クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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home up da February 22, 2023 (追記:2023年7月20日,2023年9月20日)  筆者へのメール
39-2  ウクライナ避難民母子と  (5)  
с беженцами из Украины   2023年7月から9月


 1  2  3  4  5
 1 2022年2月以前  8 借家と環境を見に来る 15  長男マハ   21  夫セミョーン  9『陽庵
 2022年2月から6月  9 『陽庵』  16 マハの虫歯  22  2023年6月から  19.『陽庵』の寺山さん
 3  フェイス・ブックで  10  引っ越ししてくる  17 マハ、続き  23  テレビの取材  21.夫セミョーンから
 4  住居の勧誘  11  マリヴァの仕事  18 アツシ  24  個人情報  仮名
 5  日本避難以前のマリヴァ  12  保育園。学校  19 『陽庵』の寺山さん  25  F 市支援者からの情報  
 6  マリヴァとのメール  13  ベビーシッター  20
シンジさん  26  富士山登山と賃貸契約書  
 7  到着  14 マリヴァの初期の頃の交友     27  不調  


 9.『陽庵』
 セミョーン・テルリスさんとのフェイス・ブックでのやりとりで度々言及されていた寺山『上人』に会ったのは、到着当日の空港が初めてだ。2時間弱の延着飛行機の待ち時間の間に話は聞けた。インド(?)での行脚から帰ったばかりだったらしい。前記のように、お互いのキルギス旅行の話もした。寺山さんは、キルギスに詳しい人がいるとは日本では珍しいと、思ったようだ。寺山さんはキルギスばかりか、チェチェンにも行ったことがあると言う。こんなところでチェチェンに詳しい人と会うことは珍しい。お互いにキルギスの話もチェチェンの話も、もっと深く話したいと私は思った。 
 だから、寺山さんが是非にと言ってくれた2022年7月23日に陽庵と言うところに行ってみた。そこは普通の民家で、一階の二間を一室にしたような広めの部屋の奥に祭壇があった。仏教だから仏壇だが、そこには寺山さんの師で藤井日達(1885-1985)と言う僧侶らしい老人の大きな写真もあって、一見して「おやっ」と思ったものだ。個人崇拝?(政治や宗教にはありがちか)。その祭壇には、いろいろな付属品が並んでいる。なるほど、マリヴァがここに住まないことにした理由もわかる。子供達が触ってはたいへんだ。(もっと重要な理由は、陽庵のあるところは田舎だ。都市と農村の格差の大きいウクライナ(やロシア)に育ったマリヴァは田舎に住みたがらない。退屈で遊ぶところもないと思っているのかな。日本の田舎はそうでもないが)。
 仏教の坊さんと聞けば、親代々か、何らかの縁で寺を継いだ人か、京都奈良などの旧い寺院で修行した人かと、そんな先入観のあるものだ。が、その寺(らしい)の陽庵と言うところは、全く私的で寺山さんの一存で運営されているようだった。日蓮宗日本山妙山の僧侶であった藤井日達に心酔(?)して、開いた施設で、全体として果たしてどう言う宗教的位置にあるのか不明だ。H市に日蓮宗の寺はネットに13軒載っているがその中には陽庵はない。寺ではないからだ。宗教組織に縛られないと言うことか。それというのも、いろいろな人からの話でわかったことだが、寺山さんは青年時代、藤井日達が1917年創設という宗教法人日本山妙法寺に『帰依』したそうだ。そして世界各地(と言うが、インド、ネパール、旧ソ連圏など)で、平和運動をしているという。だから新興仏教か。
 南無妙法蓮華経と唱え太鼓を鳴らし平和を祈るという以外の教義は、寺山さんからは聞き出せなかった。「一神教のキリスト教やイスラム、ユダヤ教などには神が宇宙のすべてを創ったと言っているが、仏陀は自分が宇宙を作ったとは言ってないですね。神道や世界各地の民俗宗教ではたいてい創造神が出てきます。仏教では全能の創造神がいないので、ほとんど無神論のようにも思えますが」と言ってみたことがある。これは有名な問なので、一応『上人』様と敬われている彼の意見が聞きたかったのだ。しかし、「理屈っぽいね、マリヴァのように」、といなされただけだ。彼には指が一本ない。平和を願って自分でろうそくの火で焼いたとか。彼の腕などには傷跡がいくつかある。私は、何という時代錯誤か、と思ってぞっとした、がここは礼儀を守って黙っていた。中世のヨーロッパではあるまいし。自分の身体を痛めうけることで念願(戦争を止める)が成就されるものか。ホモ・サピエンスが、生物としての存在を止めないかぎり戦争はなくならないのだ、と私は密かに確信している。

 前記のように、寺山さんやセミョーン・テルリスさんはインドやネパールをも歩いているそうだ(フェイス・ブックに多くの写真あり、寺山さんは宗教活動をしているとみられる自分の膨大な写真をファイスブックに常に載せている。まさにぴったりなスナップ写真ばかりが載っていて、ある人によるとスタンドプレー、見せかけのショーウインドウ。大自然の中で両手を大空に向かって挙げている写真や、帰依者(インド人かも)に囲まれて手を合わせられている写真など、いかにも自分を持ち上げている写真が毎日何枚も投稿されている。これら、自分のフェイス・ブックに載せている写真は、明らかに自分が撮ったものではない。自分で自分をこんな絶好のアングルで撮るのは難しい。誰かに、この角度で撮ってほしいと言って撮らせたものばかりだ(実は私も撮ってあげたことがある)。見る人にとっては、偉人の振る舞いのふとしたひとコマを見るようでありがたい、とうつる。お布施も集まる。しかし、その仕掛けを知っている人にとっては『笑っちゃう』だ。(失礼だから口外しない)
 寺山さんは宗教者なので経済活動はせず、所得はないことになっている。が、普通以上に豊かな生活をしている。いったい日本からインドなどへの飛行機代はどこからか。国内でもその旅行代(豪華温泉地のこともある宿代も含めて)はどこからか。宗教のあるところには昔も今も、西も東も富が落ちてくるのか。
 キルギス『道場(仲間の集会所)』を寺山さん中心で建てたようだ。寺山さんの出身高校の同窓生が、宮田さんに限らず、応援しているそうだ。みんな地方のちょっとした資産家だし、それに、寄付の額は、日本では低くても途上国では低くないかも知れない。本人の親戚には有力者もいるらしい。それが日本財団の幹部らしい。なるほど、これでパズルの1片が埋まったというものだ。
 7月25日。手続きの帰り、宮田さんの車でマリヴァが再度借家を見に来る。掃除がしてあって、こぎれいになっていた。
 19,『陽庵』の寺山さん(2)
  寺山さんは、当初、マリヴァに対しては、育児嫌い家事嫌いに腹を立てていたようだが、ウクライナ難民の、しかも自分の宗教に帰依しているマリヴァ一家の世話をしているのだと言うことを、宣伝するのに余念がないらしく、私のアツシのことを含めた、あけすけの数回の訴えも、『まあまあ』または『アツシのことは知りたくない』と言う形で、やり過ごしていた。この機会に、ウクライナにも自分の信者がいると、実物を示せたので好機だと思ったのだろうか。
 例えば、2022年12月16日の私から寺山さんへのメールは;
 『今 朝の10時半です。アレックとロキは保育園でコロナ患者が出たため休園、在宅です。外で子供の声がするので行ってみました。半裸のロキとアレックが昨日の雪で遊んでいます。ママは?と聞くと寝ているということです。昨日はマハも子守で(?)学校は休みました。明日は来るようにとの学校からの電話は昨日伝えました。だから、今日はマハは学校で、下の子二人だけで遊んでいました。多分マハは朝食なしで一人で起きて登校したのでしょう(?)。これでは父親がわりのアツシがいたほうがマシです。寒いから家に入るように言って、台所は見ただけ(手もつけられないという意味)で、玄関の靴だけ整頓してあげました』
 といったもので、似たような『近況報告』は何度か打った。と言うのも、寺山さんは、マリヴァ達が避難してきた7月中頃から8月中頃までは、H市の『陽庵』という私的道場(自分流の、前述)にいたが、その後、マリヴァ達のことは頼むと宮田さんや私に言って、インドに『布教活動』とかに、去って行っていたのだ。だから、私は度々、マリヴァの行状を本当の身元引受人である寺山さんにSNSで訴えていたのだ。年末には帰って来るという。帰国の目的は、後にわかったことだが、当初、私はマリヴァの様子を見に来ることだと思っていた。
 それで、マリヴァに言い聞かせることのできるのは寺山さんだけだと、そう私も宮田さんも宮田さんの奥さんのゆきえさんも思って、みんなで宮田さん宅に集まった。マリヴァのお世話をしてくれてありがとうとだけ言いたかったかも知れない寺山さんに、私も宮田さんもゆきえさんもマリヴァの行状をガンガン言って、マリヴァの行状は子供のためにはならないと寺山さんを責めたのだ。日本へ呼び寄せたのは寺山さんだから、マリヴァに言い聞かせてほしいと、口々に言い立てたのだ。
 寺山さんはアツシの話は聞きたくないと言った。育児嫌い家事嫌いについては沈黙していた。宮田さんは、マリヴァのことばかりではなく、寺山さんの派手な宗教活動(と言うより自己宣伝活動)、新聞に書き立てられ、自己賛美の写真を毎日投稿しているフェイス・ブックのこと、それらは、師である藤井日達上人の教えに反するものだと、『理』なるものを、寺山さんに話した。寺山さんは反論しなかったが、改めるとも言わなかった。反省もしなかった。ぶすっと聞いているだけだった。
 その後も、寺山さんは自分のフェイス・ブックに、マリヴァ一家が陽庵でお参りしている写真など、度々載せた。子供達(と言っても、主にマハ)に慕われている写真などの投稿を続けた。さらには、正月には一家を同伴して和倉温泉豪遊の派手な写真をフェイス・ブックに載せて、こうしてウクライナ避難民一家を慰めてあげたと書いてあった。交通機関も金ビカ豪華で、旅館の食事も豪華。この費用はどこから出たのか、まさか旅館側の寄付ではあるまい。そうした旅行から帰ると、駅にアツシが迎えに行ったのか、その日の夜は我が家の近くに彼の車が止まっていた
 いつも、寺山さんの投稿は、概ね写真とローマ字の南無妙法蓮華経という題目のみだ。もし3行以上の文がある場合は、素人には不明の宗教用語を並べてあるだけだ。それはまるで読む人を煙に巻いて自分をありがたがらせるためだとしか私には思えない。『サンガ』や『ダルマ』ならわかる。単語だけで前後のつながりは不明だが。日蓮宗に『黙示録』もおまけとしてわかると言っておくが、ネットでも不明なFunshwui幾何学とは何だろう。さらに、1日に何十枚という写真の投稿がある。同じ場所で祈る自分を様々な角度から撮ってもらったものも多い。
 
 金箔列車で温泉へ
 
 東京の寺山さん親戚宅

 また寺山さんは、熱海にあるとか言う本山にマリヴァ一家を招待して、ついで東京見物もさせた。家族の事情で学校を休ませることはよくないという私の抗議にもかかわらず。フェイス・ブックには熱海の本山ではマハに太鼓をたたかせているような写真も載っている。こんなものをフェイス・ブックで拡散して寺山さんはうれしいのだろうか。マリヴァはついでに、関東にいると言うマリヴァのウクライナ時代の親友オリガとも会ったらしい(マリヴァと同居して助け合いたいと来日前に言っていた女性だ)。東京には寺山さんの弟が豪華な家で暮らしている。そこを訪れてくつろぐ写真も載っていた。弟は、日本財団に関係しているとか。そこのトップに近いのかも知れない。(マリヴァの渡航は日本財団からの費用が)
 行きは新幹線だが帰りは夜行バスで『1月10日早朝に金沢に着きます。駅からタクシーで帰宅させます』と、寺山さんのメールにあった。さすが、この時はマリヴァもアツシに寺山さんもいるらしい駅まで迎えに来てほしいと連絡するわけにも行かなかったのか。
 10日はもう学校の3学期が始まっている。マハはこれまで度々無断欠席をして、そのたびに私に電話がかかってきていた。私は電話機を持ったまま、マリヴァの家に確かめに行ったものだ。この日、朝9時に保育園から来てないと電話があった。見に行くと子供達だけで遊んでいる。『ママはどうしたの』と聞くとマハが寝ていると答える。呼んできて、と言ってマリヴァの寝室のある2階に呼びにやらせるが、いないという。なぜ、マハは学校に行かずに弟たちと家で遊んでいるのか。直ぐに行きなさい、と言うと、朝ご飯がまだだから、行けないという。何でもいいから食べて直ぐ学校へ行きなさいと言って、私は自分の家に戻る。しばらくしてマリヴァから電話とメールがあり、その時は入浴していた、朝帰ってきて疲れているから学校へ行かないそうだ。それなら、前もって、連絡てほしかった。その日も、夕方早速アツシが来る。

 ずっと後になるが、2023年4月後半には、寺山さんは3月のセミョーンの帰国に合わせたように、インドかどこかから帰国した。セミョーン一家5人は早速陽庵へ行く。それまではオルネンコさんがいるだけだった陽庵に行き、マスコミの取材も盛んだったらしい。私は新聞は取ってないし、テレビも天気予報以外は見ないからどんな記事だったか、放送だったか知らない。
 5月の広島でのサミットに二人のウクライナ人を連れて行こうとは、全く寺山さんの思いつきそうなことだ。広島の仏教寺院かどこかでうちわ太鼓をたたいている写真が何枚もフェイス・ブックに投稿されていた。G7サミットの開かれている広島までわざわざ行ったという写真にしてはかなりしょぼいものだった。インドなどで絶妙な音楽とともに流れてくる寺山さんの自己流宗教活動らしいビデオではなく、広島の片隅で一応太鼓をたたいているといった感じのみすぼらしい写真ばかりだった。そしてその写真にはオルネンコさんが滅多に写ってはいなかった。つまりオルネンコさんはカメラマンになっていたのだろう。広島でオルネンコさんのカメラマンでは、よいアングルの写真は撮れなかったのだと私は見ている。たまに、オルネンコさんと寺山さんが写っている写真もあったが、セミョーン・テルリスが撮ったこれらも、神々しさは感じられない。口の悪い人が言うには彼らはピッピー坊さんみたいだとか。
 寺山さんの記事が新聞に出るとその切り抜きが必ず、フェイス・ブックに載った。地方新聞の地方版だけではいくら大きな自分の写真があっても宣伝力は低いとみて、わざわざフェイス・ブックに載せたのか。寺山さんのこの派手な行動は、日蓮系日本山妙法寺の他の僧達にとっては、誇りに思うことなのか、苦々しいことなのか
 21、夫セミョーン  から
  日蓮宗 日本山妙法寺 設立者藤井日達(1885-1985)の永眠した寝台の枕には彼の写真が飾ってあるそうだ。遺体をおいてお祈りするわけにもいかないが,写真ならその代わりになる。私はフェイスブックで寝台の日達師の慰霊に向かって祈っている信者達の写真を見た。師は果たしてこうするように遺言したのかどうか。

 それにしても、古今東西にかかわらず『宗教のあるところ富が集まる』というのは本当だ。

 元々私がこの家をマリヴァに貸したのは、セミョーンのフェイス・ブックを見たからだ。そして家の間取りや地図や写真などを私から送られて、マリヴァにこの家を勧めたのはセミョーンだ。なぜ勧めたのか。無料で住める公営住宅があるにもかかわらず、有料の民家を選んだのは、家が広くて日本風庭園があり、自分が合流することになっても快適だと思ったからだろう。
つまり、最初から合流する予定だったのだろう。
セミョーンの配属場所はあまり危険でないウクライナ西部にいた。(背中と腕にドラゴンの入れ墨のあるセミョーン・・・極右だとすると、つじつまの合う話だ。)

 さらに、中心人物の寺山さんが、セミョーンの来日に合わせ、帰国して、関東の仏教S系の行事に、セミョーン達を招待するとか、その後東京見物させるとか、合計2週間も招待したとか言うフェイス・ブックの記事を読んで、ますます、あきれかえった。寺山さんの自己誇張的な写真ばかりか、宗教哲学的な用語(ダルマ、カルマ、旧約聖書的でさえある黙示録とか、などなど。また、アルタイとかヒマラヤとか、バクトリアとかクシャーンとか、わずかでも世界史の知識のない人にはその音の響きだけでありがたいという地名などなど)を並べ、つまり、どうも彼が大好きだと思われる衒学趣味の単語が前後のつながりも不明で並んでいる。もしかして難しくてありがたそうに聞こえるが、意味不明の記事だったりする。つまり内容はなし。(これは私一人の誤解だろうか)

4-27 セリョージャとのそれなりに興味深い不調のつづき
 彼の師という寺山さんがフェイスブックに上皇様へ上奏文というのを載せていたので、読んでみると、肝心の宗教としての教義そのものは全く述べられていない。彼自身がヨーロッパ中(?)をまわって平和運動をいたこと、権威ある人に会ったこと、今までなかった地に仏舎利塔をたてたことと、彼流の浅薄な世界情勢を述べ、要するに歯がうずくような自慢話が延々と続き、有史以来続いていた皇統に『文明破局の大火を未然に滅し給わんことを』お願いしている。どんな宗教を信じようと信じまいと自由だ。私は、確かにこのような宗派のこのような仏教僧は尊敬していない。仏教の歴史については詳しく調べたことがあるが、その思想については、何冊か購入した本があるがまだ読んでいない。
 仮名
マリヴァ・テルリス (マリア・トゥリリス Мария Трылис, Mfriia Trylis 1987年1月10日生)
セミョーン・テルリス (セルゲイ・トゥリリス Сергей Иванович Трылис ,Serhii Trylis 1973年5月10日生)
マハ・リー (マガ・リー Mah Li 2014年8月22日キルギス生まれ)
アレック・テルリス (アミール・トゥリリス Amir Trylis 2017年9月12日キエフ)
ロキ・テルリス (リン・トィリリス Lin Trylis 2019年10月11日キエフ)
オルネンコ (フィロネンコ Serhii Filonenko1962年5月2日トネツク州)
宮田さん (宮城忠司 羽咋市)
ゆきえさん (宮城ゆき子)
寺山さん (寺沢潤世 羽咋市)
アツシ (田嶋健 福井市)
シンジさん(小堀喜信 金沢市)
まち子さん (森岡真木子 福岡市)
建国祭交流課のウクライナ語通訳 オクサーナ (ナターリア)
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