クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
              Welcome to my homepage

home up date February 22, 2023 (追記:2023年7月24日、2023年10月2日   筆者へのメール
          nisei2580@nifty.com
39-(3)  ウクライナ避難民母子と  (3)
           с буженцами из Украины   2023年9月から

引用なさるときは筆者にご一報ください。ご質問、コメントのある方もどうぞ。 enisei2580@nifty.com

 1  2  3  4 5 
 1 2022年2月以前 住居を見に来る 15  長男マハ  21  夫セミョーン   9.『陽庵」
2    2023年2月ー6月  9  『陽庵』 16   マハの虫歯  22
 2023年6月から  19.『陽庵』2
 3  フェイスブックで  10  引っ越し  17  マハ、続き  23  テレビの取材  
 4  住居の勧誘  11  マリヴァの仕事  18  アツシ  24  個人情報  
 5  マリヴァのフェイスブック  12  保育園、学校  19 『 陽庵』2  25  F市のかつての支援者からの情報  
 6  マリヴァとのメール  13  ベビーシッター  20  シンジさん  26  富士山登山と賃貸契約書  
 7  マリヴァ母子の日本到着  14  初めの頃の交友    27  それなりに興味深いロシア語での不調  


 15.長男マハ
 学校へ行く日、玄関前で
 
 初日の教室で.
私のイスはマハの左に用意されていた
 
 我が家で半分遊び半分勉強
 
 計算はまだ指を折って。
1年生で習うタイルを用いた10進法を、
私はロシア語で教えられなかった。
 
 漢字ノートも書き上げる(写し上げる)。
 マハは8月で8才になった。この年齢は2年生だ。2学期から学校に行くことになっているが、2年生に転入したのでは、学校生活があまりに難しいというので1年生に入ることにした。多分マリヴァはヨーロッパ流に9月1日が新学年の始まりと思っていたのかも知れないが、こちらでは2学期が始まるのだから、同級生達はすでに第1学期間と夏休みを経験済みだ。
 初めに宮田さんが学校に挨拶に行き、それから後の8月18日に通訳として頼まれた私とマリヴァとマハが説明を聞きに夏休み中の学校に行った(4才と2才のアレックとロキはその日から保育園だった)。学校側としては通訳、つまり連絡係として私を今後とも当てにしているようだった。
 学校が始まって1週間ぐらいは一緒に来てマハの机の横に座っていてほしいと頼まれたくらいだ。日本語のさっぱりわからないマハにとって、立ったらいいのか座ったらいいのか、どんなノートを出したらいいかもわからないだろう。しかし1週間も、学校付き添いボランティアはやり過ぎだから2日間だけにした。2日目には給食が始まるから、そこまで見届けて、後は何かあった時は電話か連絡帳で連絡できるだろう、と言うことに私は決めた。
 (2日間の付き添いボランティアは実はたいそう楽しかった。同じクラスの子供達がまず私に興味を持ち、なぜ付いてきているのかと、可愛い質問を浴びせた。先生や両親や来客に自分のものを見せたがる人なつこい子には、ゆっくりお相手してあげたり褒めちぎってあげたりした。要するに、この2日間は、マハの通訳だけではなく、級友達との交流で過ぎた。昔の教員生活を思い出して、学級担任ではない気楽な外部者の自分であることがありがたかった。)
 2学期が始まる前から、私はまず、ひらがなや簡単な挨拶を覚えさせようと、ロシア語で日本語家庭教師に頑張った。しかし当初は学習と言うことをマハは毛嫌いした。だから、ひらがなは眺めるだけにさせておいて、後はパズルやお絵かきなどで遊ばせた。兄のマハが私の家で日本語を習っているというので下の弟のアレックやロキも来たが、ますますマハの学習の効果は上がらなかった。
 学校が始まってからは、マハだけが宿題をやりに来ることにした。時間を決めたが、あまり守られなく、遅れたり、来なかったりした。迎えに行くと、マハはなぜ遅れたか、なぜ行けなかったかと必ず長々と言い訳をした。言い訳がちゃんとできたわけだ。私は連絡帳に必ず目を通した。初めは、先生が書いてくれたが、やがて、まがりなりにもマハが書いてくるようになった。先生が黒板に書いたのを(他の児童同様)マハが自分で写し書きしたものだ。マハは何を書いているのかはわからなくても、そのノートには文字が並んでいて、解読すると私には意味がわかった、というわけだ。今日の宿題はこれこれというようなことが解読できた。先生が赤ペンで書いてくれたのは、何々を忘れてきたから、ちゃんと持ってくるようにとか、遅刻をしないようにとか、あしたは何々を持ってくるようにとか言うことだった。
 
 弟たちをパズルで遊ばせる

 計算カードで計算したり、国語の教科書を読んだり、プリントをしたり、ドリルをしたりする宿題だった。1年生の国語の教科書は実は外国人の子供にとってはとても難しい。私はひらがな46文字だけを教えて、それをほぼ覚えるまで濁音や拗音、撥音にはすすまなかったが、46文字だけ覚えるのも最後まで(私が関わっていた1年生末まで)おぼつかなかった。マハは、何とか清音だけでも音読できても何が書いてあるのかわからない。漢字ドリルの漢字も書き写していたが、(その当時は)読み方も意味も、何度教えても覚えなかった。それで、私は、ただ美しい字で書き写させるだけでよしにした。それでもそれなりの力がついたに違いない。県の国際課から多言語翻訳機が支給されていて、その内蔵カメラにかざせば、直ちにロシア語(ウクライナ語)の訳が出る。しかし、マハは教科書の中身には無関心でかざすことはあまりしなかった。多言語翻訳機の使い方が徐々にわかってきたマハは、これで、担任に「お腹が痛い」とか友達に「鬼ごっこしよう」とか伝えられるようになった。だから、マハにとって日本語の習得は、自発的な必要性は感じられなかったに違いない。やる気のある子には、この翻訳機は語学習得にとても役立たせられたかも知れないが、そうでない場合は最新技術の一つとして役立つ。
 後でマハが言うには、フランスのマルセーユ郊外に避難生活をしたときは、そこでフランスの学校に入学したが、言葉がわからなくてクラスの友達にからかわれたとか。程度は異なってもどこの子供社会でもあることか。それとも、そこは、人的環境はあまり良くなかったのかな。西欧では東欧人に厳しいという。日本では西欧も東欧もない。
 一度、マリヴァが、マハが学校でいじめられているから担任に知らせてほしいと言ってきたことがあった。私はマリヴァの言うことをよく聞いて、日本語で連絡帳に書いてあげた。担任から、それは誤解であると返事があった。マハにもう一度聞いても、いじめの事実はなさそうだった。その後も、マリヴァから別件で連絡帳に書いてほしいという頼みが度々あり、私は通訳を務めた。学期末の通知簿渡しにも、マリヴァと一緒に行き、通訳を務めたものだ。

 (後記:マハは日本語学習のために特別な学校へは行きたがらなかった。今の慣れた担任と級友に囲まれている方がいい。しかし、翌年の新2年生進級を機会に、学校側からの強い勧めと、当時来日を果たした父親の援助もあって、週2回各2時間の日本語学級へ、通うことになったそうだ。その学級は、いつもの学校からやや離れた学校にあって、親が送り迎えをしなくてはならない。ちょうどいいので、両親も同じ学校の成人用クラスで日本語の勉強をしているそうだ。マハも自転車で行っているようだ。安全のほどは知らない。もうこれ以上はお節介しない)。

 (後記:長男マハ・リーと書いたが、マリヴァにとっては最初に生まれたのはアレックだ。マハは、キルギスでセミョーンと(多分事実婚の)ダン・リーとの間に、セミョーンが42歳くらいの時に生まれた子だ。それ以前にセミョーンに子があったのかどうか知らない。古くからセミョーンを知っているという寺山さんも宮田さんもそのことには言及していないから,僧侶だというセミョーンは40過ぎまで独身だったか)。
 16,マハの虫歯
  マハに関してはとても気になることがあった。
 
 まずは大学病院の小児
歯科にこの時も同行
 
 翌年の初夏頃には
ほぼ治療が終わっていた
 マハは8才で乳歯と永久歯が混在していたが、どの歯も見事にボロボロで、しゃべっても笑っても黒い縁取りされた貧弱な歯が見えた。これほどの虫歯の子は見たこともない。歯肉にまで食い込んで重症になる先に治療が必要ではないか。乳歯の虫歯はあまり痛がらないそうだが、それでも痛むことがあったのか、県のウクライナ難民支援員オクサーナ(*)に連れられて町のデンタル・クリニックへ連れて行ったらしい。しかし、そこではマハは怖がって口を開けようとしなかったそうだ。母親のマリヴァが、全身麻酔で眠っているうちに治してほしいと頼んだそうだ。町の歯科医は、それはうちではできないと大学病院宛ての紹介状を書いてくれた。
 (*)ウクライナ難民の生活相談のために自治体はウクライナ語のできる(臨時)職員を雇っていた。そのオクサーナとか言う女性に歯科医への同行を頼んだらしい。その頃マリヴァは婦人科医にもオクサーナに同行してもらって行ったらしい。
 オクサーナの都合が悪くなったのか、オクサーナと同行していた日本人男性の車の都合がつかなくなったのか、私にマリヴァは大学病院への同行を頼んだのだ。断ってもよかったが、行きがかり上といった感じで、彼らの通訳と運転手を引き受けたのだ。
 大学病院ではあっさりと断られた。子供の歯科治療に全身麻酔をする危険と、コロナの蔓延と、手術の順番待ちの長さを口実に。私もちょっと大げさに通訳したのだが。
 8歳にもなっているなら、自分で口を開けて治療するのに慣れなければだめだと、こんこんと説得されたのだ。全身麻酔で治療するには入院しなければならないこともあると、私も脅かしてあげた。
 大学病院の歯科医は、子供や赤ちゃんの治療に特化した子供デンタル・クリニックを紹介してくれた。ここで私も手を引いてよかったのだが、またも、行きがかり上そこへ電話して予約を取ってあげたのだ。その日のうちにその子供デンタル・クリニックから折り返しの電話があって、通訳さんだけ来てほしいという。暇人の私は、車で30分もかかるところにわざわざ出向いたわけだ。
 先生がおっしゃることはほぼ大学病院小児歯科医と同じ。いや、もっと厳しかった。鎮痛剤静脈注射でも18歳以下はできないと言われた。どうしても全身麻酔で治療したければ、東京へ行かなければだめだと言われた。それで、押さえつけても口を開けさせることを母親に同意させる、と約束して帰ったのだ。週1回治療して半年はかかるという。それも同意させると約束した。でなければ治療してくれない。
 口中の歯がボロボロで骨にも達して化膿寸前というのは、原因はネグレクトだ。お菓子の食べ放題、歯は磨かないという教育が悪いのだ。それを言ったら マリヴァは子供にはお菓子は2日に1回ぐらいしかやらないという返事。でも私が見ている限り、子供達は遊びながら食べていた。子供達は自分で時々磨いているという。小さい子供は親が磨いてやらないとだめなのだが。
 
 1度だけ彼女宅でおよ
ばれしたことがある。
同行の私の孫によると
チキンはなかなか
おいしかったとか
 歯磨きしてやることも育児の一つだが、マリヴァは育児嫌い家事嫌いの「翔んでる女性」なのだ。ウクライナでは富裕層だったので、日本へ来てロボット掃除機を買い、乾燥して出てくる洗濯機をほしがり、食洗機も探しているのだ。お茶碗の洗い方を知らないのだろうか、とは前述のえり子さんの言ったことだが(その皮肉に私も同感)。
 その後、私は2度だけ車を出してその小児歯科医へ同行し、通訳してあげた。3回目以降バスで行ったのか、私の代わりを直ぐに見つけたのかは知らない。

 2学期が始まった9月後半学校の遠足の日だった。その次の日は遠足予備日だったので給食がなかった。それは前日にロシア語でちゃんと教えてあげたのに、子供はお弁当なしで登校。学校の担任から電話をうけるのはいつも私だ。連絡係は引き受けるが、お弁当を持って学校まで行くのは、母親に。
 (後述;と言っても、翌年の運動会予備日にはお弁当を、私が持って行く羽目になったこともあった)
 17.マハ、続き
  10月、キエフも落ち着いてきたのか、ウクライナで新学期も始まったのか、リモートでウクライナの学校の授業が始まった。時差の関係で、それは午後だった。マリヴァは午後の日本での学校の授業はウクライナ学校の授業のため早引きさせたいと言ったので、連絡帳に書いてあげた。それはかまわないが、学校側の規則として、みんなと同じ下校時間でないなら、『見守り隊』もその時間には立っていないから、低学年の子は保護者が迎えに行かなくてはならない、という返事だった。マリヴァは数回迎えに行ったらしい。しかし,そのうち迎えを止めたのか、ウクライナの授業を削ったのか、知らない。
 
 アイロン・ピーズで
ウルトラマンを
つくってみる
 
 ネジでいろいろな
ものが作れる

 一方、私がマハの連絡帳と宿題を見る時間にも、ウクライナの学校のリモートの授業がある。パスしてもいい授業としない方がいい授業があるらしい。それで、ウクライナの学校の時間割に沿って、マハが私の所へ宿題を見てもらいに行ける時間を指定してきた。私はウクライナの時間割に合わせて、自分の方の時間を都合して、ボランティアで日本語を見てあげなければならないなり行きになってしまった。割に合わないことだ。まして、毎日決められた時間にちゃんと来るならまだしも。
 月曜日から金曜日まで午後の一定の時間(マハは時計の見方は知らなかった。しっかり教えてあげたが、それでも約束の時間には来ないことが多かった)マハのために私は自分の時間を割いたが、1年生の宿題を形ばかりするだけだったので、学力がそれほど付いたとは思えない、遊ばせながらやったことだし。1年生国語の教科書は日本語をよく知らない外国人には、そのままでは難しすぎる。連絡帳を見て忘れ物のないよう準備してあげることも重要だ。遊ばせながら、我が家で宿題をやらせたのだ。
 それでも、マハの家庭教師役は、彼が1年生を終えるまではやった。2023年3月の終わりになって、ボランティアはここまでと思って、4月以降「続けることがご希望なら1ヶ月1万円です」と言ってみた。マリヴァは無料ならみてもらいたがるが、有料ならやめるだろうと、私は思ったのだ。マリヴァは5千円にしてほしいと言ったが、中途半端な金額なら「無料です」と言ってた方がいい。だから5千円は受け取らず、宿題を見るのも止めた。ロシア人(ウクライナ人)の子供にロシア語で日本語をリモートで教えると相場は1時間2千円以上だと言う。
 私が、断固としてマハへのボランティアを断ったわけは、3月にウクライナから来たマリヴァの夫の言動に不快感を覚えたからでもあった。彼は、非常にとがった言い方で、自分たちの交友関係について自分たち家族にかまうなと言った(後述)。それで、私は、マハの学校関係も含めて、ボランティアでも、親切気からでも、有料でも一切支援はしないことにした。それで私が失ったものはなく、得たのは、自分の時間だ。
 学校との連絡係を私に辞退されたが、私なしでも代案がある。それは担任教師が電子メールで、マリヴァに連絡事項を送ることだ。連絡帳というものに子供は、教師が黒板に書いた事項(宿題、持ち物そのほか)を自分で書いて、それを保護者に見せるのだが、マハは、字を写せるが、その意味はわからない。マリヴァは、もっとわからない。しかし、電子メールにあるような活字であれば、マリヴァはそれを自動翻訳して意味が取れる。もちろん担任教師にとっては負担が増える。マハ一人のために電子メールに書き込まなくてはならない。
 私はマハの連絡帳を読んで、必要なところをロシア語でマリヴァに伝えなくてもよくなったし、学校から電話がかかって、マハが今日は学校に来てないが、どうしたのか見てきてほしいなどとも、頼まれなくなったわけだ。だから、学校からの電話はしばらくだけなかった。
 ところが、(前述のように)2023年5月末の小学校の運動会の頃、担任教師から、「マリヴァに出した電子メールが戻ってくる、運動会のお知らせができない」と電話があった。どうなっているのか確かめてほしいという久しぶりの依頼を受けて、私はマリヴァに電話することになった。「今はH市にいるが、今夜遅く帰宅するので運動会には参加できる」と言う返事。運動会の持ち物と、担任からの電子メールが通じないことをマリヴァに知らせる、そして、担任教師にも、折り返し、確認したことを知らせてあげた。
 運動会の次の日、お昼頃にまた担任教師から電話があった。「運動会の次の日は予備日になっているので給食はない。そのことは知らせてあるはずだが、マハがお弁当を持ってきていない。直ぐに持ってきてもらえるかどうかマリヴァに聞いてほし」。断るわけにもいかない私は、職場にいるはずのマリヴァに電話してみると、「ここは学校からは離れているところだから直ぐに届けに行くことはできない、どうしたらいいか」と、困惑したマリヴァの声。「セミョーンに頼んでみたら」と言ってみたが、マリヴァから「セミョーンも自分と同じ所に働いていて(それは知っていたが、マスコミに人気の彼は別の所かも知れないとちらっと思ったからだ)、やはり直ぐには持って行けない、どうしよう、どうしよう、タカコサンに頼めないだろうか。おにぎりでも買って持って行って。お願い、お願い」というわけで、私は折り返し、学校に、私が持って行くと電話して、車でコンビニまで行って、マハが好きだというおにぎり3種を買い、車で学校へ行ったのだ。玄関口の呼び出しに現われたのは教頭で、彼とマハの2階のクラスに届けに行く。確かにクラスでは他の子は家からのお弁当を食べ終わった頃で、マハはただ机に座っていた。
 教頭に玄関まで送られて出る。彼から「(あなたが)電話をすれば直ぐ(マリヴァに)通じるのですか」と感心したように言われ、「また何かあったらお願いします」と頼まれてしまった。最初の電話を受け、用件を済まし帰宅して時計を見るとちょうど30分後だった。比較的短時間で済ませることができたことで、学校にもマハにもマリヴァにも感謝されて、今回はよかった。(セミョーンは無言だった)。
 18.アツシ
 記述は前後するが、 日本に住むようになってしばらくしたマリヴァは、英語で交流できる友達を求めた。前述のコリンやえり子さんやシンジさん達が、それぞれ集まってきたが、アツシもやや遅れて現われたがその一人だと思う。
 
 近くのマンションの広い駐車場の番号の
ない場所がいつもの彼(黄緑の車)の場所だ。
 
 夜間ならば、駐車は可か
 
もっと雪に埋もれているとスコップが必要になる 
 
マハ(中央)はそれなりに除雪の戦力になった 
 2022年10月初め頃、私がマリヴァ宅に用事で入った時、その男性はいて、コリンの時のように丁寧に挨拶された。彼はスポーツマンらしく、中古のスケートボードやグローブのようなものを、ウクライナの子供達への支援物資として届けに来たのをきっかけにしてマリヴァの家に出入りするようになったらしい。(あるいは、その前に、すでにSNSで知り合っていたのか)
 挨拶された時、すこし話したところでは,彼はウズベキスタンに衛生器具(浄化装置とか)を納入したこともあって、ロシア語が少しできるとか。つまり、生活を向上するような器具を途上国への援助として納入するという会社(国の途上国援助への支援を受けている)に勤めているという。彼は定職に縛られるより、世界中を回って楽しむようなタイプ、つまり『世界を股にかける』ことにあこがれるというタイプのようだ、と私は思った(この手記は私の主観だけで書いているので,違うかも知れないが)。語学の習得のため日本での高校卒業後、アジアのある国(例えば台湾とか)の大学に入学し、世界各地に出張できるような会社に就職したのか。そうした機械を納入する(だけ、製造はインドネシアとか)という会社も長期に勤めているのではなく、後のことになるが、そこを止めたらしい。フリーで、パソコンだけで働き、世界各地を見て回りたいのだろう。アフリカのアンゴラにも行ったと私に話してくれた。それは、2ヶ月後の12月半ばになって1度だけだが直接話してみてわかったことだ(後述)。初めは、時々訪れるウクライナ支援者の一人で、英語を話す友達の一人だとしか思っていなかった。
 しかし、始めて現われてから(私と挨拶してから)、数日後、宿題をやりに来たマハが、アツシが泊まっていったと何気なくしゃべったのだ。無邪気に泊まっていったというマハの言葉を聞いて驚いた。どこに泊まっていったのと聞くと2階だという。以前はマリヴァの寝室は子供部屋と同じ1階だったが、いつの間にか2階になったようだ。
 夕方暗くなった頃、おしゃれをして一人で出かけようとしているマリヴァに、時々出くわしたことがある。「えっ、子供達は?」と聞いたが、子供達は子供達だけで留守番するのが慣れているから、と言って急いで通り過ぎていった。
 その後も、昨日もアツシが泊まっていったとか、一緒にどこそこへ行ったとか、アツシが肩車(?)して遊んでくれたとかマハはうれしそうに話してくれた。夜、ママが自分たちをおいて、アツシと喫茶店へ行くと言うこともマハは話していた(真偽不明)。翔んでる女のタイプであるマリヴァにはありそうなことだ,と思った。
 アツシが来るようになってから、マリヴァが日本語で郵送されてくるような書類の翻訳や、日本での生活のこと、車を出して買い物に行くこと、子供を公園などに連れて行ってほしいと言うことなどは、ほとんど言わなくなった。車で30分、バスなら乗り換えで1時間以上でしか行けないマハの小児歯科へも、アツシの運転で行っていると、マハが言う。マハの診察のときには、アツシは車で待っているとか。たまに、歯科医の説明がどうしてもわからないときはアツシが入ってきて通訳したらしい。
(歯科医の通訳はアツシに頼めたが、マハの学校の通訳は、同伴の男性にと言うわけにはいかないのだろう、学校の通訳だけは私がずっとやったのだ、前述のように2023年3月末まで)。
 9月終わりぐらいから、マリヴァの夫が来日する翌年の3月中旬まで、よく現われるときは週2回ぐらいアツシの車が、家の近くの路上に止められていた。近所のマンションの広い駐車場の番号のない片隅や、片側に家のない道路の隅に寄せてあったり、住民から文句の出ないような場所を上手に見つけて止めてあった。一晩中止めてあるわけだから、積雪の多い時期は車を出すのもたいへんだ。雪に埋もれているのを掘り出さなくてはならない。お昼過ぎ頃、スコップで車の周りの雪を除けているアツシの姿を遠くから眺めたものだ。我が家には2台駐車できるガレージがあって、今は1台しか止めてないので、もう1台用のスベースを勧めたこともあったくらいだ。もちろん有料だから、断られたが。
 私は再三『賃貸契約では、マリヴァ一家4人または来日の夫も入れて5人にのみ貸したのだから、それ以外の人が泊まるときは知らせてほしい』とフェイス・ブックのマリヴァへのメッセージSNSに書いたものだ。返事はなかった。度々家族以外の人が泊まるようでは、水道使用量も上がることだろう(水道料は家賃に合算)と、月額1000円の値上げを要求すると、これは受け入れられた。
 マリヴァの家で泊まっていることについて何らかの話し合いをしなければと思ったのか、11月頃、アツシは私に会見を申し込んできた(前述)。私の家でかなり長い間話した。彼はマリヴァとの夜間の関係も否定しなかった。たまに、マリヴァの育児嫌い家事嫌いを見るに見かねて、掃除や食事の準備もしていることを話した。マハによると、マリヴァはどこかへ出かけようと言うときは、アツシを電話で呼び出すとか(これにはアッシー君という古い俗語がある)。
 マリヴァが住むことになった2022年8月以来、子供部屋の畳の上に敷いた布団は一度も上げていない。その部屋は北向きで湿気が多くカビも生えやすいので、布団を上げてほしいと、マリヴァに言っていたが、「無理よ」と言われたものだ。それで、彼に頼んでしまった。しかし、布団上げは実行されなかったようだ。(それもそうだ、いくらなんでもしないだろうな) (後に、夫セミョーンの来日前、掃除ボランティアとしていったことがあって、カビどころかずっと前のおねしょの布団などもそのまま敷いてあったので、処分するよう言ってあげた(後述) 。
 
 除雪してくれるアツシ

 家の庭の通路の除雪は賃貸契約書のその他の項目にも書いてあることだ。マリヴァもマリヴァ宅玄関から道路まではすると言うことになっていたので、雪がどっと降ったときには、SNSで除雪してくれるよう頼んだ。彼女のうけ持ち分と私のうけ持ち分の除雪距離は同じくらいだ。彼女は、初めはマハを使ってやろうとしていたらしい。しかし、8才のマハには荷が重過ぎる。ある日曜日、小さい体で懸命にスコップで雪を持ち上げているマハに、アツシに手伝ってもらったらと、私は勧めてみた。その日はアツシがマリヴァの家にいることはわかっていたので、再三マハに頼みにやらせた。やっと出てきたアツシは、ものの数分できれいに除雪してくれた。感謝。
 アツシとしては、マリヴァとの交際は、悪くなかっただろう。マリヴァも個性的で、付き合って退屈するような相手ではない。マリヴァにとっても英語の堪能なアツシは重宝だったろうし、知らない人ばかりの日本での生活の孤独も慰めてくれる。と私は思っていた。状況から見て判断しただけだが。(後に、取材のテレビのディレクターには生活の慰めとなってくれたのはシンジさんだとマリヴァは言うようになったそうだが。後述)
 早朝家の周りを散歩したりする時など、止めてある車を見て『ああ、また来てるな』と思ったものだ。前述のように、『この借家はマリヴァ一家4人とまた将来夫のセミョーンも来日したときは家族5人のみに貸したものだから、それ以外の人は住まないでほしい、もし宿泊客がいるなら安全のために、知っておく必要がある』と再三SNSに書いたものだ。初めは無視されていたが、彼の車も頻繁に見かけるので、頻繁に書いた。泊まってはいけないと言っているわけではない。そんなことは彼女の勝手だ。(安全のために)知らせてほしいと言うだけだ。そのうちマリヴァからのSNSには、
 『もし、あなたが、そのことを、世間(保証人達のこと)に知らせるのでなかったら、言ったであろうが、私はあなたを信用できない(から何も教えない)』という返事だった。それについて、『私はあなたの個人生活を知ろうとしているのではないし、またできない。あなたの保証人達は、あなたのプライベートに干渉しようとは思っていないだろうが、あなたの行状を知っておくことはよいとみなすだろう。また、あなたの住んでいる家の持ち主は私だが、果たして私はあなたを信用することができるだろうか』と返信した。私は、意地悪で辛辣だった。
 結局彼女は沈黙していたし、アツシは通ってきたし、マハは宿題をしに私の家に来る度に、アツシはいい人だと言い続けたのだ。つまり、マハには、キルギスの父(実母の夫,セミョーンと別れた後、結婚したらしい。キルギスではマガも一緒に暮らしていたらしい)、ウクライナの実父と日本の父がいたと言うようなことか、と私は密かに思っていた。マハの性格では全員からかわいがられていたと思う。
 (マリヴァが既婚者のセミョーンを得るため無理矢理マハの母親のダン・リーを捨てさせたのか、セミョーンがマリヴァと結婚死体がため、妊娠中のダンを捨て去ったのかは、知らない)
 アツシから、後の電話
 19.『陽庵』の寺山さん(2)(抄)
  寺山さんは、当初、マリヴァに対しては、育児嫌い家事嫌いに腹を立てていたようだが、ウクライナ難民の、しかも自分の宗教に帰依しているマリヴァ一家の世話をしているのだと言うことを、宣伝するのに余念がないらしく、私のアツシのことを含めた、あけすけの数回の訴えも、『まあまあ』と言うか、または『アツシのことは知りたくない』と言う形で、やり過ごしていた。・・・全文は(5)パスワード付のサイトへ 
 
 例えば、2022年12月16日の私から寺山さんへのメールは;
 『今 朝の10時半です。アレックとロキは保育園でコロナ患者が出たため休園、在宅です。外で子供の声がするので行ってみました。半裸のロキとアレックが昨日の雪で遊んでいます。ママは?と聞くと寝ているということです。昨日はマハも子守で(?)学校は休みました。明日は来るようにとの学校からの電話は昨日伝えました。だから、今日はマハは学校へ行っているので、下の子二人だけで遊んでいました。多分マハは朝食なしで一人で起きて登校したのでしょう(?)。これでは父親がわりのアツシがいたほうがマシです。寒いから家に入るように言って、台所は見ただけ(手もつけられないという意味)で、玄関の靴だけ整頓してあげました』
 といったもので、似たような『近況報告』は何度か打った。と言うのも、寺山さんは、マリヴァ達が避難してきた7月中頃から8月中頃までは、H市の『陽庵』という私的道場(自分流の、前述)にいたが、その後、マリヴァ達のことは頼むと宮田さんや私に言って、・・・に、去って行っていたのだ。だから、私は度々、マリヴァの行状を本当の身元引受人である寺山さんにSNSで訴えていたのだ。年末には帰って来るという。帰国の本当の目的は、後にわかったことだが、当初は、マリヴァの様子を見に来ることだと思っていた。
 それで、マリヴァに言い聞かせることのできるのは寺山さんだけだと、そう私も宮田さんも宮田さんの奥さんのゆきえさんも思って、みんなで宮田さん宅に集まった。マリヴァのお世話をしてくれてありがとうとだけ言いたかったかも知れない寺山さんに、私も宮田さんもゆきえさんもマリヴァの行状をガンガン言って、マリヴァの行状は子供のためにはならないと寺山さんを責めたのだ。日本へ呼び寄せたのは寺山さんだから、マリヴァに言い聞かせてほしいと、口々に言い立てたのだ。
 寺山さんはアツシの話は聞きたくないと言った。育児嫌い家事嫌いについては沈黙していた。宮田さんは、・・・、『理』なるものを、寺山さんに話した。寺山さんは反論しなかったが、改めるとも言わなかった。反省もしなかった。ぶすっと聞いているだけだった。
 さらには、正月には一家を同伴して和倉温泉豪遊の派手な写真をフェイス・ブックに載せて、こうしてウクライナ避難民一家を慰めてあげたと書いてあった。・・・そうした旅行から帰ると、駅にアツシが迎えに行ったのか、その日の夜は我が家の近くに彼の車が止まっていた
 
 
 金箔列車で温泉へ
 
 東京の寺山さん親戚宅
 また寺山さんは、・・・本山にマリヴァ一家を招待して、ついで東京見物もさせた。家族の事情で学校を休ませることはよくないという私の抗議にもかかわらず。フェイス・ブックには・・・
 行きは新幹線だが帰りは夜行バスで『1月10日早朝に金沢に着きます。駅からタクシーで帰宅させます』と、寺山さんのメールにあった。さすが、この時はマリヴァもアツシに寺山さんもいるらしい駅まで迎えに来てほしいと連絡するわけにも行かなかったのか。
 10日はもう学校の3学期が始まっている。マハはこれまで度々無断欠席をして、そのたびに私に電話がかかってきていた。私は電話機を持ったまま、マリヴァの家に確かめに行ったものだ。この日、朝9時に保育園から来てないと電話があった。見に行くと子供達だけで遊んでいる。『ママはどうしたの』と聞くとマハが寝ていると答える。呼んできて、と言ってマリヴァの寝室のある2階に呼びにやらせるが、いないという。なぜ、マハは学校に行かずに弟たちと家で遊んでいるのか。直ぐに行きなさい、と言うと、朝ご飯がまだだから、行けないという。何でもいいから食べて直ぐ学校へ行きなさいと言って、私は自分の家に戻る。しばらくしてマリヴァから電話とメールがあり、その時は入浴していた、朝帰ってきて疲れているから学校へ行かないそうだ。それなら、前もって、連絡てほしかった。その日も、夕方早速アツシが来る。

 ずっと後になるが、2023年4月後半には、寺山さんは3月のセミョーンの帰国に合わせたように、・・・それまではオルネンコさんがいるだけだった陽庵に行き、マスコミの取材も盛んだったらしい。私は新聞は取ってないし、テレビも天気予報以外は見ないからどんな記事だったか、放送だったか知らない。
 5月の広島でのサミットに・・・。口の悪い人が言うには彼らは・・・みたいだとか。
 寺山さんの記事が新聞に出ると・・・。
 寺山さんのこの派手な行動は、・・・の他の僧達にとっては、誇りに思うことなのか、苦々しいことなのか
 20.シンジさん
  彼は、夏の終わり頃、自分の車にウクライナ避難民支援品(の日用品やおもちゃなど)を積んで、我が家近くに現われた。そばにマリヴァもいたので、近くまで来て、迎えに出ていたマリヴァに家を教えてもらったのだろう。ちょうどそこへ外出先から帰ってきた私が、その知らない車を眺めていると、「どこへ止めたらいいですか」と30代くらいの小太りのニコニコ顔の男性に聞かれた。「どちら様でしょうか」と聞いてみると、「宮田さんに教えてもらったシンジです」と答えた。(前記)。
 その日、それからのことを、後からシンジさんに聞いた話では、「マリヴァに子守を頼まれて子供達を連れて100円ショップへ行っておもちゃを買ってあげて、家に連れ帰り、お風呂に入れてあげて自分も一緒に入った。マリヴァはその間2階にいた。その後、子供達を寝かしつけていると、自分も眠くなって寝てしまった」。しかし、マリヴァが後に言ったところでは、「宮田さんはひどいことばかりする、自分のところに気の狂った人を振り向けた」と。(以上前記)
 また、別のとき、シンジさんのSNSによると、宮田さんは自分の花嫁(つまりマリヴァ)を紹介してくれたので、会いに行ったとか。彼の言うには、マリヴァの家に夫のセミョーンの写真が1枚もない。つまり、マリヴァには夫はいない(戦死したか)になるらしい。それを子供達に隠しているのだ。
 宮田さんに、「あなたの知り合いというシンジさんがマリヴァの所に来たけれど」と聞いてみると、「知り合いだなんてとんでもない、共通の知り合いから、紹介されたとかで夜中にやってきたが、突然大発作を起こして、やむなく両親を呼んで引き取ってもらった」とか。
 その頃のシンジさんのフェイス・ブックの投稿によると、シンジさんは、自分が通っているあるプロテスタントの教会に夜中に行ってピアノを弾こうとしたらしい。事情を知っていた牧師は彼を病院へ連れて行ったらしい。そこで50日間の閉鎖病棟への措置入院となったらしい。
 シンジさんはよほどマリヴァに惹かれていたらしく、退院後、マリヴァ宅に行きたがったらしいが、「マリヴァは夜な夜な子供をおいて出歩いている」という宮田さんからの噂(出所は私ではあるが、尾ひれが付いている)を聞いた両親は、彼にマリヴァとの付き合いを厳禁し、車も取り上げたらしい(車検だったか)。シンジさんは私に、宮田さんを説得してマリヴァはそんな悪い女性ではないと、両親に説明してほしいと再三電話をかけてきた。ついには、シンジさんの作ったストーリーは次のような噴飯もので、『宮田さんがマリヴァを悪く言うのは、実はいとしいと思っているからで、あえてそんな噂をながしておけば、悪い人は近づかないと思ったからだ』そうだ。彼にしても難しい理屈だ。いったいそんなことを英語でマリヴァに説明してあげたのかと聞くと、わかってもらえなかったという返答。これは日本の古い習慣だと説明したそうだ。マリヴァはウクライナにはそんな習慣がないと答えたとか。どの程度真面目に応えたのかは私は知らない。
 退院しても車を取り上げられ、マリヴァとの付き合いを両親から禁じられていたシンジさんは、しばらく現われなかった(もちろんその間アツシが入り浸っていた)。

 病院から退院してしばらくしてシンジさんはクリスマスに、近くの(徒歩で行ける)教会へマリヴァを招待したのだ。マリヴァはアツシと子供達で行った。英語の雰囲気もあり、日本のプロテスタント教会というものが、仏教徒と標榜するマリヴァにも気に入ったらしい。
 
 クリスマスの後にアツシやシンジさんと
行ったというカレーの店で.
ロキを抱いているのがシンジさん
 シンジさんのSNSと電話での話しによると、クリスマスの行事の後、食事に行こうとして、アツシの車にみんなが乗った。マリヴァ達がアツシと一緒に来たとは、その時まではシンジさんは知らなかったらしい。アツシが不機嫌そうにグーグルでレストランを長い間探して迷いながらカレー料理店に行ったとか。アツシとシンジさんは相手の役割を図りかねていたようだ(と私が伝聞から推察)。アツシは、シンジさんにボランティアでやっているのかと不機嫌そうに聞いたとか。食事の支払いは、アツシがさっさと自分の分だけを払って外へ出たとか。
 次の日、外出先から家に帰ってみると、家の前の道路にタクシーが止まっていた。シンジさんと子供達3人が座っていて、マリヴァが家から出てくるところだった。タクシーでどこへ行くのかとシンジさんに聞くと、「昨日は買えなかった子供達の温かい長靴を買いに行くのだ」と言う。昨日カレー店へ行く前に不機嫌なアツシの運転で(シンジさんの言による)いくつかの店に寄ったのだが値段が高かったりして買わなかったので、その翌日、シンジさんがタクシーで、マリヴァ宅へ買い物に迎えに来たのだ。シンジさんは両親にマリヴァとの付き合いを反対されて車を取り上げられていたからだ。タクシーで長靴のショッピングか。後で、シンジさんにタクシー代の方が高かったのではないの、と書いてみた。彼は障害者年金をもらっているし、障害者雇用の会社で働いているが、多分,今のマリヴァほども富裕層には入らないだろう。割り勘だったとか。マリヴァにしては、誘われたときには割り勘とは思いも寄らなかったことかも。
 シンジさんの献身は続いた。自分を措置入院させたそのプロロテスタントの教会には腹がすえかねたシンジさんは、パプテスト教会に換えたらしい。そこはアメリカからの宣教師がいて、日本語のお祈りの終わった後、英語でも儀式を行う。そこには英語話し手の外国人(アフリカやアジア各国から)が多いそうだ。
 それ以後、マリヴァは毎日曜日、シンジさんの教会へアツシと行くようになった(ようだ)。

 その冬、雪がそれなりに降って、その日は前日からアツシが泊まっていると、彼の車が近くに駐車していたので知っていた私は、マハにアツシにも除雪を頼んでと『入れ知恵』したのだ。再三の催促で、やがて家から出てきたアツシは、私が指定した範囲の除雪をしてくれた(前述)。この時私は「マリヴァ達は教会へ行っているの」と彼に聞いてみた。そうだという答え。「しかし、マリヴァ達は仏教徒ではないの」というと、意外そうな顔をされた。「いや、そこは特に宗教的なことはないです」。つまり教会とは人が集まってしゃべったりお茶を飲んだりするだけのところだという?
 この頃になると、シンジさんのアツシ評価も変わってきた。1月頃はアツシは自分『たち』に冷たく当たると書いてあったが、毎日曜日、アツシも一緒に教会へ通うようになって(たぶん)、2月頃からはアツシは立派な人だ。マリヴァに必要な人だ、と書いてくるようになった。(アツシの車は2月末まで見かけた。3月には夫セミョーンが来日している)
 『マリヴァが本当に困っているのを見て、アツシはついつい助けたくなり、今では親友になっている。決して恋人ではない。アツシは困っている人を見て助けてあげたいと思い、下心なく助けた(男女関係を否定)。アツシはボランテアで、途上国に水タンクを寄付している(私が以前本人から聞いた限りでは、シンジの認識は不正確)』とか、『自分は無欲にマリヴァ達にお世話できるといいと思っているだけだ』とか、書いてある。そのうち、アツシは同性愛者だ。アツシに、男性性器の写真など見せられて、自分も勧められた、と書いてきた。(なぜアツシはシンジにそんなことをわざわざ言ったのか。同性愛者は異性とは関係を持たないと、アツシとマリヴァの関係を隠したかったのか。アツシが、本当に男性にしか興味がないならなぜ、こうもあしげく女性の家に通ったのかは、説明できない。)

 2月も終わり頃、マリヴァの夫のセミョーンが、家族のいる日本に政府保証の難民として来日できるという知らせがあった。それでもアツシの車は見かけたが、さすが3月頃には見かけなくなった(宮田さん達から、アツシはまだ来ているかと、たびたび尋ねられたものだ)。それで、毎日曜日マリヴァ達を教会へ運ぶのはシンジさんと言うことになった。その頃までには、シンジさんの両親も彼に車の運転を許可しマリヴァとの交際も黙認していたのか。
 この頃からシンジさんは自分のフェイス・ブックに病的なことを書き始めた。「病院の閉鎖病棟の患者たちを解放するよう病院長と話しに行くから参加してほしい(この投稿は数日後消えた)」。「自分を病院に連れて行って入院させたあのプロテスタントの教会の牧師はサタンである。あのプロテスタントの教会全体が反キリストである。教会の悪魔的組織はこうなっている」と、教会の組織全体(と言ってもネットに載っているその教会の公式ホームページのコピーに過ぎない)を自分のフェイス・ブックに投稿したりしていた。そのプロテスタントの教会と彼自身のよほどの確執が、再度(彼にとって)先鋭化したのか。
 「聖書にある通り、世界の終わりがやってくる。神は津波で3千万人の人類を滅ぼす(まだ何十億と人類は残って世界の終わりにはならない。それどころか後にはフェイスブックの記事が3万人と下方修正されていた)」。「自分は男性なのに生理がある。(トイレに出た生理血の写真も投稿)」。「自分は両性具有である。それはイエス・キリストである証拠だ。自分はイエス・キリストであり、同時にマリアである(生理があるから女性)」。「ウクライナ人のマリヴァはマグダレナのマリアだ」。これらの投稿は数日後消えた。または消されたのか。マグダレナのマリア(つまりウクライナのマリヴァ)はイエス(つまり彼、シンジさん)の妻だったとも言われていると、シンジさんに書いたが、それは無視された。そんなことは知らなかったのか、とんでもないと思ったのか、もうシンジさんとのフェイスブックの連絡は途絶えた。
 (後記;月経血と月経痛については、あるお祈りをしたら消えたそうだ)
HOME  ホーム BACK  前のページ ページのはじめ> NEXT 次のページ