クラスノヤルスク滞在記と滞在後記
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up date  2004年4月7日(校正06年6月10日、08年6月22日)
ハカシア共和国 『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジ(その1)
              2004年3月25日から3月30日

(1)  ハカシア共和国アバカン市まで
 まだ冬景色の茫々とした草原
 古代人の塚(クルガン)と石像群
 アバザ市
 『ユキヒョウ』バンガロー村へ
(2)     スキー客
 レクレーション係エジック
 サマータイムへ移行
 横転ガソリン運搬車
 またアバザ市からアバカン市へ
アバザ市から来て、『ユキヒョウ』バンガロービレッジへの曲がり角の案内板

 ハカシア共和国政府所在地アバカン市まで
 ロシア生活もあと数ヶ月となり、月1回くらいの割で近場へ小旅行しています。日本から、ここまで旅するのは大変ですが、ここに住んでいれば旅行会社に電話をかけたり直接出かけていって、よさそうなところを探すのも簡単です。
ロシア連邦
クラスノヤルスク南部とハカシア、トゥヴァ

 さて、私が住んでいるクラスノヤルスク地方は(タイムィールとエヴェンキの両自治管区を含めると)南北に長く、北は北極海から、南はサヤン山脈まで、面積は日本の6倍もあります。サヤン山脈はモンゴル高原の北の端にほぼ東西に走っていると言っていいでしょう。そのサヤン山脈のふもと近くまで行くとハカシア共和国で、サヤン山脈を超えるとトゥヴァ共和国(ロシアの一自治体)です。ハカシア共和国はソ連時代、ハカシア自治州といってクラスノヤルスク地方の一部でしたが、今は別の自治体になっています。

 クラスノヤルスク市から、ハカシア共和国の首都アバカン市まで、自動車道で行くと400キロほどです。そのアバカン市で、南東に向かう国道54号線と、南西に向かう国道161号線に分かれます。南東の方がクラスノヤルスクから続く幹線道路で、標高1068メートルのノレフカ峠を越えてトゥヴァ共和国の首都クィズィール市へ向かいます。南西の161号線も鉄鉱石の産地アバザ市を通り、2214メートルのサヤンスキー峠を越えて、トゥヴァ共和国の石綿の産地アク・ドヴラーク市に通じます。
 その、サヤンスキー峠まであと20キロほど手前にあるのが『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジ(キャンプ小屋村)で、そこに3日間滞在しました。

 クラスノヤルスク市からアバカン市までは南へ400キロで、アバカン市からアバザ市までは南西へ170キロ、そこからさらに100キロほど行ったところが目的地の『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジ(キャンプ小屋村)で、合計700キロですから、車で行くのにちょうどよい距離です。でも、私の車は古くて故障ばかりするようになったので、去年の夏売ってしまいました(2700ドル)。それで、バスか、列車で行くほかありません。
 クラスノヤルスクからアバカンまでは、1日に数本長距離バスが出ています。8時間はかかります。日本のように高速道路を走り、パーキングエリアでトイレ休憩をしたり、お茶を飲んだりという快適さは期待できません。朝のバスに乗ると到着は夕方になってしまいます。夕方アバカンに到着して、そこから300キロの山道をキャンプ小屋まで行くと、到着は夜中です。それでは途中の景色が暗くて見えません。しかし、朝早い時間にアバカンに着くにはクラスノヤルスク発夜行バスに乗らなくてはなりません。これは、体力が持ちませんから、バスはあきらめて列車にしました。

 寝台車に乗れば、夜ゆっくり寝ているうちに目的地につきます。ただ、アバカン市はシベリア幹線鉄道からは離れているので、ウヤル市経由の田舎の支線に乗らなくてはなりません。遠回りするうえ(道のり600キロ)ゆっくり走るので14時間20分もかかります。急行ですと2時間ほど早いのですが、急ぐ旅でもないので各駅停車でのろのろ走るのもいいものです。春分も過ぎて、昼間の明るい時間が延びましたから、窓からの景色を楽しむこともできます。
 鉄道はアバカンで終わり【後記・注】、その先はアバザ市まで路線バスがあります。アバザ市からは、キャンプ小屋経営社の車が出ています。でも、私はアバカンからキャンプ小屋まで続けて300キロほど車で行くことにしました。往復で12,000円とちょっと車代は高いですが、去年売った車代の2,700ドルもまだ少し残っていることですし。

      【後記・注】 鉄道は、実はアバカンからアスキス村を通りアバザ市へ行く列車が週3回走っています。 21時26分発で翌日8時38分着です(2006年6月現在)。たった、168キロに12時間もかかるのは、アスキー駅で6時間以上も停車しているからです。アバカン駅出発の時は、ノヴォクズネツク行きの列車につながれていき、アスキー駅で離されて、後はアバザまで70キロは自力で行きます。次回はこんな列車にも乗ってみたいものです。ちなみに、ノヴォクズネツクはロシア石炭の40%を採掘しているクズバスの中心地です。

まだ冬景色の茫々とした草原
ハカシアの草原を走る
車窓からよく見かけるクルガン群
クルガンの石柱には絵も見える
 3月25日、クラスノヤルスク駅を夕方出発して、翌日11時にアバカン駅に着くと、手配しておいた車の運転手がプラットホームまで迎えに来ていました。ハカシアは北半分が草原、南半分がサヤン山脈と言えます。それで、北よりにあるアバカン市から、南の端の目的地まで行くうちに5つの気候帯の移り変わりが見られることになります。草原(ステップ)帯、森林草原帯、亜針葉樹林帯、針葉樹林(タイガ)帯、山岳針葉樹林帯です。 

 まず、アバカン駅を出発すると、どこまでも続く草原の中、遠くに木の生えてない低い丘を見ながら車を走らせます。車の運転手は目の青いハカシア人でした。ハカシア人はチュルク語系なので、顔つきは全くアジア人ですが、時々、目だけが北ヨーロッパ人のように青色のハカシア人を見かけます。同じアジア人でもモンゴル語系のブリヤート人には碧眼は見かけません。彼の両親も祖父母も生粋のハカシア人だそうです。ちなみに配偶者もハカシア人で、子供が2人いるそうです。ハカシア人は数が減っているから、本当は子沢山の方がいいのに、などと話しながら、ドライブしていきました。まだ枯れ草しかない草原に牛や羊が放牧されているが見えました。時々、止まってもらって、日本にはない草原の風景を撮りました。これが、路線バスと違っていい点です。『ユキヒョウ』キャンプ小屋までの道のりを楽しむことも、今回の小旅行の目的でした。

 たいていのロシア人は
「草原は何もなくて面白くない、山があったり森があったりした方が面白い」と言います。草原が好きだと言うのは私だけです。草原地帯は降水量が少ないので雪もほとんど積もっていません。茫々とした冬の草原も私には異国的です。

古代人の塚(クルガン)と石像群
 ハカシアは国全体が青空博物館と言われているくらい古代遺跡が多く残っています。 
カーメンナヤ・ババ

 アバカン市から南東のこのあたりも、古墳や、古代人の遺跡が多く見られます。草原の中、あちこちに高さ2メートル前後の石が立っています。見晴らしがいいので遠くからもよく見えます。道のすぐ近くにも石像群があります。 古代集落跡、塚、古墳、岩石画群、石像(カメンナヤ・ババ)群など、ハカシアには3万箇所もあるそうです。車を止めて近くへ行き、触ってみました。打刻のあるのもあります。ハカシアは何度も旅行して廻ったことがありますが、今回は幹線道路から離れたせいか、こんなに多くの遺跡を一度に見れたのです。 その石像群の中でも一番有名なカメンナヤ・ババは、高さ2メートル半もある、おばあさんの巫女のような顔をしているようにも見え、手らしい部分もあります。この像をアバカン市の郷土博物館に運び、展示してあったのですが、住民の反対で、また、元の場所に戻したそうです。神聖な巫女の像は、古代人が置いた場所にあるべきです。貴重な遺物なので、今度は、野ざらしではなく、木の小屋を作り、案内板も立て、周りを柵で囲いました。そして、一応管理人もいました。柵内には動物の絵がある石などあって、アバカン博物館『野外分館』のようでした。旅行案内書によると、この地方は2500年程前のシベリア・スキタイ人の遺跡も多いそうです。

 アバザ市
 アバカン川がエニセイに合流するところにアバカン市があります。私たちはアバカン川の上流176キロのところにあるアバザ市に向かいました。近づくにつれ、草原も終わり山林地帯になります。アバザ市は、もと、シベリアに渡ってきたコザック人たちが住んでいた小さな村でしたが、19世紀、近くに鉄鉱山が発見され、『アバカンのザボッド(工場)』が縮まって町の名前になりました。1926年まで製鉄工場がありました。今、町の回りには選鉱クズのぼた山がいくつもあります。鉄鉱石のぼた山を見たのは、私は生まれてはじめてです。今の日本ではあまり見かけないでしょう。私がうれしそうに
「ぼた山、ぼた山(直訳では空っぽの鉱石)」と言うので、運転手が、
「いや、このぼたの中にも、まだ多少は鉄が含まれているはずだ」と言ったくらいです。

 道路はアバザ市でアバカン川を渡り先に続いていますが、この先はほとんど町も村もありませんから、私たちはここで一休みしました。アバザ市には「ユキヒョウ」キャンプ場経営の旅行会社もあるので、そのオフィスで車代を払い、お茶も飲みました。そして、今度は待機していたキャンプ小屋専属のガイド兼レクレーション係のエジックも同乗させて、今度は3人で出発しました。冬場のキャンプ場は客足が少なく、週末にたまに来るくらいなので、エジックは普通アバザ市にいます。今回お客の私が来たので、私のお相手のために私の車に便乗して小屋へ行くわけです。この週末の客は、一人ぼっちの旅行者の私の他、クラスノヤルスクから、自家用車で2家族が来ることになっていました。

 『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジ・キャンプ場へ
 本当のユキヒョウはサヤン山脈の山奥深く、トゥヴァ共和国側に住んでいて、数が減っているので保護動物に指定されています。めったに人の前には姿を見せません。ユキヒョウの生息範囲は標高2000メートル以上で、ちょうどこのキャンプ場が下限に当たります。
『ユキヒョウ』バンガロキャンプ場のバンガロー群
1階建て

 古いシベリアマツと低木カバノキがうっそうと茂る中、少し開けたところにキャンプ場の1階建てバンガローが6軒、2階建て4軒と、食堂やホール、蒸し風呂小屋、従業員の住む家、事務所、家畜小屋などがあります。1階建てのバンガローにはペチカがあり、2階建ての方にはマントルピース(暖炉)があり、室内は、アカシカの角や、熊の皮のインテリアで飾ってがあります。
 まだ雪は深く、寒いので、ペチカにはどんどんまきをくべなければなりません。それは従業員がやってくれます。夜、寒くないように12時ごろたっぷりとまきを入れておくと、ペチカの火はほとんど消えても、煙突などの暖かさが残っていて、朝方まで室内は暖かいのです。朝早く、まだ私が寝ている頃、従業員がペチカの火をおこしにやってきます。そして室内が十分暖かくなった頃私も起きだして、9時には朝ごはんです。
 食事つき観光つきで1泊3500円と、シベリアのキャンプ場にしては高めなのは、設備が比較的整っているからです。たとえば、ロシアの他のキャンプ場ではトイレ小屋が外の離れたところにあるのに、ここでは各バンガローに一個ポータブル・トイレがあります。夜中に襟巻きをして、オーバーを着て、帽子をかぶって、ブーツを履いて、懐中電灯をもって外に出なくてもいいです。また、専用のコックさんがいて、私の好みを聞いて食事を作ってくれ、エジックはキャンプ場周囲の自然の中を案内して、動植物について説明してくれます。
 夏なら、ここを基地に、日帰りの登山コース、ストックティシュ湖散策コース、1泊のマランクリ湖キャンプコース、オナ川をボートやいかだで下るコースなど、サヤン山脈の自然を味わえるので、客も多いのですが、今は雪がまだ深くてどこへもいけません。ちなみに、この辺りに円錐状の2160メートルの山があり「フジヤマ」という名前だそうです。ハカシア共和国にまで富士山があるなんて。
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