クラスノヤルスク滞在記と滞在後記
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up date  2004年4月20日 (校正06年6月12日、08年6月22日、12年3月20日)
ツングースカ(トゥングースカ)のエヴェンキヤ(1)
2004年4月9日から4月13日

Эвенкия на реке Тунгуски

(1)エヴェンキ自治管区という自治体
 ツングース・チュンスキー区の中心ヴァナヴァラ村
 ヴァナヴァラ村に飛ぶ
 パトカーメンナヤ・ツングースカ川のヴァナヴァラ村
 パトカーメンナヤ・ツングースカ川のハンター小屋
(2)
 エヴェンキ家庭訪問
 ヴァナヴァラ村社会見学
 村長ウラジミル
 ヴァナヴァラ村の将来
 旅がらす               
(補) 2007年パドカーメンナヤ・トゥングースカ
(補) 2008年クラスノヤルスクから神秘のトゥングースカ川へ
パトカーメンナヤ・ツングースカ川の上

エヴェンキ自治管区という自治体

  クラスノヤルスク地方の北に、エヴェンキ(エヴェンキア)自治管区という地方自治体があります。ロシア連邦のちょうど真ん中に位置します。エヴェンキ自治管区の面積は日本の約2倍ですが、人口はたったの1万8千人です。それで人口密度は1平方キロあたり0.03人と言うまばらさ。ということは、均一に並んだとすると前後の人とも左右の人とも6キロ近く離れてしまうということになります。
↑クラスノヤルスク地方。エヴェンキ自治管区↓
 ソ連時代エヴェンキ自治管区は、ハカシア(ハカス)自治州やタイミール(タイムィール)自治管区と同様、クラスノヤルスク地方(というひとつの自治体)の中に、含まれていました。今は、ハカシア共和国、エヴェンキ自治管区、タイミール自治管区と、それぞれ独立した自治体になっていて、それぞれ知事がいます(2004年当時)。
 ちなみに、クラスノヤルスク人は、今でも両自治管区はクラスノヤルスク地方に含まれると思っています。私もクラスノヤルスクに住んでいるので、なんとなく、エヴェンキもタイミールもクラスノヤルスクの一部だと思っていました。私は自分の住むクラスノヤルスク地方内をできるだけ見て回りたいと思っていたので、次の目的地をエヴェンキにしたのです。

 でも、その方面は、夏の旅行シーズンでもない限り(であっても)、旅行会社は扱っていませんから、個人的に手配するほかありません。エヴェンキ自治管区の管区庁(県庁)所在地はトゥラ町(人口6200)なので、ガイドブックで調べて、そこのホテルに電話してみました。電話に出た受付の人の話によると、各部屋にトイレもシャワーもないような寂れた宿のようです。もっと状態のいいホテルはないかと尋ねると、管区庁の知事室受付に電話がまわされました。小さな自治体なので、管区庁の渉外部が(外国人は特に)旅行者も含め来客の受け入れをやっているのでしょう。
 クラスノヤルスク市ですら、仕事で来たりスポーツ大会や国際会議参加などで訪れたりする人はいても、観光客となると夏場の短い観光シーズンにちらほらと見かけるだけです。ましてや、クラスノヤルスクから小型飛行機で3時間以上も北のトゥラ町へ仕事でもないのに、ただ観光で訪れる人など、まず、いないのでしょう。ですから、トゥラ町の知事室受付の電話の相手も
「日本人だが、トゥラ町とその周辺の観光を予約したい」と言われて、返事に困っているようでした。ホテルは予約できるが、これと言った観光はないということでした。そうかもしれません。

 ツングース・チュンスキー区の中心ヴァナヴァラ村
 そこへちょうど、ある旅行会社の知り合いが、タチヤナというヴァナヴァラ村から来ている女性を紹介してくれました。
 エヴェンキ自治管区は3つの区に分かれていて、ヴァナヴァラ村はそのうちのひとつ、ツングース・チュンスキー区の行政中心地で、人口3300人です。ちなみに、エヴェンキ内では管区庁所在地のトゥラ町が一番大きく、その次がバイキット区の中心バイキット村、それに次いでツングース・チュンスキー区の中心ヴァナヴァラ村の順になります。
 この村から60キロほどのところに1908年、有名な謎のツングース大隕石(隕石の断片や隕石孔は見つかっていないが)が落ちました。今でも、夏の観光シーズンに、落下地点跡を見がてらハンティングやフィッシングに外国人観光客が訪れることがあって、タチヤナはそういう外国人の受け入れをしているそうです。
 タチヤナと会って話したところでは、隕石落下地点へはヘリコプターでないと行けない、今行ってもまだ雪に埋もれていて何も見えない。村から1時間ほど車で行き、さらに数キロ、スノーモビールで行ったところにハンター小屋がある、そこに泊まってハンティングやフィッシングをするというのはどうか、ということでした。ヴァナヴァラ村滞在中は、田舎の不便なホテルではなく彼女の家にホームスティしたらいいと言うことで、料金(600ドルとかなり高額)と日程(4日間)を決めました。
 クラスノヤルスク地方には、南はモンゴルから北は北極海へと、南北にほぼまっすぐ、長さ4000キロのエニセイ川が流れています。その一番大きな支流は右岸のニジナヤ・ツングースカ川で、長さ2989キロあり、エヴェンキ自治管区の中ほどを西から東に流れてエニセイ川に合流します。中流にトゥラ町があります。ニジナヤ・ツングースカ川より少し南に、やはり西から東に流れてきてエニセイに合流する長1865キロのパトカーメンナヤ・ツングースカ川があり、その上流にヴァナヴァラ村があります。

 ヴァナヴァラ村に飛ぶ
 クラスノヤルスク市からヴァナヴァラ村への交通手段は飛行機だけです。飛行時間は2時間で、片道の料金は約1万円です。ヴァナヴァラ村の住民ですと、飛行機代は25%引きです。村民の足だからでしょう。ソ連時代は政治経済的政策上、毎日飛んでいましたが、今は週2回だけです。きっと小さくて、古くて、ゆれゆれに揺れて、時間通りに発着しない田舎便だろうと、チケットを買ったときに思いました。一応定期便ですから、そう簡単には落ちないでしょうが。
蛇行して流れる大河シベリアの川
ヴァナヴァラ村空港に到着

 クラスノヤルスクからヴァナヴァラ村へ飛ぶのはAN24という古いので無理もありませんが、非快適さで有名な飛行機で、乗ってみると意外と大きくて、52座席もあるのでした。ほぼ満席で、乗客は皆ヴァナヴァラ村出身者らしく、何せ人口たったの3千人の村ですからお互い知り合いのようでした。飛行機も、この1台だけが往復していて乗務員も乗客もみんな顔見知りのようでした。飛行機が古いことにはもう驚きません。座席が多少傾いていても、背もたれが倒れたままになっていても、エンジンさえ正常に動けばいいのです。機内には、トイレすらありました。水は流れなく、横にあるペットボトルの水を手動で使うのですが。
 窓からはプロペラと着陸用滑走車輪がよく見えます。
 予想に反し、AN24機はダイヤ通り正確に離陸しました。予想に反し、揺れもしません。下を見ると針葉樹林(タイガ)と低い山、その間を無数の川が蛇行して流れ、多くの三日月形の河跡湖を残しています。シベリアの典型的な空からの眺めです。何度見てもその雄大さには見飽きることがありません。そのうち雲が出て下の景色は見えなくなりました。

 1時間半も飛び、後30分で目的地と言う所まできて、ヴァナヴァラ村の飛行場が吹雪で着陸できないから、出発点のクラスノヤルスクに戻ると言うアナウンスがあり、飛行機はユーターンしました。せっかくこんなに遠くまで、ブルンブルンとプロペラを回しながらがんばって飛んできたのに、また元のところへ戻るとは、と思いました。
 後で知ったことですが、以前は、こういう時は近くの空を旋回して吹雪のおさまるのを待つか、最寄りの飛行場へいったん降りていたそうです。しかし、数年前、そうして旋回しているうちに墜落してしまった事故が起きて以来、悪天候の時は直ちに引き返すことになったそうです。また、最寄りの飛行場と言っても、この人口希薄な地方の「くさはら」空港は、今の不景気で閉鎖されたり、臨時の給油ができかねたりで、結局、クラスノヤルスクに舞い戻った方が一番便利で安全と言うことなのです。
 そういうわけで、元のクラスノヤルスク空港の待合室でさらに2時間半、天候の回復を待ち、それから、再度手荷物検査をして、またもとの飛行機に乗り込みました。今度は順調で2時間後にヴァナヴァラ空港に無事着陸しました。つまり、2時間の飛行機代で5時間飛行できたわけです。

 パトカーメンナヤ・ツングースカ川のヴァナヴァラ村
少し融けかかって大きな水溜りがあちこちにできているパドカーメンナヤ・ツングースカ川だが、無事通過できる
タチヤナとヴァナヴァラ村の警察署長
 飛行機のタラップのところには、ちゃんとタチヤナが車で迎えに来ていました。運転手はタチヤナ夫婦の親友で、ヴァナヴァラ村村長のウラジミルと言うグルジア人でした。車も、村長専用ロシア製ジープです。彼女の家に着くと、すぐに、夕食のテーブルにウォツカです。そして、電話をかけてサーシャと言う人を招待しました。サーシャはヴァナヴァラ村の警察署長です。外国人の私がきたので外国人滞在登録手続きをしなければなりません。サーシャはウォツカを振舞われ、
「うん、4日間、タチヤナのところにお客に来たわけだね」と言って、署に電話し、
「4日間なら手続きの必要はなさそうだ」と言って、帰っていきました。

 次の日、タチヤナの夫の元地質調査員兼元村会議員のアナトーリーたちと4人で、ウラジミルの車で出発しました。少し融けかかって大きな水溜りがあちこちにできているパドカーメンナヤ・ツングースカ川を横断し、川にほぼ平行の林道を上流の方向へと進みました。かなり厳しい道で雪にはまると出られなくなりそうです。

 この林道を無事最後まで行くとイルクーツク州のウスチ・イリムスク市に行き着けるそうです。そこからは普通の道路がありますから、ブラーツク市を通りイルクーツク市へもクラスノヤルスク市へも行けます。つまり、奥地ヴァナヴァラへ通じる唯一の陸路で、通行できるのは冬季の4ヶ月だけだそうです。それも、屈強なトラックでないとだめです。

 また、この陸の孤島ヴァナヴァラ村へ、5月末の増水期には、クラスノヤルスクからエニセイ川を下り、水量が増して通行可能になったパドカーメンナヤ・ツングースカ川をさかのぼって行くこともできます。パドカーメンナヤ・ツングースカと言うのは「石の下のツングースカ」と言う意味で、川底にも大きな石があって浅瀬が多く、増水期の2週間ばかりしか河川運行ができないそうです。(しかし、正確にはエニセイ川の大浅瀬、つまり流れに『石』がごつごつ突き出している場所より少し『下』流に合流する川と言う意味だった)。飛行機なら年中運行していますが、貨物を運ぶには非経済的です。それで、年1回、増水期の5月末、クラスノヤルスク市から食料品や日常品などを満載した船がキャラバンのように隊を組んで、ヴァナヴァラ村に来るそうです。ちなみに、村役場の物置には「歓迎2003年キャラバン、ようこそヴァナヴァラへ」と言う垂れ幕が保管してあります。今年は2004年に直せばいいです。
 それ以外の物資の輸送は、このイルクーツク州へ迂回する困難な冬季陸路があるだけです。それで、ヴァナヴァラ村の物価は高いのです。また、クラスノヤルスク市などでは冬でも売っている新鮮な野菜や果物も、ここでは、全く手に入らないそうです。空路では、値段が高過ぎますし、陸路では、運ぶうちに腐ってしまうからだそうです。温室栽培は、零下に下がることもある夏場だけで、マイナス40度が普通の冬ではそれも不経済です。と、話しているうちに、目的地の小屋につきました。

 パトカーメンナヤ・ツングースカ川のハンター小屋
1つ目のハンター小屋。ターニャとアナトリー
パドカーメンナヤ・ツングースカ川の魚
氷に穴を掘って釣り糸をたれる
2つ目の小屋。スズダレフ氏たち
氷の下に網をはる
パドカーメンナヤ・ツングースカ川のうっとりとする雪景色
標準を正しくあわせれば必ず当たる
 小屋はパトカーメンナヤ・ツングースカ川のほとりの高台にあります。ウラジミルといっしょにすぐ道具を持って魚釣りに川へ降りていきました。まず、私のために氷に一個穴をあけ、えさのついた釣り糸をくれました。ここは、南のアンガラ丘陵から流れてくるカータンガ川と北から流れてくるテテレ川が合流してパトカーメンナヤ・ツングースカ川が生まれる地点ですから、魚が多い場所のはずですが、私の釣り糸には一匹も食いついてはくれませんでした。
 じっと魚を待っているのも寒いので、釣糸はウラジミルに戻し、小屋に戻ってペチカで暖まっていました。
 小屋には、私たちグループの他にも、エヴェンキ自治管区ツングース・チュンスキー区担当副知事のスズダレフ氏とその友人、ヴァナヴァラ村村会議員の他、酔っ払いのジーマもいました。ジーマは私が日本人と知ると、何だかわからないことを言って絡んできたり、触りに来たりするのでした。タチヤナが追っ払ってはくれましたが、落ち着きません。スズダレフ氏が、ここからさらに、パトカーメンナヤ・ツングースカ川をスノーモビールで7キロほどのところにある小屋に行くので、そこへ来たらいいといってくれました。

 ツングース・チュンスキー区担当副知事は先に行き、スノーモビールは折り返して、私たちを迎えに来てくれました。パトカーメンナヤ・ツングースカ川にスノーモビールごと落ち込まないように、氷の薄いところは避けて通らなければなりません。氷の上の雪の積もり方が悪いのか、あまりに老朽スノーモビールなのか、運転が下手なのか、何度も横転しました。その度に、雪の中に倒れましたが、エスキモーのように厚着をしていたので、起き上がるのが大変でした。

 2番目の小屋は先のより広く快適で、ベッドも3つあり、水差しやランプ、ちょっとは清潔そうなテーブルもありました。ここで、私たち4人と、スズダレフ氏たち2人と、スノーモビールと小屋の持ち主のイヴァンの7人が魚釣りをしたり、テーブルを囲んだり、川の上を散歩したりして楽しく過ごすわけです。
 テーブルを囲むと、ヴァナヴァラでは、必ずウォツカでした。もう、私たちが来る前から、先着のスズダレフ氏やその友人たちはすっかり酔っていて、イヴァンがまた私に絡んでくるのでした。よほど、日本人が珍しかったのでしょうか。
 また、スズダレフ氏の友人は、択捉島に3年間いたと言う話を10回も繰り返すのでした。スズダレフ氏にいたっては抱きついたり、キスをしたりと、全く、こんなところまで来て、酔っ払いのお相手なんかしたくないものです

 そこでタチヤナに、今晩この小屋に泊まりたくない、ヴァナヴァラ村に帰りたい、と言ったのです。すると、イヴァンを除いて皆が正気になりました。そして、今、酔っ払いのイヴァンを寝かせ、もう迷惑をかけないから、というのです。それなら、と、私はいつも旅行中持っている睡眠剤をタチヤナに渡しました。そして、皆で
「イヴァンや、お願いだから一眠りしてくれ」と言って、寝かしつけたのです。

 ここでの魚釣りは、穴をあけて釣り糸を下げるほか、氷の下に網を張って、通行中の魚を一網打尽にするやり方や、入ったら出られなくなるかごを仕掛けたりと、いろいろありました。その網は日本製だそうです。私が作ったわけではありませんが、品質がいいとほめられました。

 アナトーリーはカービン銃が趣味で、自然の中へ行く時はいつも持ち歩いているようです。先住のエヴェンキ人は狩猟が生業ですから、森林の中に行く時はいつも猟銃を携えます。
 アナトーリーは未踏エヴェンキで地下資源が見つかりそうな地質を調べて歩く元地質調査員だったので、やはり持っています。未踏の森の中では食料を確保したり、身を守ったりしなければならないからだそうです。
 今回も、持って来ました。的になるものには事欠きません。ウォツカの空瓶ならたくさんあります。それをポケットに入れて、私と、パトカーメンナヤ・ツングースカ川の氷上を、30分ほど歩いていきました。私も、周りの冬景色をうっとりと眺めながらついていきました。この辺で、というところで空瓶を立てます。アナトーリーは自分用には少し遠めに、私用は少し近めに立て、交代に撃ちます。10メートルくらいの距離ですと照準を正しく合わせれば必ず当たるのです。

 空き瓶を全部撃ってしまっても、森に入ると的になるものはたくさんあります。アナトーリーが、斧で樅の木の樹皮を一部削ぎ落としました。薄茶色の内皮が現れて、今度はそれが的になるのです。これにはちょっと驚きました。空瓶ならともかく、樅の木がかわいそうではありませんか。日本では考えられません。
 アナトーリーもタチヤナも、木はそれくらいでは決して枯れないといいます。斧で削ぎ落としたところからは透明な松脂が吹き出ているのでした。その新鮮な松脂を食べてみると、ガムのような味がしておいしいのです。アナトーリーの撃った弾は幹の中に残りましたが、私のは突き抜けていきました。突き抜けたほうが木のためにはいいかもしれません。
 ハンター小屋は1泊だけで、ヴァナヴァラ村に戻ってきました。
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