12-(2) トゥングースカ(トゥングースカ)のエヴェンキヤ(2) 2004年4月9日から4月13日 |
Эвенкия на реке Тунгуски
(1) エヴェンキ自治管区という自治体 |
トゥングース・チュンスキー区の中心ヴァナヴァラ村 |
ヴァナヴァラ村に飛ぶ |
パドカーメンナヤ・トゥングースカ川のヴァナヴァラ村 |
パドカーメンナヤ・トゥングースカ川のハンター小屋 |
(2) エヴェンキ人の家庭を訪問 |
ヴァナヴァラ村見学 |
村長ウラジミル |
ヴァナヴァラ村の将来 |
やはり隕石 |
(補) 2007年パドカーメンナヤ・トゥングースカ |
(補) 2008年クラスノヤルスクから神秘のトゥングースカ川へ |
エヴェンキ人の家庭を訪問する | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エヴェンキに関する本は、クラスノヤルスクにもほとんど売っていません。ヴァナヴァラ村には、ウォッカを売る店はあっても本屋が1軒もありません(と、タチヤナが言っていた)。エヴェンキ自治管区トゥングース・チュンスキー区役所へ、しらふのスズダレフ氏を訪問した時、そこの棚にあるエヴェンキに関する本を一通りプレゼントしてもらいました。 そのうちの2冊は、ハバロフスク地方出身のエヴェンキ人で経済学者、現エヴェンキ自治管区議会議長のアモーソフ Анаторий Амосов著「エヴェンキ自治管区の北方少数民族について」と「天から印を付けられた地」と言う題です。1908年6月30日、有名なトゥングース大隕石がこの地に落下したことを述べています(正確には隕石かどうかは不明、『大火球』ともいう)。天が付けたかもしれない印であるクレーターは見つかっていません。「40キロにわたって動植物は死滅し、2千平方キロ以上にわたって樹木が倒壊焼失した。これは広島に投下された原爆の2千倍のエネルギーであると学者たちが述べている」と、その本に書いてあります。 さらに、その本には「エヴェンキ人(旧称トゥングース人)は現在ロシアに37 000人ほどいて、オビ川(エニセイ川)の東からオホーツク海までシベリアに広く分散している。これほど広大な地にこれほど少数の民族が生活しているとは驚きである。エヴェンキ自治管区に住んでいるのは3500人程度(当管区での全人口の20%程度)で、大部分はハバロフスク地方(4000人)や、サハ(ヤクーチア)共和国(20 000人)などに住んでいる」とあります。 中国の文献には古くからエヴェンキ人について記載があり、もともと、バイカル湖やアムール川のほとりに住んでいたが、より強力な牧畜民族(テェルク系)の圧迫で、シベリア極寒の地に分散していった、そうです。 革命後の1923年、ヤクーチアのエヴェンキ人は、帝政時代以上に税の取立てが厳しくなったソヴィエト・ヤクート自治共和国に反対して、独立トゥングース共和国を打ち立てようとしたが、失敗した。(1923年7月14日から8月25日まで存続)。その後、1930年、現クラスノヤルスク地方の前身の「東シベリア地方」に、両トゥングースカ川の流域を含めてエヴェンキ民族管区ができた、と上記アモーソフ著の本にあります。
後記:エヴェンキ人は77 000人とウィキには載っている。そのうち中国の主に内モンゴルに40 000人弱、ロシアに37 000千人。モンゴルに1000人となっている(シベリアよりモンゴル・内モンゴルの方が多いのだ)。 追記:自称はエヴェンキだが、旧称トゥングース тунгус とはサハ語(ヤクート語)のトン Тон ウース уус からきている。エヴェンキとは森に住む人の意。エヴェンキ語は; シベリア、中国、モンゴルの広範囲にわたって分散するわずかなエヴェンキ人が、エヴェンキ自治管区に、さらに、ほんのわずかしか住んでいません。16世紀、17世紀に毛皮を求めてやってきたロシア人が、毛皮と交換にウォッカを与えたため人口が減ったとか。これは、生業が狩猟、漁労、採集のエヴェンキ人がほとんど穀物や野菜を食べなかったので、アルコールに対する抵抗力が弱かったためだそうです。
ヴァナヴァラ村にはエヴェンキ人は少なく、たった200人ほどで、タチヤナによると皆貧しく、アルコール中毒になっていて、きちんとした生活をしているのはさらにそのうちの数家族だけだそうです。そのうちの1家族を訪問しました。
身体障害者施設は治療の技術水準はわかりませんが、家具などは日本の施設より上等そうに見えました。これらはすべて、一昨年のキャラバンで、クラスノヤルスク市から届いたそうです。 エヴェンキ自治管区は管区予算の80から85%は国家予算からの補助金でまかなわれていて、ロシア連邦内でも最も生活程度が低い地方自治体のひとつでした。しかし、エヴェンキの地下資源の豊富さは、早くから知られ、地質調査がされてきました。チュメニ油田など西シベリアの石油ガスはいち早く開発されましたが、東シベリアのエヴェンキは、今開発中です。バイキット区のユルブチェン・タホモ地域の石油ガスは、東シベリア最大の規模で、約1.2億年前(?)の古い地層に埋蔵さているそうです。前述の本にも書いてあり、アナトーリーもそれを繰り返し、エヴェンキ自治管区のホームページにも書いてありましたが、埋蔵石油ガスだけの価値でも、人口18,000人のエヴェンキ自治管区の全住民一人当たり、1300万ドルにもなるそうです。 「でも、採掘や運搬に巨額な費用がかかるでしょう」、とアナトーリーに言ったところ 「いや、その費用は、他の鉱物(偏向プリズムの原料になる透明方解石や金やダイヤを含めて)の売上でまかなう」のだそうです。
エヴェンキ自治管区知事はザラタリョフと言います。元、ユーコスのトップクラス経営陣の一人です。ユーコスは社長が変わっても、当自治管区の予算を支え、社会事業のスポンサーであることには代わりはないと、知事は広報用パンフレットやホームページに書いています。 お年寄り用施設の方は、諸施設、内装用調度品、家具などが去年のキャラバンで届いたばかりで、まだ、設置されていないのでした。タチヤナがそこはいやなにおいがするから行きたくないと言いましたが、日本では最近、高齢者は快適なホームに住むことが多く、私も将来その可能性が大きいのでとても関心があるのだ、と説得して見学しました。村会議員を兼ねるハカシア人の所長が案内してくれましたが、タチヤナが急がしたので、質問は遠慮しました。その施設にはお年寄りの他、若年の総合失調患者たちも住んでいました。
帰りの運転もウラジミルで、もちろん飲んでいます。田舎ですし、おまけに永久凍土のためアスファルト舗装もしてありません。今は冬で雪に埋もれていますから、スピードも出ません。交通量がとても少ないので車同士が衝突するのも難しいです。ハンドルを誤っても雪の山に突っ込むくらいでしょう。ウラジミル村長は、いつも、まず車を運転する前に、ハンドルさばきがうまくいくよう一杯飲むそうです。飲まないでほしいと頼んでもだめでした。そのうち、慣れました。
村には、都市集中暖房はもちろんありません。小さな木造の家がそれぞれ自分のところのペチカを焚きます。燃料は薪で、どの家の前庭にも薪が山と積んであります。ということは、毎年多くの木が伐採され、森林が減っていると言うことでしょう。事実、森林が減ってツンドラが増えているそうです(住民の薪用の伐採はわずかで、林業としての伐採が多い)。3000人の住民がそっくり、クラスノヤルスク地方の南部に移住したらどうでしょう。森林も助かりますし、寒がりのロシア人も喜びます。南部に空いている場所がないわけではありません。ヴァナヴァラ村のような寒いところは、人間が無理をして住居設備を作って住むところではなく、自然のままに、動植物や昔からの原住民に任せておけばいいです。 しかし、エヴェンキの地下資源について、隣のイルクーツク州ウスチ・イリムスク市と結ぶ全天候型道路を建設しようという話もあるくらいですから、ヴァナヴァラ村は、やはり、将来、石油とガスの基地町になるのでしょうか。
タチヤナからは、日本からの旅行者を受け入れるから連絡してほしいと言われています。6人ほど集まれば、ヘリコプターをチャーターしてトゥングース大隕石落下地点へ行けるそうです。ドイツからもグループが毎年来ている、日本人グループも来たことがある、その時、日本人は、蚊に刺されるのも厭わないで、隕石落下点を裸足で歩き廻っていた、と言っていました。 ちなみに、エヴェンキ自治管区のシンボルは伝説の「ホッキョク・シロアビ」ですが、ヴァナヴァラ村は「トゥングース隕石」です。バッチもあります。トゥングース・チュンスキー区役所を訪れた時、記念に貰いました。
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