クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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home up date 06 April, 2017 (追記・校正: 2017年 5月8日,5月31日,9月9日、2019年1月13日、2019年12月16日、2021年11月24日)
34-2 (2)    2016年 北ウラルからペテルブルク (2)
    コミ共和国、かつての水晶採掘場へ
           2016年8月11日から8月20日(のうちの8月13日から8月15日)

Путешествие по Коми и Петербурге 2016 года (11.8.2016−20.8.2016)

1)8月2日から8月10日 トゥヴァからサンクト・ペテルブルク
2)8月11日−8月20日 コミ共和国の北ウラルからサンクト・ペテルブルク
  8/11-8/12 スィクティフカル着 ミクニ駅から北へ(地図) 超高駆動車 ユグィド・ヴァ国立公園(地図) 水晶の道
 8/13-8/15 北ウラルのクォーツ(地図) 坑道 ツンドラ草原 亜北極圏だが 若返りの湖
  8/16-8/17 インタ市 貯水塔 パーキング コミ人たちの古都 大学博物館
  8/18-8/19 ペテルブルクの双子姉妹 エルミタージュ シュメール学博士 噴水のペテルゴフ 深夜、ネヴァ川の橋
3)8月20日から9月5日 北カフカスのオセチア・アラニア共和国からサンクト・ペテルブルク
 北ウラルのクォーツ
赤い家はジャランナヤ 1.バルバニユ川 2.大バルバニユ湖
3.小バルバニユ湖 4.グルベペンディ湖
5.上バルバニユ湖群 6.ナーロダ山 7.バルコーヴァ山
8. エルクセイ山 9.ペレンギチェイ川
 8月13日(土)。早朝に外に出てみると、北極圏晴れのよい天気だった。ちなみに滞在中はおおむね晴れていた。これは、鉱山の宿直職員に言わせるとめずらしいことだそうだ。おまけにこの季節に蚊が一匹もいないというのは、よほど私たちはラッキーなのだという。ほんの数日前まで蚊がうじゃうじゃいたそうだ。
 ここは、なだらかなバルバニユ川谷になっていて、草原のかなた下の方には河原が見え、その向こうには昨日通ってきた道が薄茶色の線となって見えた。
 反対側を見上げるとジェランナヤ坑道へ続く水晶敷きの登り道が見え、その終点には、なんだか古びた機材が放置してある。

 北ウラルのクォーツは1930年代から調査され、専門家の試算によると、ここにはロシアのクォーツ埋蔵量の60%があるそうだ。かつては軍事・宇宙産業用の電子機器などに応用され、産地は極秘で、暗号名で呼ばれていた。
 北ウラル西の産地は『105』とか言って、本部はインタ市にあった。『118』とかいうのはウラル東のサランパウリ Саранпауль村(ハンティ・マンシ自治管区、オビ川の3世代支流のリャーピン川辺、亜北極ウラル山脈の東斜面)にあった。
  『105』の第1区が後にジェランナヤとなり、第3区がハサバルカとなった。ハサバルカ川はコジムの上流右岸支流、バルコヴァ山西斜面のジェランナヤからかなり離れているが、そこでは60−80年代アメジストが採掘され、『コジム・ゲーエルエーГРЭ(ゲーエルエーとは頭文字)』村があった(今はない、トラクターなら通れるような道は残っている)。
 産地ジェランナヤは1948年に開発が始まり、1960年代末に鉱坑が掘られ(それまでは露天掘り)、スタッフのための坑夫村も作られた。1980年代はソ連邦内の主要な piezooptical Quartz(圧電性結晶)鉱山であり、坑夫村にも数百人のスタッフが住んでいた。スタッフのための長屋(寄宿舎)のほか、ホテルやカフェ、ビリヤード場、パン焼き小屋まで建てられ、採掘したクォーツは馬ぞりでなければヘリコプターで運ばれたとか。ソ連崩壊後の1996年からは、有限会社『コジム調査発掘』の名称で稼働している。しかし、現在は採掘していない。採掘すれは赤字経営になるからとか。(ジェランナヤ村の前身ペレンギチェイについては下記)
 ちなみにジェランナヤは『ユグィド・ヴァ』国立公園内にある。公園内では一切の生産活動は禁止されている。狩りも漁も農耕もだめだ。しかし、ジェランナヤはユグィド・ヴァ公園成立前から採掘を行っていたので、生産活動はできるとか。
 旅行者用の設備の整ったホテル(ペンション)も建てられ(公園内で観光業も公園管理者のみが許可されているはずだが)、インタ駅から、そのペンションまで120キロは、会社のトゥレコルで送迎している。それは別料金だ。ガリーナさんは、オゼロフ社長の知り合いなので4泊の宿泊料とインタ駅からの送迎代を合わせて一人1万ルーブルという割引料金だった(当時、約18,000円)。(通常料金ではインタ駅からジェランナヤまで送迎に片道で車1台2万ルーブル。宿泊料は部屋によって1泊800から2500ルーブルのようだ。ジェランナヤ石英鉱山の収入は、今はこのホテル経営だけなのか。しかし、それにしては、シーズン中なのに客は私たち4人だけ。
 ホテルは2棟ほどあり、隣にボイラー小屋(発電と熱源)があって、ボイラー係の男性がいる。少し離れて小屋がいくつかあるが無人だ。ビニール・ハウスがあって、中には数脚のテーブルが隅にあるほか、何もない。アンジェラさんが言うには、客が多い時にはディスコでもやるのか、とのこと。さすが北極圏だけあって、ビニールは厚く、隙間もなさそうだった。後でわかったことだが、ここは一種のホールで、今は小規模展示即売会場となっている。
 古い水晶採掘坑道へ
 ↑矢印の辺りが坑道入り口、水晶を敷き詰めた道を登っていくので迷子にならない。
 私たちはアンジェラさんが作ってくれた朝食を食べ、9時過ぎに坑道探検に出かけた。木の生えていない草原なので遠くまで見晴らせる。坑道入り口は、ペンションからでも見晴らせるが、歩いて登っていくにはそれほど容易ではない。ジグザグにできている道だが、勾配はなかなか急だ。運動不足の私にも、年配のガリーナさんにもきつい。戸外派のセルゲイさんだけがやすやすと純白の道を登っていく。ときどき休んでは下方を眺める。ずいぶん登ったものだ。バルバニユ川がはるか下の方に見える。水晶敷きの道にはキャタピラ車の跡が2本ついていて、普通の田舎の砂利道のように両脇と中央にはたくましい雑草が生えようとしている。道の横には錆びたドラム缶が転がっていた。鉱山が稼働していたころのものだ。道は白く、対岸の山々の窪地も白い。そちらは残雪だ。
 ここまで登ると、小バルバニユ湖も眺められる。道端にキャタピラの断片が捨ててあった。大錆に錆びている。再利用できる粗大ごみなのにと思う。
 採掘水晶の一時置き場なのか、不要水晶の捨て場なのか、道端に白い小山がある。白い雪山のようだ。こんなに大量の水晶は見たことがない。
 かつてのベルトコンベアだったらしい幅広のベルトも捨ててあった。横には橇付きの大きなドラム缶もある。『КГПЭ 1984年、耐火容器10立方メートル』というペンキ文字が読み取れる。北方では1年の大部分は、運搬は橇だ。近くには廃墟となった小屋がある。70 年代まで鉱山村はバルコヴァ山高原にできていたというから、当時のものか。現在はバルバニユ谷にある集落(と言っても空き家が多いが)も、ペレンギチェイ Пеленгичейから移ってきたものだとか。
(ペレンギチェイはバルバニユ川の右岸支流で、バルコヴァ山の向こう側(東側)を流れる。1952年からコジムで最初のpiezooptical Quartz(圧電性結晶)の開発が始まった。ペレンギチェイ村には、当時30軒ほどの家があり、学校、店、食堂、公民館のほかヘリコプターだけでなく鉄道のコジム駅(インタ駅から50キロ南)から40分の定期便小型飛行機で離着陸できる飛行場ができていた。)
橇をつけたドラム缶(の粗大ゴミ)
坑道

 1時間以上もあえぎあえぎ歩いて坑道の入り口までたどり着いた。まわりに人気はなく、中をのぞいてみると氷が張り詰めていた。坑道は、入り口からのぞいた限りでは水平に山の斜面の中に入っている。30mほど水平に続いているそうだ。セルゲイさんは入っていこうとしたが、妻のアンジェラさんが止めた。外は、緑の草も見えるが、中は氷の世界だ。稼働していない鉱山だから、爆破もないだろうが、案内人なしで入るのは危険だ。私もダウンコートと毛皮の長靴だけで(アンジェラさんに借りていた)、北極圏にしては軽装だったので、入ろうとは思わなかった。
 入り口近くに壊れかけた木のベンチがあり、3人で座って川が膨らんでできた楕円形のバルバニユ湖を眺めていた。対岸の高い山には残雪が見える。その向こうにはランベコユというコジム川の別の支流が流れているはずだ。ランベコユ川とバルバニユ川を分けているのはマルディ山脈だ。その最高峰のヴァルサノフィエヴォイ Варсанофьевой山(1538m)東斜面のマルディ Малды氷河は有名だ。ヴァルサノフィエヴォイ山はここからは見えないが、残雪の山が見える。対岸の山脈の中腹の凹んだところにグルベペンディティ Грубепендиты湖があるはずだ。高さはここと同じなので、見えないが、凹みの淵は見える。(翌々日、ここへ行くことになった)。
 白い砂利の間から黒紫のブルーベリーが生えている。
 遠景は確かに素晴らしい。しかし、近くには採掘時の粗大ごみが打ち捨てられている。国立公園らしくないといっても、まあ、こんなものだ。
 私たちがベンチに座って休んでいる間に、セルゲイさんは坑道の中へは入らなかったが、バルコヴァ山頂まで登ってみたそうだ。そこから最高峰ナーロドナヤ(ナーロダ)山が見えることもあるが、この時は見えなかったという。
 山腹は、水晶道から離れると木の生えていない大小の石がごろごろしている厳しい荒野だ。草丈の低い灌木は生えている。赤い実のカウベリーが群生している。キノコも生えているとアンジェラさん達は喜んでいる。少しずつ降りていくとビルベリーのような黒紫のベリーも足元に群がっていた。
 5時半のまだまだ明るい時間にペンションに戻った。セルゲイさん達はトランプをやりだした。私はルールを知らないので入らない。そのうち映りの悪いテレビで、リオ・オリンピックを見始めた。
 テレビを見にここまで来たの?
 ツンドラ草原
 8月14日(日)。この日も、6時前に外に出てみると真っ青な空だった。緯度が高いので太陽は高くは登らないが、天空は美しい青色だ。朝のうちは山の端には雲がかかっている。ほんの隣の山なのに残雪が見える。
 8時半ごろにはアンジェラさんと散歩に出かける。山登りは苦手なので平地を歩くことにする。バルバニユ谷は斜面、というか河岸段丘を上流、または下流に進めば、あまり起伏はない。夏のツンドラ荒野を楽しめる。
 蚊が一匹もいない暖かい草原岩場は奇跡のようだった。白緑のトナカイゴケも生えていた。夏でも荒れた天気では恐れられる荒野も、この日は愛想が良かった。
 この辺のバルバニユ谷はむしろ狭い。大バルバニユ湖のあたりだけは緩やかだが、下流へ歩いていくとエルクセイ山が川岸に突き出てくる。この1098メートルという低いエルクセイ山は昔からトナカイ遊牧民にとって聖なる山なのだそうだ。聖堂があり、近年古い貨幣が見つかっている。エルクセイとは、もし、ネネツ語でエルフコソなら『主聖所』、マンシ語やコミ・イジマ語でイイルコムなら『生贄を捧げる』となる。2000年ころまでトナカイ遊牧民はここへきてその儀式を行っていたとか。ロシア語ではシャーマンの山という。シャーマンが麓に葬られているという伝説からだ。
 バルバニユ谷は、トナカイ遊牧の通り道だ。ここへはウラル東のハンティ・マンシ管区のサランパウリ村から夏場にトナカイを連れてやってくる。サランパウリ村は19世紀にできた遊牧民コミ・イジマ人の集落で、マンシ語でサラン(ジリャーン人、つまりコミ・ジリャーン人)の村の意味だ。コミ・イジマ人はもともとウラル西で遊牧していたが、トナカイの疫病のため、本拠地を東に移しと言う。住民のコミ・ジリャーン人自身は近くの川の名からリャーピン村と呼ぶ。(『コミ・イジマについては「38・モスクワから北ロシア・北極圏のコミ共和国』
 後のことだが、ジェランナヤの宿直(職員)の男性によると、遊牧トナカイ群は2,3日前に通り過ぎて行ったばかりだとか。バルバニユ谷には彼らの遊牧小屋がいくつかあって、旅行者も荒天の時には休めるそうだ。
赤い実のコケモモを摘む

 アンジェラさんと2,3時間ほど、亜北極圏の草原を散歩した。川岸近くにはトナカイゴケが群生している。赤い実のコケモモがあまりにたくさんなっているので、手持ちの広口・ペットボトルに集める。草原というより岩場だった。大きな岩の間にコケモモやトナカイゴケ、30p程度の矮小やなぎや矮小白樺がぎっしりはえている。岩はごつごつした高いのやら、続きとび岩やら、平たいのやらあって、舞台のように平たい岩の上では寝っ転がって空を眺めるのもいい気持だった。ここが亜北極圏だと思うと、もっといい気持だ。
 自然は確かに素晴らしいが、自然の美に浸る以外にここでは何もすることがない。
 高めの河岸段丘から眺めると、バルバニユ川は細くなったり広くなったりして流れている、広くなったところは河原の石が並んでいて、浅瀬のようだ、歩いて渡れそうな気もする。途中から私達に合流したセルゲイさんが調べてみる。やはり歩いて渡るのは危険だ。明日にでもトゥレコルが来るので、渡してもらうのがいいという判断。
 亜北極圏だが
 ここは、亜北極圏にいるという実感以外は退屈な場所だと(素晴らしい自然に申し訳ないが)秘かに思った。何かすることはないだろうか。ガリーナさんにコミのことを聞く。彼女はウードル地方ヴァシカ川辺(2019年訪問)出身のコミ人だ。現役時代、コミ共和国の文化省のトップだったとしても、歴史については専門家ではない。彼女は詩人だ。コミ語で詩も書いて出版している。ロシア作家同盟の会員だ。私はノヴゴロド時代のコミ(ヴィチェネグ公国かペルミ公国)について、ネットで調べてもよくわからなかったので聞いてみる。ビアルミヤ、またはビヤルマランド Биармия(Бьярмия, Бьярмаланд)についてはエレオノラさんに聞いてみようとガリーナさんはいう。エレオノーラ・セヴェリエヴァさんはコミ大学の元教授で考古学専門の歴史学博士だとか。そんな機会があればありがたい(実際に17日スィクティフカルに戻った時に会えた)。ガリーナさんはいくつかのコミ語も私の手帳に書いてくれた。
 セルゲイさんたちはまたトランプでドゥラカをやり始める。それに飽きると映りの悪いテレビでリオ・オリンピックを見始める。
 トランプもしたくなかったし、テレビも見たくなかったので、ガリーナさを誘ってビニール・ハウスに行ってみる。鉱物の売店があるとかいう。まず、ペンションより少し奥にある長屋のような建物に行く。ここに宿直員が寝泊まりしているそうだ。寄宿舎のようで地質学者や旅行者も泊まれるのかもしれない。
新鮮水晶即売

 宿直の男性は無精ひげを生やしている。彼がビニール・ハウスを開けてくれる。中のテーブルには大きめの水晶が並んでいた。透明のやら、黄色いのやら、紫のやら、もてないほど大きいのやらある。道に砂利の代わりに敷いてある不要水晶と変わらないようなものもあって、100ルーブルとか値段がついている。せっかく鍵を開けてもらったので、私は透明な水晶の結晶が成長しつつあるようなひとかけらを300ルーブルで購入。ガリーナさんは黄色いのを200ルーブルで買って、私にプレゼントしてくれる。
 
 夕方、大バルバニユ湖近くに人気がするので、アンジェラさんと行ってみる。ときどき地質学者が調査していると聞いていたので、バルバニユ谷の地質学について話してもらえるかもしれないと思ったのだ。行ってみると、遠くからでも若者たちのグループだと分かる。私たちのようにペンションに泊まらないで、湖近くでテント泊をしているようだ。アンジェラさんは近づくのはやめた方がいいという。若者たちでは自分たちと話が合わないし、自分たちは正式には許可をもらって国立公園に来ているわけではないからとか。
 7時半なのに、もう夕焼けが始まっていた。緯度が高いので夕焼けはいつまでも続く。セルゲイさんがペンション横の空き地でバーベキューをしてくれた。夜中の2時でも空は曇り空程度の明るさだ。一晩中、渋黒の闇夜になることはない。
 若返りの湖 通称チュドヌィ(奇跡)湖、地図上の名称グルベペンディトィ
 8月15日(月)。午前中はアンジェラさん、セルゲイさんと、バルバニユ谷下流へ、エルクセイ山中腹あたりまで散歩した。この日も快晴。セルゲイさんたちはキノコを集め、私はベリー類をつまむ。ヤナギラン越しにツンドラ草原を眺める。
 アンジェラさんは対岸の若返りの湖に行きたがっているが、そのためにはバルバニユ川を渡らなくてはならない。上から見て歩いて渡れそうなところは昨日セルゲイさんが探してくれたが、近くへ行って水量を見て危険と判断。トゥレコルに乗って渡るしかない。それで、ついでのトゥレコルを頼む。
 実は、2日前、坑道入り口の高さからバルバニユ川対岸の山々を望んだ。高い山の途中に圏谷(けんこく、またはカールは、氷河の侵食作用によってできた広い椀状の谷のこと)があり、そこにカール湖、つまり氷河湖がある。グルベペンディトィ Грубепендиты湖(語尾のトィはコミ語で湖の意味だから冗語となるが)とロシア語の地図に出ている。グルベペンディ湖は大バルバニユ湖より200メートル高く、深い圏谷にあり、3方が300mくらいの急斜面に囲まれている。下に向かった湖岸からは小川が流れ出て、バルバニユ川に注ぐ。水源は背後の急斜面から流れてくる溶けた氷だ。と、帰りのインタ駅で買った本に書いてあった(コジム流域とジェランナヤについての情報は、すべてその本からだ。だから旅行中は、地名も地理状況もあまりよくわからなかった。帰国後、この紀行文をその本とサイトと写真と記憶を頼りに書いている)。
 2日前の坑道入り口の高さからは圏谷があるのは見晴らせたが、圏谷の底にある湖までは見えなかった。
『爆破作業あり。通行は厳禁』の立て札

 2時半ごろ、ついでのトゥレコルに乗って対岸へ渡る。私達を渡河させるとトゥレコルはペンションの方へ去っていった。15分も登るとバルバニユ川が手に取るように見晴らせる。もっと登っていくと標識が立っていた『ここはチュドヌィ区。爆破作業あり。通行は厳禁』と書いてある。昔この先で何か採掘していたのだろうか。今は無人の荒野。通り過ぎて、その標識を裏から見ると『この先は国立公園。無断立ち入り厳禁』とある。ちなみに、ジェランナヤもコジム川もバルバニユ川も水晶坑道もすべて国立公園『ユグィド・ヴァ』内にあり、すべての生産活動は禁止されている。前述のように、水晶採掘基地ジェランナヤも、この(金を採掘していたらしい)チュドヌィ区も国立公園制定前からあったので、生産活動は許可かも。(今は中止している)。
 力持ちの氷河が残していった大岩を超え、登っていく。ジェランナヤの宿直の男性によるとそのカール湖まで小路が続いているそうだ。小路は湖から流れてくる小川を何度も渡って続いている。ブルーベリーの群生しているところでは、できるだけ熟したおいしそうなのをたくさんつまんで食べていたので、グルベペンディ湖に着いたのは、4時ごろだった。
グルベペンディ湖。若返ったかもしれないアンジェラさん
 確かに背後の3方は高い山に囲まれている。斜面には残雪もある。だから、水は氷のような冷たさだ。アンジェラさんによると、この水を浴びると健康に良い、つまり若返るそうだ。水着に着替えたアンジェラさんは湖水に入っていく。私は大きな岩が積み重なっている此岸で、残雪の山の麓、湖水に入るアンジェラさんを撮っていた。
 湖面をよく見ると、何やらちいさな生き物が泳いでいる。甲殻類の一種かもしれない。こんなに孤独で冷たい湖にも生き物がいる。簡単に捕まえられた。
 2回ほど湖水につかるとアンジェラさんは上がってきてダウンコートを着て、目だけ出している。氷水が流れ込んでくる湖だもの。セルゲイさんも入っていく。私もここまで来たのだから、多少若返ってもいいと思ったが、パス。
 5時半ごろグルベペンディ湖を後にして、バルバニユ川まで下り、川岸で待っていると迎えのトゥレコルが来てくれた。
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