と滞在後記
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up da | February 22, 2023 | (追記:2023年7月20日,2023年10月2日、2025年8月10日) | 筆者へのメール ![]() |
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39-2 ウクライナ避難民母子と (5) с беженцами из Украины 2023年7月から8月 |
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1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |||||
1 | 2022年2月以前 | 8 | 借家と環境を見に来る | 15 | 長男マハ | 21 | 夫セミョーン | 2025年 | 9 | 『陽庵』 |
2 | 2022年2月から6月 | 9 | 『陽庵』 | 16 | マハの虫歯 | 22 | 2023年6月から | 19 | 『陽庵』2 | |
3 | フェイス・ブックで | 10 | 引っ越ししてくる | 17 | マハ、続き | 23 | テレビの取材 | |||
4 | 住居の勧誘 | 11 | マリヴァの仕事 | 18 | アツシ | 24 | 個人情報 | |||
5 | 日本避難以前のマリヴァ | 12 | 保育園。学校 | 19 | 寺山さん | 25 | F 市支援者からの情報 | |||
6 | マリヴァとのメール | 13 | ベビーシッター | 20 |
シンジさん | 26 | 富士山登山と賃貸契約書 | |||
7 | 到着 | 14 | マリヴァの初期の頃の交友 | 27 | 不調 |
2025年 マリヴァは2022年7月末に我が家の母屋(旧父宅)に子供3人と引っ越してきてから、前述のように、週刊誌に載せたいような事柄の連続だった。ましてや中心人物が当時の話題のウクライナ難民だったから興味本位でもっと脚色すれば本当にゴシップ記事になったかも知れない。 世間の話題性も2024年も過ぎると薄れていったようだ。つまり、テレビや新聞報道はなくなり、寄付の小包も減った 2023年春に家族と合流した夫セミョーンも、当初、新聞テレビで報道された家族の再会の感激も過ぎた。私との、「デマを広めた、窓からのぞいた」などの避難応答以外は、玄関先であっても、こちらが挨拶すれば、向こうも挨拶を返した。セルゲイが同居するようになると、マリアたちの家も掃除が行き届いてきたようだ。用事があって中に入ると、かなり整頓されていて、また、マガたちの机や椅子も、新しく購入されていた。 この3年間、マリヴァは着々と日本の生活に慣れ、言葉もそれなり習得し、3人の子供達も学校や保育園に適応しつつあるようだ。2023年春に家族と合流した夫セミョーンも、現実に適応していったようだ。当初、新聞テレビで報道された家族の再会の感激も過ぎると、性格の違いなのか、適応の違いなのか、彼らの間には齟齬が生まれたらしい。背みょーんは彼女は量販店での棚卸しのような単純作業ではなく、収入の多い仕事を探し当てていた。ガイドの仕事もあったようだ。私達の市にやってくるロシア語話しや、英語話し手の通訳ガイドは、彼女には興味深く日当も多いが、いつもあるわけではない。ウクライナ人の通訳ガイドもしたらしい。戦時のウクライナから日本へ観光旅行に来る富裕層がいても不思議はない。またウクライナ出身のカナダ人かも知れない。彼らはみなロシア語を話すという、彼らはロシア人よりウクライナ人にガイドしてもらいたいだろう。(マリアはそのため、末息子のリンを保育園に送って欲しいという依頼があって、私は承知した。迎えには父のセミョーンの勤務時間が間に合うが、彼は早朝勤務なので、朝は間に合わないからと頼まれたのだ。その後、ガイドの仕事がキャンセルになって、子守をしなくても良くなった。が、久しぶりに一度承知したせいか、その後2度ほど依頼が来た。私は口実を設けて断った。その後は依頼がない。彼らとの人間関係の一端だ) この頃彼女の家計はどうなっていたのか知らない。まだ数ヶ月は夫婦に支援金が出ていたはずだし、パートバイトのような収入でも、日本の生活保護家庭よりずっと裕福そうだった。セミョーンも駐車場で働いているとマリヴァが言っていた。 2023年春に家族と合流した夫のセミョーンが『苦々しい口調で』言ったことだが、彼女には大勢の友達がある。妻のマリアがその友達と遊び廻っていることをふという羽目になったからか。ということか。しかし、セミョーンではなくマリヴァにとってはいいこともある。その友達の一人の知り合いが、彼女にカフェの店長(と言っても店員や料理人を兼ねる)の仕事を紹介してもらったらしく、月給もそこそこで就職でき、単純作業の方は止めてしまった。それは、3年目の2025年6月のことだ。 その夫のセミョーンの方は、仏教徒としての活動をやっているのかどうか、全く不明だ。少なくとも黄色い法衣で団扇太鼓を叩き、この辺りを廻っている姿は、見たことがない。同じくウクライナ難民のオルネンコさんは、前記のように宮田さん私宅の陽庵に仏教僧らしくお布施などで住んでいた。彼は、機会があれば、団扇太鼓を日本海に向けて鳴らしていたらしい。また彼らの来日当座2023年春には宮田さんも帰国して、彼ら(3人で)の宗教活動をやっていたらしい。 2024年には政府招待避難民支援金が切れた。ここでウクライナに帰国した難民も数人いたかも知れない。オルネンコさんもその一人だった。オルネンコさんは家族もなく、60歳という歳で日本語の習得も困難(特に努力しなかった)で、片言の英語で宮田さんの手伝いなどして、陽庵に一人住んでいた。時々、マリアやセミョーンの息子達の子守をしていた。が、支援金がない以上、自分の使命として日本にとどまる意味がないと思ったらしい。尤もだ、機会があって日本という国に来てみたが、自分にはそれほど合っていない。遠くから(車で40分)見ていても、日本語を話さないウクライナ人の彼は日本のあの田舎には合っていなかった。彼は帰国のすこし前、マリヴァ宅に訪れ、私と庭で挨拶を交わしたのだ。その時、自分は帰国するが、セミョーン達は残る、彼らには未来がある。特に子供たちには日本が合っている、と言っていた。 同じ頃、政府招待で来日したセミョーンも、来日直後は妻のマリヴァと同じ量販店で単純労働をしていたようだが、そのうち、どこかの駐車場の駐車係になったらしい。車の会社なのか知れない。その後は、やはり交通関係の会社に就職してそれなりの給料を取っていたらしい。 オルネンコさんが帰国する前の、2024年の夏には、驚いたことにセミョーンの前妻ダナ・リンが小さな娘を連れてセミョーン宅へやってきた。同じ家に前妻と今の妻が同居している。2022年にマリヴァがウクライナから連れてきた3人の内、年上のマハはセミョーンと段り・リーとの間に産まれ、彼の名も、マハ・リーだ。養子縁組したのかどうか知らないは、マハの国籍はウクライナで、ダン・リーと彼女の娘の国籍は中国だ。娘の父親はセミョーンの後の中国人パートナーで、もう別れているという。つまり、7月後半から8月前半までの、彼らの家には、セミョーンを中心に、前妻と前妻のパートナーとの娘。前妻とセミョーンとの息子、今の妻との2人の息子が住んでいたわけだ。時間が経っているから、女性同士の葛藤はないのか。しかし、層とは言え、段は娘を連れて、多分息子も連れて、滞在中の大半はH市の陽庵へ行っていた。こちらにいるとき、私は彼らを我が家に招待した。子供達は喜んできて、おもちゃで遊んでいた。マリヴァも来たがそのうち帰った。私は、なぜ、息子のマハを夫とその妻に預けたのかと聞いてみた。自発的に我が子を夫の新家族に託すような母親はいないだろうと、思わざるを得ない。もしかして、継母達が『先進国』日本へ行くと知って、そこで教育させようと手放したのだろうか。私の直接の質問に対してダンは返事をしなかった。ダンはマリヴァと違って見た限り穏やかで、易しそうだった。私の質問を聞いてマハは、母親にその質問を繰り返した。なぜ自分を捨てたのか、となる。 ダンは帰国に連れだって、マハを自分たちの家(ハルピン近くという)に短期間旅行させる予定で、ビザ申請をしていた。しかし、ウクライナ国籍で日本避難民が中国へ旅行数というビザは交付に時間がかかったらしく、ダンの帰国には間に合わなかった。来年(2025年)の夏休みに延期という。 前述のように、セミョーンは2023年2月末に来日、4月前に妻子と合流して、1年間、親子5人で暮らしていた。もちろん最初は満足していたと思うが、2024年4月頃、マリヴァが、夫がもらっていた支援金が打ち切られるから家賃を減額してほしいと言いに来たのだ。 支援金がそろそろ切れる頃だ。)家庭内の事情の報告に来たわけでじゃない、来日直後の、新聞にも書かれた夫婦の熱愛状態はどうなのだ?マリヴァが言うには、セミョーンは自分の留守中にマリヴァと親しくなった男性がいたと、責めたそうだ。マリアは、そのことを私がしゃべったのだろうという。まさか、夫に面と向かって妻の浮気を申告するような無粋なことを私はしない。横で観察していただけだ。宮田さんには言ったが、彼もセミョーンには言わないと言った。なぜなら自分で見たわけではないからだそうだ。マリヴァは最初の数ヶ月寂しくて仕方がなかった。アツシという男性が話し相手になってくれただけだ、と今更ながら、私を説得しようとする。あの頃テレビ局の取材で言っていたこととも、違う。どこかから(私からだと言うが)聞いてセミョーンは妻の行状を知って別れたいと言われた、とマリヴァは言う セミョーンは妻が夜にバーだかカフェだかに行くことも非難しているそうだ。マリヴァのやりそうなことだ。そんな費用があるなら家賃の減額したくない。それとも誰かにおごってもらってるのか。 子供達は半々で養育するという。だいたい週の前半は母親宅で、後半は父親宅で。 セミョーンは、まずマリヴァと同じ家に住みたくなかったらしい。これは夫婦関係以外の理由があるかも知れない。ぜんじゅつしたようにマリヴァは家事が好きではない。家中散らかし放題で片付いていることはなかった。それが、セミョーンが合流して以来、玄関の靴がそろえられているようになった。室内も整頓されているようだ。マリヴァが『夜遊び』をして彼が家の掃除とは、割が合わなかったことだろう。セミョーンは、狭くても自分だけの整然とした家に住みたかったのかも。それで、アパートなどの物件を探したが、どれも意外と高価だと思ったらしい、子供の保育園近くに古い小さな1軒屋が貸しに出されていたが、外国人にはかせないと家主に言われたそうだ。アパートでも、外国人用でない限り、セミョーンは借りられなかった。しかし、1DKだがこぎれいなアパートを見つけて、自分か購入した家具を持って引っ越していった。連帯保証人は彼の勤め先の会社がなってくれたそうだ。 離婚手続きはしていないらしい。夫が妻の経済的援助をしているどころではない。夫は、子供の養育は半分自分がやっているからと、市からの児童手当の半額をマリヴァに要求しているという。だから、マリヴァは自分はお金がないという(だから家賃の減額を)。 しかし、この3年間の彼らの生活ぶりは、全く、『かわいそうな難民』らしくない。優雅な国内旅行、免許取得、車の購入、夜のカフェ(?)・・・セミョーンが本田のハイブリッド゙車で子供達を迎えに来たときは私も驚いた。私の家の前に長い間泊まっていて、迷惑だなと思ったくらいだ。 2025年7月初めに賃貸契約書の更新のため、マリヴァに我が家に来てもらった。とにかく、彼女は値切る。これがウクライナの習慣なのか彼女の個性なのか知らないが、何事も恥ずかしいくらい値切る。失敗してもダメ元、成功すれば儲けものという意図が見え見えだ。今回、家賃は彼女が値切った通りにしてあげた。家賃は借家人の収入によって決まるものではなく、物価や地便によって決まるものだと言いたかったが、私は承知したのだ。今までの3年間は宮田さんが連帯保証人だったが、彼は、3年で期間は切れたはずだと行って、保証人は辞退した。マリヴァは夫のセミョーンになってもらったらと言う。彼は『高給』を取ってているそうだ。セミョーンが連帯保証人なら歩の保証人が必要だと断った。セミョーンが言うには彼女には友達も多いから誰かなってくれるだろうとのこと。しかし、親族でも他人でも連帯保証人というものは、軽々となれるものではない。セミョ-ンのアパート賃貸の時は勤め先が成ってくれたそうだ。私は敷金が今までのように2ヶ月分でなく3ヶ月分ならいいと答えた。彼らが突然消えても清掃代と不要品運搬代ぐらいには成るだろう。 相変わらず、マリヴァは、いつもの手、分割を頼み込んできた。それだけに金額が新契約発行までに用意できないという。冗談じゃない。それまでもためればいい。そんな短期間でためられない。このことはかなり前から言っていたことだ、それなら『高給取りの』夫に援助してもらえばいい。夫はびた一文援助してくれない、それどころか私から取っていく。彼と養育を折半しているなら、養育費も折半して当然だ。分割は容認できない。それまでも誰かから借りて支払ってください』 これで彼女は沈黙した。ダメ元で行っただけだから。 . |