015年7月20日から8月6日(のうちの7月31日から8月1日)

Путешествие по КОМИ 2015 года (20.07.2015−06.08.2015)

月日 目次
1)7/20 コミ共和国 S.ペテルブルク着 S.ペテルブルクの住宅事情 詩人・シュメール学博士
2)7/21-7/22 北ロシアに向か ヴォログダからトッチマ スホナ街道 大ウスチュク アルハンゲリスク州 ゥイブ大村
3)7/23-7/24 コミ地図
スィクティフカル市
コミの鉄道 幹線と支線 コミ人のウドール地方へ ウドールの歴史 メゼニ川のパトラコーヴォ村
4)7/25-7/26 大プィッサ村 郷土史家ロギノフさん 郷土芸能家アンドレーエヴァさん マーガレットの絨毯 ホロムイイチゴの沼 ムチカス村
5)7/27-7/28 先祖伝来の狩場 隣村のコンサート 天空の村 メゼニ川沿いの村々
6)7/29-7/30 菱形のコミの対角線上を行く コミ環境地図
ロシア初の石油採掘
ぺチョーラ川を渡る ヴクティル市 ぺチョーラ川を下る 国立公園『ユグィド・ヴァ』
7)7/31-8/1 ユグィド・ヴァ地図
シューゲル川を遡る
『中の門』と『上の門』 ルブリョーヴァヤ停泊小屋 小パートク川 大漁サーモン
8)8/2-8/6 北ウラルを去る スィクティフカルからヴォログダ スターラヤ・ラドガ ブルーベリー
 シューゲル川を遡る
『ユグィド・ヴァ』国立公園南部
(12)シビリャコーフの道 (8)旧ミチャベチェヴィク村
 7月31日(金)。朝6時にはテーブルを戻してみんなで朝食を食べていた。医療用アルコールと言うのも、私と助手とモーター・ボートを運転するヴァロージャ以外は飲んだ。ヴォロネジ大学院のグループはまだ寝ているようだった。彼らは最上流から下って来て、この地点が旅の終わりだ。
 7時過ぎには出発した。この日からは、3日間、シューゲル川を航行するか、川岸に停泊するかだった。
 ロシア連邦の河川資料にはシューゲル川は延長300キロと載っている。この川は全長が『ユグィド・ヴァ』国立公園内にあり、北ウラルの山中の海抜750mに発し、ほぼ100キロは真っ直ぐ北へ流れる。その100キロは深いシューゲル川谷を挟んで右岸と左岸にはウラルの支脈が南北に走っている。その中でもテリポシス(*)という『北ウラル』でも最も高い山を過ぎると西へ曲がる。そこはちょうど『北ウラル』と『亜北極ウラル』の境目になっている。テリポシス山を曲がってからは、シューゲル川は大きく南北に蛇行しながら原始の針葉樹林と湖沼地帯を西へ流れて、ペチョーラ川右岸に合流する。私たちは、この先3日間でシューゲル川の下流の針葉樹林帯と湖沼地帯を、ほんの90キロほど遡っただけだ。
  (*)テリポシス山 1617m。Тельпосизコミ語で『風の巣の山』の意。何故ならその山周辺はいつも天候が悪いことで有名で頂上から強風が吹く。この地方の先住民ネネツ語ではネ・ヘヘ、マンシ語ではネ・ププィギ・ヒョル。

 ヴァロージャが船尾でモーター・ボートのかじをとり、先頭にセルゲイさんがビデオ・カメラを手に座り、私とジェーニャは中ほどに座り、行っても、行っても川面と岸辺の木々と空しか見えない無人のシューゲルを、4人ともほぼ無言で航行して行った。ウラル山脈のこんなに近くに流れているのに、シューゲル川は広く浅い川だ。10月終わりから6月初めまでは全面氷結するそうだ。
広く緩やかなシューゲル川
コミの地方紙に載った日本からの旅行者の記事
シューゲル川の『下の門』
浅瀬を切り抜ける

 原生林を流れる川なので、これ以上ないほど清い。ジェーニャが走るボートから直接川の水をコップですくって飲む。こんな水の飲み方は初めてだ、と感動している。セルゲイさんが私にも勧めて、
 「お味は?」と聞く。普通の水の味だったが
 「ああ、おいしい」と答える。それをセルゲイさんがビデオに撮り、後にユーチューブに載せていた。また、その時の写真が後にコミの地方紙に載っていて、『日本からの旅行者もコミの美を鑑賞する』となっている。救命ジャケットと言うか救命胴巻きを巻いている。
 川面には岸辺の樹冠の尖った木々が逆さに映っている。透明で浅い川なので船べりから顔を出すと川底がみえる。大西洋鮭(アトランチック・サーモンсёмга)が産卵する川だそうだ。
 岸には濃い緑の針葉樹しか見えない。出発から30分程のところで右岸に、屋根のある小屋と『火の用心』の看板が見えた。ミチャベチェヴニク Мичабечевник(コミ語で、停泊できるような美しい岸辺の意)と言う昔は漁師や猟師の集落があったところで、1970年代までは水量調査基地があり、その後は、インスペクターや旅行者停泊所になっているのだそうだ。

 やがて、シューゲルの見どころ『下の門』に近づく。広かった川幅が次第に狭くなり、なだらかだった岸辺に岩壁が迫ってくる。川幅はすっかり狭くなり、両岸から垂直の岩影が迫り、本当に門を通過するようだ。水面までせり出た岩には深い穴があいている。ボートで入っていけそうな洞窟だ。そんな洞窟前のちょうど門の真下でボートを止め、セルゲイさんが大声で
 「ピシュガック、いいかっ」と叫ぶ。こだまが
 「いいっ、いいっ、いいっ」と返ってくる。これはつまり1杯やってもいいかと言うことで、『門の主・ピシュガック Пишгак』に許しを乞うたのだ。スラヴの伝統的な(つまり異教の)信仰では家や建物の主はダモヴォイと言い、それのコミ版がピシュガック。「だめかっ」と聞けば「だめェッ、だめェッ、だめェッ」と答えるだろうが。
 3人の男性は『門の主』の許しをもらったので、ヴォッカを1杯ずつ注ぎ、キュウリのピクルスと黒パンのひとかけらを肴にぐっとやる。
 シューゲル川は全体が浅い川だ。私たちのボートはコミ風の細長く喫水(吃水)が浅いボートで、たぶんエンジンも浅くついているのだろうが、それでも浅瀬にはまってしまった。エンジンを止めて、セルゲイさんが川に入る。膝までもない。船縁からのぞいてみると、本当に30センチくらいの浅さで川底の石がよく見える。漁師用の深長靴をはいているセルゲイさんが船をひっぱり、ジェーニャとヴァロージャは竿で川底を押している。私は、座って心配そうな顔で見ていただけだ。屈強な男性3人のおかげで浅瀬を抜ける。浅瀬ならば、波だっているとか、泡ができているとか、渦がまいていれば遠くからわかるが、ここはただ水深が浅いと言うだけだった。シューゲル川は静かに流れる川だ。仇波なんか立たない。
 『中の門』と『上の門』
 そしてまた単調な航行が1時間ばかり続くと、インスペクターや旅行者用停泊所を示す看板が見えてきた。流れの内側にあるのか、砂利の広がった川岸があって、ヴァロージャはボートを舫いだ。『ユグィド・ヴァ国立公園、ボリショイ・パートク旅行者用停泊地』と書かれた看板の横には、この上流と下流の停泊地の位置と距離を描いた看板と、公園の説明が書いてあった。上陸した以上は、男性たち3人はいつもの1杯とピクルスと黒パンの儀式を執り行い、それから写真を撮り合った。
寒かったのでこのいでたちだが
『中の門』
『上の門』近くの小川で、ヴァロージャが
滝へ行かずに私と残ってくれる
ジェーニャ

 ここは北緯64度と、北極圏に近い。64度と言えば、ベーリング海峡くらいの位置ではないか。さらに、川の上をモーター・ボートで風を切って走るので、8月初めでも寒い。私はあるだけのセーター、カーディガンを着て、日本から持ってきた長めのダウンのコートを着、フードもかぶっていた。おまけに橙色のウレタン救命具もおなかに巻いていた。ズボンはダウンのズボンも含めて3枚はいている。特に、コートのフードにふさふさの毛がついていたのが、輪をかけて、出身不明の謎の民族に見えたのかもしれない。ジェーニャが笑って、
 「関東軍の兵士のようだ」と言う。でも、寒いんだもの。不格好な救命具もお腹から外すわけにはいかない。ふうん、こんないでたちはロシア人には敗残の関東軍兵士のように見えるのか。ジェーニャは、Балтийский государственный технический университет ≪Военмех≫ имени Д. Ф. Устин(バルチック国立軍事工学大学と訳せるか。≪Военмех≫と言うのはВоенно-механическийの略、つまり軍の工学)という大学の政治学部出身だから、日ロ関係にこだわるのか。普通のエンジニアだったセルゲイさんや、ベラロシア出身のインスペクターのヴァロージャさんにはそんな連想はわかなかったらしい。
 しょげた私は、顔の周りのフードのふさふさの毛だけは外して、やはり寒いのでそれを首に巻いた。

 ボリショイ・パートク(大パートク)川と言うのは121キロもあるシューゲル川の右岸支流で、北から流れてくる。ボリショイ・パートクはなかなか広い川だ。シューゲル川の合流点からボリショイ・パートクの上流を見晴らすと、北ウラル山脈が見える、と言う。ウラル山麓までペチョーラ川低地が広がっているのだから、晴れていれば、樹海の上に山脈の姿も見えるだろう。ボリショイ・パートクの最も上流にはサーブリャ山(1497m)と言うサーベルに似た形の良い山があって、ジェーニャは見たがっていたが、生憎視界はよくなかった。
 ここを過ぎると『中の門』に近づくことになる。これは3つある門のうち最も高い。両岸の岩山はみごとに垂直にそびえ、間も狭い。通り過ぎる時には洞窟がいくつも見えた。水面に半分浸かっている洞窟もある。この狭き門をゆっくり鑑賞し、出口のところで、セルゲイさんはまた「いいかぁ」と叫び「いいゥ、いいゥ」と言うこだまの返事をもらって、ヴォッカを注ぎ合っていた。
 『中の門』を過ぎると、よく知られた暗礁があるので、男性たちは竿を持つ。この暗礁は流れも急で白い泡が立つちょっとした難所だった。『中の門』と『上の門』は9キロしか離れていない。『上の門』はシューゲル川の最下流(ペチョーラ川への合流点)から73キロ。
 『上の門』は遠くから見ると最も狭く見える。これは川が湾曲しているからだ。この右岸には有名な名所がある。それは、岩山の隙間を流れる小川を上って行ったところにある大きな滝だ。小川の岸辺にボートを止め、セルゲイさんとジェーニャは登って行った。私はパス。一緒にヴァロージャさんも残ってくれた。20分ほどで二人は戻ってくれた。
 『上の門』の水面の岩には特に多くの洞窟があるせいか、白い泡の細かい渦模様がきれいだった。そして、ここでも、ボートを岸に寄せて、3人の男性は何回目かの儀式を執り行う。と言うより、理由もなくただ飲むと言うのは品格のある飲み方ではない。何か納得出来る口実があって、それに乾杯して飲むのが正しい流儀だ。
 ジェーニャは昨夜ヴォロネジからの院生たちに付き合い、今日はこうして杯を重ねて、景色は単調だし、ちょうどいい具合に揺れるので、ボートの船底で寝てしまった。
 ルブリョーヴァヤ停泊小屋
 3時過ぎ、左岸に小屋が見えた。これがルブリョーヴァヤ停泊地だった。シューゲル川を91キロさかのぼったところにある。停泊地の小屋は、洪水で流されないようすべて高台にあり、もちろん階段はなく、踏み固めた足跡をたどって登る。ボートからすべての荷物を運びあげる。細長いボートの4分の1の場所を占めていた荷物、セルゲイさんの釣り用具、ヴァロージャさんが用意した調理用具などだ。食器、鍋、フライパン、調味料をはじめガスコンロやガスボンベも原始の森と川で生活する必需品らしい。私の私物には蚊よけネットや蚊取り線香などもある。これも必需品。
ルブリョーヴァヤ停泊小屋に近づく
奥の部屋の板ベッドとテーブル
前の明るい部屋で調理
1時間でバケツ一杯のサーモンを釣ってくる

 小屋は大きな奥の部屋と前に明るい部屋に分かれている。奥の部屋には10人ぐらいはごろ寝ができる長い板ベッドと暖炉、テーブルがあるが、窓がないので暗い(が、熱が逃げない)。暖炉の周りには物干し用の針金が通じていて、濡れたものが乾かせる。前の明るい部屋は、ヴェランダ、または夏用キッチンと言うのだろう。ドアと、ガラス窓なんかがあるので、寒い部屋だ。ここで、ヴァロージャさんは持ってきた肉の缶詰を開け、マカロニを入れてすぐさまスープを作りだす。朝食の後、ヴォッカの肴の黒パンとキュウリのピクルスの他は食べていないのだから。
 お代わりして、みんな満腹になった5時頃、男性3人は船に乗って釣りに出かけようとする。女性がいると魚は寄って来ないので、私を連れていけないと言われる。ロシアではよく言われている憎むべき迷信だ。
 「いつ帰ってくるの?」ときつい声で、ヴォロージャに詰問すると
 「1時間後に」と言う答え。まあ、1時間なら、こんなところに一人でいてもいいかと、許してやった。「必ずよ!」とも念を押して。
 本当に1時間後には3人は、バケツに満杯の魚を持って戻ってきた。興奮したジェーニャの言うには、
 「釣竿を下ろす度に、食いついてきた、こんなによく釣れたのは初めてだ」。それもそのはず、『ユグィド・ヴァ国立公園』内では禁漁で、魚たちも安心して暮らしているからだ。インスペクターのヴァロージャさんは、
 「魚をとることは、もちろん禁止なので、写真に撮らないでほしい。先般、魚を釣っている写真がユネスコに届いて、問題になったことがあるから」。セルゲイさんは、
 「売るために釣るのではなく、自分たちが、今、食べるためになら釣ってもいい。長期の旅では、全食料を持参することは難しいから、調達しながら旅するものだ」と言う。そう言う訳で、釣っている所や料理しているところは写真に撮るのは好ましくないが、自分たちの食用になら、バケツに何杯も釣ってもいいと言うことだ。
 この3日間、アトランチック・サーモンを4人でいやと言うほど食べた。3度3度サーモンだった。
 まずは、この日の8時半には、お皿に山盛りのサーモンの空揚げの夕食だった。料理をしたのはジェーニャで、上手に手早くバケツ一杯のサーモンの頭とはらわたを取り、鱗をそいで、輪切りにして、小麦粉をつけ次々とフライパンで焼いていた。私はその手際を眺めていただけだ。
 ジェーニャはまた川から水を運ぶと言う力仕事もやってくれた。9時を過ぎると小屋の周りは薄暗くなってきた。空はまだ明るいのに。
 この、リブリョーヴァヤ停泊小屋は、インスペクター達が自分たちで建てたものだそうだ。奥と前に部屋のある大きな小屋のほか、『一応の』蒸し風呂小屋と、ゴミ用の穴、薪小屋、トイレ小屋もある。ヴァロージャさんもここを建てたが、特に自慢なのは屋根のある焚火場だ(下記)。
 奥の部屋の板ベッドの端にヴァロージャさんが自分の寝袋を敷いた。その隣がセルゲイさん、そしてジェーニャ、最も壁際は私の場所だった。だが、ジェーニャはセルゲイさんのいびきがうるさいからと、前の部屋の狭い椅子の上で寝た。奥の部屋に私は蚊取り線香を3本建てた。ヴァロージャさんはそんなにいらないと2本消したが、私はあとで1本付け加えた。蚊取り線香の匂いは私には、安心の匂いだ。子どもの頃からの匂いだ。だが、ロシア人は好まない。
 いつものようにマスクをして眠剤を飲んで寝袋にもぐって目をつむり、あとは知らない。
 小パートク川を遡る
 8月1日(土)。5時頃起きてみると、この日はすっきりとした青空だった。青空のもとでは川面も青く見え、草も目も覚めるような緑で、ヤナギランの赤紫が美しい。見下ろすと岸辺に私たちの船が、燃料タンクを摘んで浮かんでいる。帰りの燃料だ。
ヴァロージャさんが焚火になる丸太を運んでくる
注意深く沿岸を眺めるヴァロージャさん
深長靴のセルゲイさんがボートを誘導してくれる
水草の間にボートを残して上陸
フラッシュで写したチュムの中
ツーリスト

 『ユグィド・ヴァ国立公園』では動植物に手を出してはいけない。木を伐採してもいけないが、ヴァロージャさんが長い丸太を肩に担いで裏の森から出てきた。古くなった木や、枯れた木、つまり森の不要な木だと言う。本当に中が空洞のパイプのような丸太だった。だから肩に担いで運べたのだ。それをジェーニャが斧で割って、火にくべられるような大きさにして、薪小屋に積む。働き者のジェーニャだ。インスペクターのヴァロージャさんは、私たちが快適に旅ができるよう世話を焼いてくれる。セルゲイさんはビデオ・カメラと釣竿を持って、グループのリーダーのようだ。私はなんだかよくわからずに、特に何も手伝わず、どちらかと言うと邪魔な一員だった。
 9時半、シューゲル川のもっと川上へ向かう。どこまで行っても川幅が広く、穏やかに流れるウラルの川だ。水面には岸辺の樹冠の尖った木々が映っている。ヴァロージャはモーター・ボートの舵を取りながら、注意深く岸辺を眺めている。火災が起こりそうでないか、動物の影が見えるか、密漁や密猟の跡がないか、何か不審なことがないかなどとパトロールの目的もあり、ガイドと同時にそれが彼の仕事だ。私はここで仕事もなく、やることもなく、ただ水と空と岸辺の緑を眺めているだけだ。岸辺には時々岩肌が現れる。斜めになったミルフィールのような地層のはっきり見える断崖だったりすると、一応写真を撮る。ウラル山脈は何しろ現存する山脈でも最も古いものだそうだから。このミルフィーユが古いものかどうかわからないが。
 1時間も行くと、マールィ(小)・パートク川の合流点に出る。『中の門』と『下の門』との間にシューゲル川に注ぎこむボリショイ(大)・パートク(121キロでシューゲルの支流中では最長)とほぼ平行して北東から流れるので、大パートク、小パートクと言う。マールィ(小)の方は73キロで、シューゲル川支流中第3位の長さ。ヴァロージャはこのマールィ・パートクを遡ろうとした。よい漁場があるのかもしれない。しかし、合流付近は浅瀬がある。波立っていて暗礁もあるかもしれない。
 ヴァロージャさんが岸辺近くに船を寄せると、スイレンのような水草に囲まれてしまった。浅いのでエンジンは使えない。櫂で水面を押して進むうち、深長靴をはいているセルゲイさんが川の中に入って、ボートを引っ張る。ボートが動いたので、セルゲイさんは岸辺に上がって歩いて川上に向かい、私達(私以外の)はボート内で櫂で川底を押して上流へ進む。
 結局、スイレンのような水草が一面に生えている沼地にボートを残して私達(私を含む)も上陸した。私はセルゲイさんにおんぶしてもらって上陸できた。上陸したところは停泊地になっていて、白いテント地のチュム(北方民族の移動式円錐形住居)があって、その前には一杯やれるようなテーブルがある。屋根のある小屋は荒天用か寝るだけのためで、楽しいことは青空のもとでやるものだ。
 ヴォッカの肴は、もうピクルスではなく、昨日ジェーニャがバケツ一杯用意したアトランチック・サーモンの空揚げだった。近くの森の端には野生のネギ(の一種)がいくらでも群生している。サーモンを手づかみでほおばり、ネギをかじり、杯に注いだヴォッカを飲んでいる。黒パンもテーブルに並んでいた。
 チュムの中をのぞいてみる。窓がないので真っ暗だった。中央には鉄製のストーブが備え付けてある。木の寝台が4台あって、マットレスは天井の梁に干してある。鍋もフライパンも食器もある(カメラのフラッシュで見た)。チュムの横には蒸し風呂小屋もあり、薪も積んであった。清潔とは言えないが、それなりに整った停泊地だ。最後に停泊したのは誰だろう。無人小屋の規則で、次の人のためにちゃんと整頓して去って行ったのだ。
 後で、ジェーニャに聞いてわかったのだが、これは『ユグィド・ヴァ国立公園』が建てた宿泊施設ではなく、ガスプロム(天然ガスの生産供給では世界最大のロシア半国営企業)が自分たちの社員用に設置したキャンプだった。道理で、『建築様式』がルブリョーヴァヤなどのインスペクターが建てた他の宿施設とは違う。
 11時過ぎにはボートに戻る。10分ほど行ったところで岸辺に二人の旅行者が見えた。黄色い屋根だけのテントと小さなモーター・ボートがあった。私たちのようなコミ風の細長いボートに船外機をつけたものではない。私たちのように便利な停泊小屋を利用するには有料だが、彼らのように野宿する時は、停泊小屋の使用料は払わなくてもいい。
 また10分ほど行ったところに『ユグィド・ヴァ国立公園マーリィ・パートク停泊地』と看板が見えた。ここでまた上陸する。ヴォロージャさんが火を焚いてお茶を沸かしてくれる。高台にあって眺めがいい。セルゲイさんは川岸から離れないで、魚釣りに専念している。
 サーモン料理で乾杯
 マールィ・パートクも1時間ほどで引き揚げ、先ほどのツーリストの岸辺も通り過ぎると、セルゲイさんはまた、ボートから釣り糸を垂れる。川は下っているのでモーターを回さなくても自然にゆっくりボートは流れている。ここの魚は飢えているのか好奇心旺盛なのか、本当に釣り糸を下ろす度に魚が引っ掛かってきた。バケツはすぐいっぱいになり、私は日本から持ってきたポリ製スーパー袋を貸してあげた。袋の中で、大きなサーモンが暴れている。セルゲイさんはげんこつで頭を殴って安楽死させてはいるが。
サーモンのはらわたを取る
屋根付き焚火小屋
石で囲った焚火にやかんをかけてお茶を飲む
午前1時45分。川岸につないである私たちのボート

 小さな魚は、川に戻す。しかし、喉から釣り針をえぐりだされて、果たして川に戻されても延命ができるか。セルゲイさんによると傷はすぐ治って、また成長すると言うが。きっと、小さな魚は邪魔だから川に捨てているのだ。ポリ袋も満杯になって持ち手がちぎれそうだ。安楽死できないサーモンが袋から飛び出て船底をのたうちまわっている。
 2時間近くも漁をして、近くの砂利の岸辺に上がった男性たち3人は腰からナイフを取り出すと、サーモンの腸(はらわた)除去にとりかかった。生ごみはみんな川に流せる。そしてボートに乗り、また釣り糸を垂れる。マールィ・パートクを出発してから3時間以上も釣りを楽しみ、夕方5時近くに元のリブリョーヴァヤ停泊地に戻った。
 料理係のジェーニャは大量のサーモン処理で忙しくなる。ジェーニャは釣竿を持ってきてないので、時々、ヴァロージャさんやセルゲイさんから借りて釣っていたのだ。この旅では、ヴァロージャさんは案内する人、セルゲイさんは釣る人、ジェーニャは料理する人、私は見ている人となった。
 ヴァロージャさんは私が何も仕事をしていないとみて、ニンジンを切るよう言い渡した。ジェーニャがサーモンの輪切り唐揚げを作っている間、ヴァロージャさんはスープを作り、セルゲイさんは、屋根付き焚火場で火を起こしている。人参切りはすぐ終わった。ぴちぴちのサーモンを全部空揚げにするのはもったいないので、刺身でも作ってみようかと思った。なにしろ、ロシアでは日本人を見ると「スシ、サシミ、テンプラ」と言うではないか。サーモンの刺身はつくったことはないが、こんなふうにさばくのだろうと、皮をはいで3枚に下ろした。しかし、小骨が無数にある。指で抜いていったが身が乱れた。適当に抜いて塩を振っておいた。短冊に切って醤油とワサビがあれば刺身だろうが、ひとまず、身のまま、奥の部屋の棚にあったアルミホイルで巻いておいたが、何だか食べる気がしなかった。この状態ではフィレー филеという。(後のことになるが、他の3人も食べなかったので、次の日に寄ったシューゲル川の最川下のインスペクター詰所でミハイロヴィッチさんにあげた。彼はすぐ食べた。おいしいとは言っていたが変な顔をしていた。塩と砂糖を間違えたのかもしれない)
 6時過ぎ、屋根付き焚火小屋で食事の準備ができたらしい。この屋根付き焚火小屋と言うのはヴァロージャさんたち『ユグィド・ヴァ国立公園』インスペクターの自慢施設らしい。かまぼこ型で金属製の高い屋根があって火災にはならないし、四方からの風通しはいいが、小雨ぐらいでは火は消えないし、真ん中の石で囲った焚火では鍋を掛けてスープも作れ、やかんを掛けてお茶も飲める。焚火の周りには木の椅子もあり、支柱には袋も下げられるよう釘も打ってある。焚火に当たって、開けた四方からシューゲル川や川岸も見わたせる。
 真っ青な空で太陽もまだ高い。3人はヴォッカをやっている。セルゲイさんがビデオ・カメラをセットして、全員にインタビューした。これは、後にセルゲイさんがプロ並みの編集をしてユーチューブに載せたのだが、編集はプロ並みでも、私のまずい顔や下手なロシア語をビデオで撮られている動画の場面を、視聴者はとばして見てくれるといいな。
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