クラスノヤルスク滞在記と滞在後記
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up date  2004年4月20日 (校正06年6月12日、08年6月25日、12年3月20日)
ツングースカ(トゥングースカ)のエヴェンキヤ(2)
2004年4月9日から4月13日

Эвенкия на реке Тунгуски

(1) エヴェンキ自治管区という自治体
  ツングース・チュンスキー区の中心ヴァナヴァラ村
  ヴァナヴァラ村に飛ぶ
  パドカーメンナヤ・ツングースカ川のヴァナヴァラ村
  パドカーメンナヤ・ツングースカ川のハンター小屋
(2) エヴェンキ家庭訪問
   ヴァナヴァラ村社会見学
   村長ウラジミル
   ヴァナヴァラ村の将来
   やはり隕石
(補) 2007年パドカーメンナヤ・トゥングースカ
(補) 2008年クラスノヤルスクから神秘のトゥングースカ川へ

 エヴェンキ人の家庭を訪問する
 エヴェンキに関する本は、クラスノヤルスクにもほとんど売っていません。ヴァナヴァラ村には、ウォツカを売る店はあっても本屋が1軒もありません(と、タチヤナが言っていた)。エヴェンキ自治管区ツングース・チュンスキー区役所へ、しらふのスズダレフ氏を訪問した時、そこの棚にあるエヴェンキに関する本を一通りプレゼントしてもらいました。
 そのうちの2冊は、ハバロフスク地方出身のエヴェンキ人で経済学者、現エヴェンキ自治管区議会議長のアモーソフ著者「エヴェンキ自治管区の北方少数民族について」と「天から印を付けられた地」と言う題です。1908年6月30日、有名なツングース大隕石がこの地に落下したことを述べています(正確には隕石かどうかは不明、『大火球』ともいう)。天が付けたかもしれない印であるクレーターは見つかっていません。「40キロにわたって動植物は死滅し、2千平方キロ以上にわたって樹木が倒壊焼失した。これは広島に投下された原爆の2千倍のエネルギーであると学者たちが述べている」と、その本に書いてあります。
エヴェンキ人の家庭を訪問
エヴェンキ風毛皮の壁掛け飾り
エダリクばあさん(エヴェンキ民俗学貢献者)
クロテン(セーブル)、毛皮の王様

 さらに、その本には「エヴェンキ人(旧称ツングース人)は現在ロシアに3万人ほどいて、オビ川の東からオホーツク海までシベリアに広く分散している。エヴェンキ自治管区に住んでいるのは3千人程度で、大部分はイルクーツク州や、サハ(ヤクート)共和国などに住んでいる。実はサハにエヴェンキ人が一番多く住んでいる。中国の文献には古くからエヴェンキ人について記載があり、もともと、バイカル湖やアムール川のほとりに住んでいたが、より強力な牧畜民族の圧迫で、シベリア極寒の地に分散していった。現在、中国やモンゴルにも数万人いる。ロシア革命後の1923年、ヤクートのエヴェンキ人は、帝政時代以上に税の取立てが厳しくなったソヴィエト・ヤクート自治共和国に反対して、独立ツングース共和国を打ち立てようとしたが、失敗した。(1923年7月14日から8月25日まで存続)。その後、1930年、現クラスノヤルスク地方の前身の「東シベリア地方」に、両ツングース川の流域を含めてエヴェンキ民族管区ができた」とあります。

 シベリア、中国、モンゴルの広範囲にわたって分散するわずかなエヴェンキ人が、エヴェンキ自治管区に、さらに、ほんのわずかしか住んでいません。16世紀、17世紀に毛皮を求めてやってきたロシア人が、毛皮と交換にウォツカを与えたため人口が減ったことは有名です。これは、生業が狩猟、漁労、採集のエヴェンキ人がほとんど穀物や野菜を食べなかったので、アルコールに対する抵抗力が弱かったためだそうです。

 ヴァナヴァラ村にはエヴェンキ人はさらに少なく、たった200人ほどで、タチヤナによると皆貧しく、アルコール中毒になっていて、きちんとした生活をしているのはさらにそのうちの数家族だけだそうです。そのうちの1家族を訪問しました。
 80歳の元気なおばあさんはエヴェンキ語の名前をエダリク(息子が生まれるのを期待していたのに娘が生まれた、という意味)と言います。エヴェンキの口承伝説を伝えて本にしたりエヴェンキ語辞書の編者の一人なので、エヴェンキ民俗学貢献者ともいえます。若い頃はチュムと言う円錐形移動組み立て型住居(モンゴルのパオやトゥヴァのユルタは円筒形の上に円錐形の屋根がある)に住み、トナカイの放牧をしていたそうです。エヴェンキ人にとってトナカイは最も重要な家畜で、交通手段にもなり、他に食べ物がない時は食料にもなるそうです。財産はトナカイの頭数で表しました。姪は、ヂュルプタコン(2度食べる)、息子はシンゲレク(ネズミと言う意味)、亡くなった夫はモントン(美しい額)と言うのでした。もちろん、ソ連時代に入るとロシア風の名前に変えたそうです。そうでなくとも、エヴェンキ人は、生涯に何回か名前を変えたそうです。子供が病気にならないように怖そうな動物の名前を付けました。

 エヴェンキ人は射撃の名手で、帝政時代から森の動物を撃って、その毛皮で税を払ってきました。そのなかでもクロテンの毛皮が一番上等で、今でも年間何匹か撃っているそうです。内臓を出して、まだあまりなめしてない新鮮なクロテンを見せてくれました。1匹七千円くらいで売ってもいいと言われましたが、日本の冬は毛皮が必要ありません。クロテンの目に弾丸の跡がありました。背中に穴があいていたら、毛皮の値打ちが下がるからです。やはり射撃の名手です。
 エヴェンキ語も教えてくれました。エヴェンキ語で書かれた初等読本とロシア・エヴェンキ語辞典もくれました。先年、中国から中国系エヴェンキ人がトゥラ町に来た時、テレビで放送されました。中国系エヴェンキ人の話す言葉は、中国訛りがありましたが、ここのおばあさんたちにもだいたいわかったそうです。

 その日、夕方、ウラジミル宅の蒸し風呂に入り、風呂上りには、今朝パトカーメンナヤ・ツングースカ川で釣ってきたサケ・ニジマス類の魚で、ウォツカです。ウォツカを飲まない私にはグルジア・ワインが出されました。これら酒宴の費用は私の六百ドルから出ているのかなあ。

 ヴァナヴァラ村社会見学
 次の日は、ヴァナヴァラ村の社会見学をすることになりました。孤児院、幼稚園、初等芸術学校、身体障害者用施設、老人ホームなどを訪れました。老人ホーム以外どこも、新しい家具、新しい設備などが入っていました。すべてここ1、2年で、このように整備されたそうです。
新設の孤児院。幼児部
学校、子供達が描いたエヴェンキの絵
 孤児院は去年できたばかりです。それまでは自治管区庁所在地のトゥラ町に満員の孤児院があっただけでした。そこから新ヴァナヴァラ村孤児院が60人の孤児を引き取りました。孤児の大半はエヴェンキ人です。両親がアルコール中毒になって子供を育てられなくなるそうです。
 身体障害者施設は治療の技術水準はわかりませんが、家具などは日本の施設より上等そうに見えました。これらはすべて、一昨年のキャラバンで、クラスノヤルスク市から届いたそうです。

 エヴェンキ自治管区は管区予算の80から85%は国家予算からの補助金でまかなわれていて、ロシア連邦内でも最も生活程度が低い地方自治体のひとつでした。しかし、エヴェンキの地下資源の豊富さは、早くから知られ、地質調査がされてきました。チュメニ油田など西シベリアの石油ガスはいち早く開発されましたが、東シベリアのエヴェンキは、今開発中です。バイキット区のユルブチェン・タホモ地域の石油ガスは、東シベリア最大の規模で、約12億年前の古い地層に埋蔵さているそうです。前述の本にも書いてあり、アナトーリーもそれを繰り返し、エヴェンキ自治管区のホームページにも書いてありましたが、埋蔵石油ガスだけの価値でも、人口18,000人のエヴェンキ自治管区の全住民一人当たり、1300万ドルにもなるそうです。
「でも、採掘や運搬に巨額な費用がかかるでしょう」、とアナトーリーに言ったところ
「いや、その費用は、他の鉱物(偏向プリズムの原料になる透明方解石や金やダイヤを含めて)の売上でまかなう」のだそうです。
ホドルコフシキー
 すでに、数年前から石油会社「ユーコス」が巨富を築いています。その社長が有名なホドルコフスキーでした。ロシア内でも通信施設が最も整っていなかったエヴェンキに、数年前、自動交換電話機が入り、この2、3年で、衛星通信設備ができ、区役場や村役場のコンピュータ化が進み、テレビのチャンネルも増えました。幼稚園、学校、孤児院などの社会施設も整い、村内無料バスも運行しているのは、このホドルコフスキーのおかげであると、ヴァナヴァラ村民は思っています。去年、そのホドルコフスキーが逮捕されたのですが、タチヤナによると、チュコト民族自治管区知事のアブラモーヴィッチのほうを逮捕すればよかったそうです。
 エヴェンキ自治管区知事はザラタリョフと言います。元、ユーコスのトップクラス経営陣の一人です。ユーコスは社長が変わっても、当自治管区の予算を支え、社会事業のスポンサーであることには代わりはないと、知事は広報用パンフレットやホームページに書いています。

 お年寄り用施設の方は、諸施設、内装用調度品、家具などが去年のキャラバンで届いたばかりで、まだ、設置されていないのでした。タチヤナがそこはいやなにおいがするから行きたくないと言いましたが、日本では最近お年よりは快適なホームに住むことが多く、私も将来その可能性が大きいのでとても関心があるのだ、と説得して見学しました。村会議員を兼ねるハカシア人の所長が案内してくれましたが、タチヤナが急がしたので、質問は遠慮しました。その施設にはお年寄りの他、若年の総合失調患者たちも住んでいました。

 村長ウラジミル
グルジア人のヴァナヴァラ村村長ウラジミル
村長室で飲みなおしていると訪問者(左端女性)も現れて
ヴァナヴァラ村の通り
村の店
ツングース・チュンスキー区役所訪問。
背後にあるのはロシア連邦(双頭の鷲)と
エヴェンキ自治管区の紋章ホッキョクシロアビ
 最後の日の夕食も、村長のウラジミルの家でバーベキューにウォツカでした。いくら飲んでもあまり酔ったようには見えないロシア人が多いです。(もっともウラジミルはグルジア人ですが。)かなり飲んだあと、皆でジープに乗って村役場へ行きました。夜なので、そこは、ガードマンの他は誰もいません。村長室で、私たちはまた飲みなおしました。
 帰りの運転もウラジミルで、もちろん飲んでいます。田舎ですし、おまけに永久凍土のためアスファルト舗装もしてありません。今は冬で雪に埋もれていますから、スピードも出ません。交通量がとても少ないので車同士が衝突するのも難しいです。ハンドルを誤っても雪の山に突っ込むくらいでしょう。ウラジミル村長は、いつも、まず車を運転する前に、ハンドルさばきがうまくいくよう一杯飲むそうです。飲まないでほしいと頼んでもだめでした。そのうち、慣れました。

 ヴァナヴァラ村の将来
 ヴァナヴァラ村は、もともと、エヴェンキ人のトナカイ放牧拠点のひとつでした。南のアンガラ丘陵から流れてくるカータンガ川と北から流れてくるテテレ川の合流地点近くで魚も豊富で、近くの森の中には獲物も多く、猟の獲物交換所ができました。革命後、ロシア人も移住してきてコルホーズができ、学校や病院が建ち、村らしくなりました。ソ連時代住民は一時は6000人もいて、その半数が埋蔵資源の調査をする地学関係者だったそうです。ソ連崩壊後、地質調査員は職を失って村から去ったので、人口は半分の3000人になりました。残った3000人は何に従事しているかと言うと、役所関係、学校、病院、商業関係などです。農業などは、零細で、地域の需要もまかなえません。ソ連時代に盛んだった林業は、今の自由経済では運送費を入れるとマイナスになってしまいます。さらに、住民のために、クラスノヤルスク市などの大都市から高い費用をかけて生活物資を運ばなくてはなりません。(先住民は自給自足でしたが)

 村には、都市集中暖房はもちろんありません。小さな木造の家がそれぞれ自分のところのペチカを炊きます。燃料は薪で、どの家の前庭にも薪が山と積んであります。ということは、毎年多くの木が伐採され、森林が減っていると言うことでしょう。事実、森林が減ってツンドラが増えているそうです(住民の薪用の伐採はわずかで、林業としての伐採だが)。3000の住民がそっくり、クラスノヤルスク地方の南部に移住したらどうでしょう。森林も助かりますし、寒がりのロシア人も喜びます。南部に空いている場所がないわけではありません。ヴァナヴァラ村のような寒いところは、人間が無理をして住居設備を作って住むところではなく、自然のままに、動植物に任せておけばいいです。
 しかし、エヴェンキの地下資源について、隣のイルクーツク州ウスチ・イリムスク市と結ぶ全天候型道路を建設しようという話もあるくらいですから、ヴァナヴァラ村は、やはり、将来、石油とガスの基地町になるのでしょうか。

 やはり隕石
 ここ1,2年、国内旅行をよくするようになりましたが、どの旅行も特徴があって興味深いものでした。パトカーメンナヤ・ツングースカ川の上流にあるヴァナヴァラ村での4日間もそうでした。氷のツングースカ川で魚を釣って(私は釣れなかったが)食べ、融けかかってもまだまだ安全なパトカーメンナヤ・ツングースカ川の氷の上を歩き、ヴァナヴァラ村の住民と知り合い、今まで何も知らなかったエヴェンキ自治管区について少しは知ることができたりのですから。

 タチヤナからは、日本からの旅行者を受け入れるから連絡してほしいと言われています。6人ほど集まれば、ヘリコプターをチャーターしてツングース大隕石落下地点へ行けるそうです。ドイツからもグループが毎年来ている、日本人グループも来たことがある、その時、日本人は、蚊に刺されるのも厭わないで、隕石落下点を裸足で歩き廻っていた、と言っていました。
ツングース隕石をデザインしたヴァナヴァラ村のバッチ

 ちなみに、エヴェンキ自治管区のシンボルは伝説の「ホッキョク・シロアビ」ですが、ヴァナヴァラ村は「ツングース隕石」です。バッチもあります。ツングース・チュンスキー区役所を訪れた時、記念に貰いました。                     

        
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