クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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home up date 2006年12月7日(校正08年月20日)
 クラスノヤルスクからモスクヴァ、シェレメチェヴォ空港、
また国境の話(2)
               2005年12月7日から12月24日
В Шереметьево-II. Ростов-на-Дону и Красноярск(с 7 по24 декабря 2005 года)

(1) (2)シェレメチエヴォ空港へ
  国境  出国できない
  日本からモスクワ、さらにロストフ・ナ・ドヌ  とぼとぼ
  クラスノヤルスク着  出発できるはずだった日の次の日、 
  ロシア居住許可証の延長  いつ出国できるだろう、モスクワ生活
  ハカシア共和国首都アバカン  『だめもと』作戦
  帰りのモスクワ、インナばあさんと  後日、夢

 シェレメチエォ空港へ

 5時半にアパートの下に下りて待ちますが、普通は定刻より早く現れるはずのタクシーがなぜか現れません。タクシー会社に電話しても、近くまで来ている、と言うばかりです。実に6時を過ぎても現れません。インナばあさんがタクシー会社に電話しろというので、何度も何度もかけました。
 6時半になって、もうすっかり外気に冷えて憔悴している外国人の私を見て隣人のばあさん達が、流しのタクシーを拾った方がいいと言います。7時近くなってやっと、インナばあさんが近くの街角に客待ちしていた流しのタクシーと話を決めてくれ、何とか、10時少し前、シェレメチエヴォ空港にたどり着いたのでした。ああよかった、間に合った。この慢性渋滞で遅れるかと思って、車のスピードメーターと時計ばかり見ていました。
 搭乗手続きはまだ続いています。大韓航空機でしたから韓国人の社員もいて韓国人乗客の手続きをしていました。私の搭乗手続きはロシア人女性で、
「座席は通路側にしてね、できたら隣の席を空にしておいてね」という私の願いを愛想よく聞いてくれました。もう、サービスのいい韓国にいるような対応です。
 出国パスポート検査の順番につきました。ここはいつも長い長い順番です。でも、今日はそれほど長くはなく、カレリア地方にいるナターシャに携帯で、ありがとう、無事出国しますという電話をかけた頃、もう私の順番になっていました。無事出国できることを微塵にも疑わず、入国した時と同じように、パスポートとロシア居住許可証、それから番号照会のため旧のパスポートも出しました。
 「マダム、ちょっと、こちらで待ってください」といわれ、窓口から少しはなれたところで待たされていた時も、出国できないとは露ほども思いませんでした。

 出国できない

 長く待たされました。
 窓口の横には事務室があり、中国人男性が入り口に立って、中の制服の女性に何か頼んでいます。そのうち別の上役らしい制服の女性が来て荒い言葉で彼らを追い払いました。場所が開いたので覗いてみると、私のパスポートとロシア居住許可証が机の上に載っています。そっと入っていって、中の制服の男性のほうに聞いてみると、ロシア居住許可証に旧パスポートの番号が書いてあるから、これでは出国はできない。ロシア居住許可証を発行したクラスノヤルスクに戻り、新パスポートにある番号に訂正してくれば問題ないのだ、とのことです。
「ロシア居住許可証を延長したいとクラスノヤルスクで手続きしていたのですが、できなかったのです」私は必死で説明しようとしました。
「なぜだね」
「今、クラスノヤルスクで働いていないからです」
「なぜ日本人がソウル経由で帰るのかね」という問いにも、まじめに答えていました。
「責任者が来て、(わたしの件を)決定する」とのことです。
「どう決まるのかしら」と言うと、上役らしい制服の女性が
「否定的に」と短い言葉を投げて去ってきました。
 時差が4時間のクラスノヤルスク(だから当地は夜中の2時過ぎ)のヴァジムに携帯で電話し、苦境を訴えました。クラスノヤルスクの外国人課との連絡役はヴァジムでしたし、ロシア居住許可証について彼が一応引き受けてくれてましたから。
 そのうち、そこの責任者、つまり国境警備隊シェレメチエヴォ空港課の課長らしい男性が来て、不可と決定しました。
「どうして不可なのですか。東京のロシア大使館の館員も出入国できると言いましたし、クラスノヤルスクの方でも、出国に関して問題ないと言っています、この電話の人(つまりヴァジム)と話してください」と、頼みました。始めは、いやそんなことはできないといっていたその責任者も、私から携帯を受け取って、ヴァジムと話してくれました。事が係官の恣意次第で決まることがある国ですから、説得できるかと期待したのですが、ヴァジムの力には及ばなかったようです。
 私のほかに、この時刻出国で問題があったのはアルメニア女性でした。旧ソヴィエト連邦時代に作ったパスポートしかなかったからです。彼女はわたしのように無駄にあがかず静かに去っていきました。

 搭乗券(日本で買った往復空港券が62,800円、空港税や燃油特別運賃を合わせて80,730円は、だから帰りの分は無効になってしまった)が戻された大韓航空の機内から、私のスーツケースが下ろされ、私の出国は絶望的のようでした。ヴァジムとディーマによれは、今日はこれ以上何もできないから、空港近くにホテルを取って泊るほかないとのことです。大韓航空の職員は私のチケットを見て、これは格安航空券なので日付の変更はできない、でも一応ここに電話してはどうかと、番号を書いてくれました。

 とぼとぼ

 スーツケースを引きずって、とぼとぼと空港の出口へ向かいました。出口には『タクシー受付』と書いた窓口がありました。そこへ目を向けたとたん、
「タクシーが必要かね」と何人かの怖そうな男性に呼び止められました。
「タクシーもいるけど、ホテルもいるのよ」と言うと、一番偉そうで、取り仕切っているような男性が、
「隣にホテルはあるがそれは1泊300ドルもする。シェレメチエヴォNo.1(主に国内線)の近くのホテルなら1890ルーブルだ、そこに電話して空いている部屋があるかどうか聞いてあげよう」と、すぐ携帯を取り出します。

シェレメチエヴォの隣にあるホテル
(ホテル案内書の写真、この日の夜もそんな光景だったので)

 シェレメチエヴァの近くにあるホテルはめちゃ高いから、そこに泊るくらいなら、タクシー代を使ってモスクワに戻りそこの知り合い(インナばあちゃんだ)の家に泊った方が安いよとは、行きのタクシーの運転手が言っていたことです。
 私が去った後、インナばあさんはナターシャのアパートを閉めて、自分のアパートへ帰ったに違いありません。それでなくとも、インナばあさんのところへ戻ると言う気分にはなれませんでした。アパートと空港はモスクワの端から端と、遠いことですし。
 先ほどのボスのような男性が携帯で調べたところ、シェレメチエヴォ1の近くにある1890ルーブルのホテルは今のところ空きはあるということです。
 さてそこまでのタクシー代はというと、その男性が一覧表を出して言うには、
「空港からホテルまでは、ほら、1700ルーブルと書いてあるだろう。でも、領収書が必要ないなら1500ルーブルでどうかね」。何と言う事だ。先ほど、流しのタクシーでモスクワの反対の端からここまで来て1500ルーブルだったというのに、シェレメチエヴォ2から隣のシェレメチエヴォ1へ行くのに1500ルーブルだって? 馬鹿にしてるわ!怒って先に進みました。
 すると、別の男性が寄ってきて、
「あの人には内緒だけど1000ルーブルでどうかね」と言います。ぐっとにらみつけて、
「500ならまだいいわよ」と言うと、
「この空港では駐車料だって500するんだからね。では900ではどうかね」
「シェレメチエヴォ1まではここからすぐ近くではないの。それなのに900とは高すぎるでしょう、900も出したら都心までもいけるわよ」と相手にしなかったのです。
 しかし、この夜、雪の中、荷物を持って歩いて行くわけにもゆかず、客を乗せてきた流しでないタクシーを捕まえて値段を聞いてみると、500と言うので、それでも高くふっかけているのでしょうが、承知して乗り込みました。
 1890ルーブルと言われたシェレメチエヴォ1近くのホテルに行ってみると、満室なのでした。いやいや、こんなことではへこたれません。受付に
「じゃ、この近くに、別のホテルはないの?」と聞き返します。
「オリムピエツというのがあるわ、そこへ行くにはね…あ、あんた、運転手がいるんなら、その人に説明するわ」と言うわけで、また、タクシーに乗り込み、そのオリムピエツ・ホテルに向かいました。
 タクシーの運転手なのに、道順まで教えられたホテルをなかなか見つけられず、同じ道を行ったり来たりして、通行人に聞きながらやっと探し当てた時は、夜中の12時でした。人里離れたところに建っています。
 タクシーに荷物を置いて受付に言って聞くと、シングルの部屋が空いていて、2100ルーブルだとのことです。チェックアウトは正午だけど、もう夜中の12時を過ぎているから次の日の正午でいいとのことです。つまり1日半が2100ルーブルと言うことです。
「あなたの飛行機はいつ出発するの。ここからシェレメチエヴォまでタクシーの注文は早めにね、500ルーブルですよ」と言ってくれました。わたしの乗る飛行機がいつ出発するかその時わかっていたら、もっと明るい顔つきをしていたでしょう。
 待たせてあったタクシーに戻って、
「部屋はあったわ、はい、これね」といって500ルーブル渡しました。
「シェレメチエヴォ1近くのホテルまでが500だったでしょうが。その後、どれだけ、このホテルを探して走り回ったことかね。」つまり、500では足りないと言うことですが、
「すぐ見つけられなかったのは私のせいではないわ。それに(高めの)相場は500なんだから」といって、納得させました。
 こうやって21日がやっと終わりました。

 出発できるはずだった日の次の日、渋滞のモスクワ

 次の日、起きると、日本大使館(領事部)に電話しました。これがモスクワのありがたいことです。ザバイカリスクやブレストにはそんなありがたい機関がなかったですから。長々と説明すると、
「クレジットカードはありますか。では、来られるようでしたら、こちらに来てもらいましょう」と言われました。でも、このオリムピエツというホテルがどの辺にあって、どうやったら都心にあるらしい大使館に行けるのかわかりません。ホテルがとても不便なところにあることは昨日のタクシーで私にもわかります。とにかく、ホテルのフロントに電話してタクシーを呼んでもらいました。

 後で、フロントの女性から聞いたことですが、もし、自力で行くとすると、ホテル近くのイワキノ村から昼間は2時間に1本のバスに乗り、電車のヒムキ駅前まで行きます。ヒムキ駅からレチノイ・ヴァクザール行きのバスに乗り換えます。レチノイ・ヴァクザールはモスクワ北東のはずれで、一番シェレメチエヴォ空港に近い地下鉄の終点駅です。地下鉄の駅まで来れば、地下鉄網を利用してどこへでも行けます。でも、ホテルからレチノイ・ヴァクザールまでが乗換えがうまくいかないと時間がかかりそうです。フロントの女性は、
「そんなことないわ、私たち、そうやって、モスクワから通ってきてるのよ。帰りは、そうやって来たらいいわよ」と言います。タクシーよりも地元の人が利用する公共交通機関のほうがずっと面白いです。こんなハプニングの後でなければ、ばかばかしいタクシー代を節約できるようせっかくフロントの女性が薦めてくれた味のある『乗り換えコース』を、もちろん試してみるのですが。

モスクワ市と近郊

 ロシアのホテルらしく、12時にお願いしますと言ってあったのに、タクシーが来たのは1時でした。フロントの女性の知り合いの個人タクシーを呼び出していたらしいです。ホテルからモスクワ中心地にある大使館のあるアルバート通りまで1000ルーブルだと言われました。(ほら、昨日の運転手どもがいかに、悪徳だったかよくわかります)。
 その運転手は訛りがあったので聞いてみると、グルジア出身だそうです。オリムピエツ・ホテルのあるヒムキ市に家族と住んでいるそうです。グルジアとロシアの問題について彼の話を車の中で拝聴していました。
 モスクワ中心部は慢性的な渋滞なので、地下鉄のほうが確実で速く、彼も中心部にはあまり行きたくないそうです。それで、地下鉄の駅のレチノイ・ヴァクザールまで、700ルーブルでどうかと言われました。帰りも電話してくれれば、レチノイ・ヴァクザールまで迎えに行く、その時は500ルーブルでいい、と言うのです。
「レチノイ・ヴァクザールから、アルバート駅までどうやって行ったらいいのかなあ」とつぶやくと、モスクワの地下鉄網の地図をくれました。
 そんなわけでレチノイ・ヴァクザールの地下鉄駅の前でおりました。モスクワの地図は家にたくさんあるのに、必要ないと思って持って来ませんでした。グルジア人の運転手がくれた地図は、本当に助かりました。地下鉄アルバート駅で降りて、大使館までの道のりは、大使館の人に携帯電話を通して案内してもらいました。

 大使館(領事部)へ行けば、簡単に解決するかと思っていたのですが、そうはいきません。館員の新保さんは私の話をもう一度よく聞き、パスポートとロシア居住許可証を持って中へ入り長い間出てきませんでした。
「時々、出国できないケースがあります。たとえば長期滞在員がビザを作ったのと違う新しいパスポートで出国しようとして許可されなかったということもあるのです。そんな時は、特別な出国ビザを出してもらうのですが、あなたの場合はロシア居住許可証で入国しているので出せないと言うのです」
「なぜ、入国できたのでしょうか」
「見逃されて、入国できたのでしょうか」
「日本出発前に、ロシア大使館にちゃんと聞いたところ、可能だと言われたのですよ」
「機関によって矛盾したことが言われるのですね」

 新保さんは何度か奥に入り、電話をかけたりしていたようですが、4時も過ぎた頃、
「最悪の場合はクラスノヤルスクに戻らなければならないかもしれません。そうならないようにこちらも努力しますが、正規のルートでは、今日はこれ以上無理のようです」
「では、『正規でない』ルートではできないのですか」とは、少しロシアぼけした私です。もちろん、正規の外交官の新保さんは笑っていました。
「明日は、日本は祭日(天皇誕生日)で、あさっては土曜日ですから、わかるのは月曜日ですか」と聞いたところ、日本が祭日でも一応仕事をしているそうです。ロシアは祭日ではないので、明日、もしかしたら解決するかもしれません。
 でも、ホテル代もタクシー代も必要ですから、大使館の帰り道、アルバート地下鉄駅の近くにあるビリヤード場で100ドルほどルーブルに替えました。オリムピエツ・ホテル滞在も不便です。モスクワに誰か知り合いはないかと考えました。ピョートルがいます。電話してみました。
「明日からお正月休みにカナリア諸島へ家族と一緒に行くが、アパートは空いているから、どうぞ、住んでください。アルバート街に今いるのですか。そこからの来方は…」と説明してくれます。
 道端で電話したので、周りの騒音のため、相手の声がよく聞こえません。100ドル両替した先ほどの薄暗いけど、時間が早くてまだ客がいないビリヤード場に入って、電話を続けました。ビリヤード場のガードマン(か主人)が、どうぞここにおかけくださいと、いすを勧めてくれます。ピョートルが自分の住所を言うのですが聞き取れません。そのガードマンに聞き取ってもらいました。

 ピョートルは親切に自分のアパートを提供してくれましたが、そのアパートはアルバート街からもシェレメチエヴォ空港からも、もちろんオリムピエツ・ホテルからも遠くで、モスクワの反対側にあります。今からホテルに戻り、荷物を持ってピョートルのアパートに行き、帰国の折にはまたシェレメチエヴォに行くのは、タクシー代だけでも大変だと思いました。
 ひとまず、買い物をして地下鉄に乗りました。ホテルの近くには自然の他は何もないです。ライ麦ビスケットと紅茶、個装のチーズ、チョコレートと言うのが私のいつもの旅行食です。厳しい条件でもこれで数日は生き長らえることができ、お腹も壊しません。

 グルジア人の個人タクシー運転手がくれたモスクワ地下鉄地図のおかげで、レチノイ・ヴァクザールにまで戻りました。終点地下鉄駅のレチノイ・ヴァクザールから出てみると、夕方の通勤者でごった返しています。いくつもあるバス停には長い列ができています。ヒムキ行きのバスもきっとこのうちどれかから出ているのでしょう。みんな着膨れしているので、こんな長い列では並んでいる人全部が乗れず、次のバスになる人もいるでしょう。
「あのう、ヒムキ行きのバスはどれでしょう」と道行く人に聞いて、列の最後に並び、この泥雪の中長い間待つ元気があるはずないと思っていたので、アルバート街を出発する時から、もう電話であの500ルーブルといったグルジア人のタクシーを呼んでおきました。

 オリムピエツ・ホテルというのはモスクワ・オリンピックの時建てられたホテルで、観光旅行者用ホテルやビジネスホテルと言うより、遠征スポーツマン用宿泊所で、ジムやプールなどがあります。でもそんなものより泊り客が使えるインターネットでもあったほうがよっぽど便利でした。
 全くここは一旦ホテルに入ってしまうと、部屋で電話をかけるか洗濯をする以外何もできません。
 クラスノヤルスクに電話して、大使館の話を伝えました。クラスノヤルスクのどこに問い合わせたらいいか大使館員が尋ねていたというと、調べて、明日すぐ連絡すると言うのです。

 こうやって22日も終わりました。

 いつ出国できるのだろう。モスクワ生活

 23日(金曜日)、朝ピョ−トルから電話があって、もし、自分のアパートに住むようなら、鍵を隣人に預けておくから、と言うのです。私はいつ出国できるのでしょう。もし、長期になるようなら、インナばあさんではない頼りになる知り合いがいたら心丈夫です。
「アパートのお世話になるかどうかわかりませんが、ピョートルさんのお知り合いを紹介してもらえないでしょうか」というと、奥さんの知り合いのスヴェータの電話番号を教えてくれて、何かあったらここへ連絡するように、と言ってくれました。

 クラスノヤルスクのヴァジムから、クラスノヤルスク外国人登録部の電話番号と責任者の名前を言ってきました。それを大使館員の新保さんに伝えようと、電話してみましたが、今日は日本の祭日で休館日なので、ロシア語と日本語で
「月曜日におかけ直しください」という自動応答が流れてきます。でも、その録音の後にありがたいことに日本語だけで、
「緊急の場合は…におかけください」と流れます。遠慮なく緊急の方にかけました。
 電話に出てくれた新保さんによると、そのクラスノヤルスクの番号に電話して、結果をまた知らせるとのことです。自分の携帯電話番号も教えてくれました。

オリンピエツ・ホテル(ホテル案内書の写真から。夏ならここは気持ちいいかもしれない)

 宙ぶらりんのモスクワ生活は続きます。ホテルを出て、一人でモスクワ見物する気分にもなれません。いつ大使館から呼び出しがかかってくるかわかりません(進展がある)し、第一、モスクワ中心部へ出るにも、時間とお金がかかりそうです。
 モスクワ市の北、モスクワ州ヒムキ市に町村合併された元イワキノ村とかのはずれにあるこのホテルのとりえといったら周りが静観としているということだけです。夏なら、このモスクワ郊外の夕べを散歩するのも快適でしょうが。シーズンオフで車なしでは、ただ不便なだけです。外へも出ず、ホテルの中をくまなく見て回りました。スポーツ施設のほかに、大団体が一度に食事が取れるようなだだっ広い食堂もあります。うろうろと見て回っていると、
「お食事ですか」と意外に愛想のいいウエイトレスです。愛想のよいのに気をよくして暇つぶしに食べてみることにしました。メニューは紙にタイプしてレジの横に置いてあり、それを見ながら注文します。レジのおばさんも愛想がよくて、
「スープは注文しないの?これが美味しいわよ」とか
「今日のクレープは美味しいわよ」とか言ってくれます。レジのおばさんに貰ったレシートをウエイトレスに渡すと、すぐに、まあまあの外観の料理を運んできてくれました。

 12時がホテルのチェックアウト時間なので、フロントへ行ってこの先の半日分のホテル代だけ払いました。半日分だからといって割高になるわけではないので、先の予定が決まらない時は少しずつ払った方がいいです。入国できないということはあっても出国できないとうことは絶対にないと思っていたので、あまり余分に持ってこなかった常備薬もなくなりかけています。

 4時近くになったのに、大使館から電話がないのでこちらからかけてみました。
「うーん。一口に言って、今打てる手はすべて打ったのに、だめですね。外務省経由の特別出国ビザを頼んでも居住許可書で入国した人には出せないと言われたし、あちこちに電話をかけても受話器を取らないところもあるし、クラスノヤルスクの外国人課に電話しましたが、そこでは絶対通過できると言っているし、今のところお手上げですね」といわれても困るではないですか。頼みの綱の大使館なのに。いつまでも滞在していては、私のロシア居住許可証の有効期限さえも切れるではないですか。
「いや、そんなに延びることはないですよ。月曜日にモスクワの外国人登録部へ行ってみましょうか」
「私一人で行くんですか。」一人心細げに順番についている自分を想像しました。
「いや、そんなことはないですよ」。大使館員の誰かが付き添ってくれるなら寂しくはないです。
「月曜日まで、何もできないわけですね」
「いや、もう一度(出国を)やってみたらどうですか」
「でも、航空券を買いなおさなくてはなりませんよ、もし、まただめなら、その航空券が無駄になります」
「格安航空券でないなら、日付変更ができますよ。だめもとでやってみたらどうですか」
「モスクワから日本へ正規の片道航空券って高いでしょうねえ」
「安くはないですよ。クレジットカードはありますね。それで買えますよ」
「また、シェレメチエヴォ空港のパスポート検査のところを通るのですね。彼らのコンピューターに私の名前がチェックしてあって、通れないのではないですか」
「いや、そんなことはないですよ、犯罪者ではないのですから」
「では、だめもとでやってみますか」
「アエロフロートのモスクワ東京便は19時40分発なので間に合うかもしれませんよ」
「チケットをいそいで買わなくてはなりませんね。どこで買えばいいでしょうか」。これがクラスノヤルスクなら、どこで航空券を買えばいいか、どの便ならどこで買えば安いかよく知ってますし、足もあります。新保さんはこの広いモスクワで、知り合いもなさそうな私をかわいそうと思ったのか、
「日本語がわかるところがありますよ。配達してくれるかもしれません」と電話番号を調べて教えてくれました。日本語は通じても通じなくてもいいが、配達してくれるとはありがたい。

 『だめもと』作戦

 日本で買うと東京モスクワのアエロフロートの片道の正規のチケットは20万位だと言われたことを覚えています。ロシアで買えばそれより安いかもしれませんが、出費がかさむことです。電話してみると、その日の業務は終わったと自動音声(ロシア語)が流れていました。
 それで、2日前、空港で一旦は機内に乗せた私のスーツケースが下ろされた時、電話番号を書いてもらった大韓航空に電話かけて、値段とフライトスケジュールを聞いてみました。今日の22時50分発で、片道は730ドルくらい(日本で買う格安往復チケットと同じくらい)、空席はあって、チケットは空港の6階事務所で買えるということです。シェレメチエヴォ空港のターミナルビルに6階があるとは知りませんでした。部外者は入れないのではないでしょうか。
「どうやって事務所へ行けばいいのですか。」
「エレベーターがあります。」もちろん、階段で上がろうとは思いませんが。
 配達ではないアエロフロートのチケットのほうは1階に売っているでしょうが。

 そのときはもう4時過ぎでしたし、アエロフロートだと、東京行きは7時40分出発でしたから、『だめもと』作戦を実行するため第一にしたことは、まずはタクシーを呼ぶことでした。それもホテルのフロントに頼んだのでは、1時間も2時間もかかるので、タクシー会社の一覧表の上から順に電話してみました。ホテルの名前と行き先を聞くと、
「車が近づいたら電話します」といって、相手は電話を切ってしまいました。料金はいくらか聞く暇もありませんでした。ホテルは、もし出発できてもできなくても、引き払う予定です。出発できなかったら、もう慌てることなく、せめてレチノイ・ヴァクザール地下鉄駅の近くにあるソユーズ・ホテルに行こうと思いました。電話で料金も聞いておいたのです。(そのホテルの電話番号は、モスクワに一人住んでいるクラスノヤルスク大学での元の教え子が、電話で教えてくれたのです。)

 30分より早くはタクシーから電話がかかってこないだろうと思いましたが、手早く荷物をまとめました。20分ぐらいで電話があって、もう玄関先で待っていると言うのです。ですから、シェレメチエヴォ空港に着いたのはまだ5時前で、アエロフロートの出発にも間に合う時間でしたが、エレベーターで6階まで上がりました。6階は航空会社の事務所で、日本航空の事務所もあります。
 大韓航空の事務所を探して入り、
「今日のチケットを買いたいのだけど」と言うと、前々日、出発できなかった私にスーツケースを返してくれたロシア人職員がいて、すぐ私を思い出しました。
「書類はちゃんと準備できたの?ちょっとパスポートを貸しなさい。僕が国境警備隊に聞いてくるから」。そんなことをされたのでは、だめに決まっています。
「いや、大使館の人も、クラスノヤルスクも大丈夫だといってるから。」
「いやいや、大使館は大使館、空港の国境警備隊は警備隊だからね。また、出発できなかったらこちらも困るからね。」
「チケットを一応買って、もし今日、出発できなかったら、日付を書き換えます。」
「あ、それならいいですよ。」
 私はいつかは日本に帰るでしょうし、帰る以上は航空券(1年間有効)は必要ですから。
 大使館の新保さんが言ったようにカードで買えました、クラスノヤルスクでは買えないのに。

 下へ降りるとまだ6時前です。搭乗手続きが始まるまでにまだまだ時間があります。空港内をぶらぶらして時間をつぶしました。念のためアエロフロートの窓口で料金を聞くと、往復で1100ドル、片道で1050ドルだそうです。もっと安いのはないかと尋ねてみましたが、これが一番安いのだそうです。当日の直行便ではそうでしょう。
 1階の売店の中に本屋があって、そこでモスクワ詳細地図を買いました。これからのモスクワ長期滞在に備えたのです。クラスノヤルスクなら何がどこにあるかよくわかるのに、モスクワではどの方向にあるのかもわかりません。

 7時50分、大韓空港の搭乗手続きが始まったので、順番に並びました。先般のロシア人職員がすばやく私を見つけ、私の手続きをしていた同僚に、
「この人の荷物は機内に乗せないように。ちょっと書類に問題があるからね。一度乗せてしまうと下ろすのは有料になるから」と、絶望的なことを言っています。私には
「パスポート審査がパスできれば、ちゃんと乗せますよ」とウインクするのですが。
 搭乗手続きが終わると、パスポート審査の長い順番につきます。前々日に私に意地悪をした国境警備員が窓口を出たり入ったりしています。同じ顔ぶれです。前々日と同じパスポートとロシア居住許可証ですから出国できない可能性が大きいのですが、もし、これで出国できるとすると、前々日の不可は何だったのでしょう。出国できてもできなくても腹が立つことだと思いました。新保さんはもう勤務時間は終わっているのに携帯にかけるのは気の毒だとは思いましたが、
「今、パスポート審査の順番です。審査員の顔ぶれは一昨日と同じなのでたぶんだめでしょう」と言うと、
「だめでもだめでなくても、結果を知らせてほしい」という、力強い励ましの言葉です。

 窓口は、なるべく前々日とは違う職員のところを選びました。古いパスポートなんて出さない方がいいのです。そんなものを出すから、ロシア居住許可証の番号が古いパスポートのものだと強調されてしまうのです。だめもとなので気が楽です。今回は時間もかけず、すぐにばたんばたんとスタンプを押してOKです。拍子抜けしたような、腹が立つような複雑な気持ちで通り抜けました。

 さて、搭乗手続きのカウンター近くに置かれたままの私のスーツケースはどうなったでしょう。
 先ほどの大韓航空のロシア人職員がトランシーバーを持って、待合室を通り過ぎ搭乗口のほうへ行ったり、また戻ってきて、搭乗手続きカウンターの方に消えたりしています。呼び止めて、
「私の荷物、忘れないでね」というと、
「おっ、(パスポート審査窓口を)通れたんですか」と、私のことをしっかりと思い出したようですから、荷物も大丈夫だと思いました。でも、荷物を運ぶ時、おせっかいにも私のことを国境警備隊に念を押して、また、彼らを悩ませることがないように。
 10時も過ぎた時刻でしたが、大使館の新保さんに電話して、なぜか、今度は簡単に通ってしまったことを知らせました。なぜ通れたのか知りたかったのですが、新保さんもわからないそうです。窓口の審査員によって違うとしか理解できません。

 どうせ、航空券を買いなおして、ソウル経由で帰国するのなら、ソウルから大阪にしないで(乗継がうまくいけば)小松にすればよかったです。それどころか、私のことをロシア国外に出したくないと言うのなら、いっそ、モスクワにあと1週間も滞在すればよかったです。ピョートルの知り合いのスヴェータに連絡して、スヴェータと親しくなるとか、ピョートルの留守宅を気ままに使って、モスクワ生活をゆっくり楽しむとか、いっそ、ロシア国内旅行をやり直すとかすればよかったのに、なぜ、あんなに急いで、帰国便に乗ってしまったのでしょう。
 もし、滞在しようとすれば、いつまで滞在できたでしょうか。

 後日、夢

 後でナターシャ・ベンチャーロフに、モスクワ冒険の話をしました。彼女の知り合いのシリア人も、シェレメチエヴォ空港で苦しんだそうです。彼は、あるテロリストに顔が似ていると言うことで、飛行機を降りた後の入国パスポート審査の前で停められました。そして、まる2日間、飛行機到着口と入国審査窓口の間の空間で、食料もお金(ルーブル)もなく座っていました。彼の妻が100ドルを出すと、彼に水とサンドイッチが届けられたそうです。

 クラスノヤルスク滞在中、私のロシア居住許可証延長はできませんでしたが、ヴァジムは私の帰国後もエレーナ・ザハロヴナを通じて、彼女が勧める3年間の臨時ロシア居住許可証をとると言っています。
 そのための書類の、日本パスポートのロシア語訳(ロシア領事館の認証つき、手数料が3000円)、白黒写真6枚、銀行預金証明書(英文つき、文書料500円)、県警発行の無犯罪証明書(英、独、仏、西語つき、無料)などを、郵便で送りました。ヴァジムは英文の2通をクラスノヤルスク商工会議所の法定通訳にロシア語に翻訳して貰ったそうです(翻訳料1100ルーブル4500円)。また、クラスノヤルスク大学に連絡して、私の2001年から2004年までの在職証明書(その前は1年契約講師だった)も入手してもらいました。エレーナ・ザハロヴナによれば、彼女のルートを通じれて、私がクラスノヤルスクにいなくても取得できるそうですが。

 ロシア居住許可証にこだわらず、旅行会社を通じてビザを取って行ったほうが、面倒がないでしょう、と言われますが、国境で問題起きたのはたった3回です。今まで何度国境を出入りしたか知れません。特にリスクを求めているわけではなく、ほぼ万全と思って出かけるのに、ハプニングが起きてしまいます。

 今回帰国して数日間は朝起きる前に、ロシアであちこちの役所の窓口を駆け回ったり、電話をかけまくったりしている夢をたびたび見ました。よかったのは対応の職員が皆親切で、ほとんど友達のように私の説明を聞いてくれ、親身になって教えてくれたことです。寝言はたぶん言わなかったでしょう。

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