11-(1) ハカシア共和国 『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジ(その1) 2004年3月25日から3月30日 |
Турбаза "Снежный барс" в Хакасии с 25 марта до 30 марта 2004
года
(1) | ハカシア共和国アバカン市まで |
まだ冬景色の茫々とした草原 | |
古代人の塚(クルガン)と石像群 | |
アバザ市 | |
『ユキヒョウ』バンガロー村へ | |
(2) | スキー客 |
レクレーション係エジック | |
サマータイムへ移行 | |
横転ガソリン運搬車 | |
またアバザ市からアバカン市へ |
アバザ市から来て、『ユキヒョウ』バンガロービレッジへの 曲がり角の案内板 |
私が住んでいるクラスノヤルスク地方は(タイムィールとエヴェンキのかつての両自治管区を含めると)南北に長く、北は北極海から南はサヤン山脈まで、面積は日本の6倍もあります。サヤン山脈はモンゴル高原の北西の端にほぼ東西に走っていると言っていいでしょう。そのサヤン山脈のふもと近くまで行くとハカシア共和国で、サヤン山脈を超えるとトゥヴァ共和国(共和国と言っても、ロシア連邦の一自治体)です。ハカシア共和国はソ連時代、ハカシア自治州といってクラスノヤルスク地方の一部でしたが、今は別の自治体になっています。 クラスノヤルスク市から、ハカシア共和国の首都アバカン市まで、自動車道で行くと400キロほどです。そのアバカン市で、南東に向かう国道54号線と、南西に向かう国道161号線に分かれます。南東の54号線の方がクラスノヤルスクから続く幹線道路で、標高1068メートルのノレフカ峠を越えてトゥヴァ共和国の首都クィズィール市へ向かいます。南西の161号線も鉄鉱石の産地アバザ市を通り、2214メートルのサヤンスキー峠を越えて、トゥヴァ共和国の石綿の産地アク・ドヴラーク市に通じます。 その、サヤンスキー峠まであと20キロほど手前にあるのが『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジ(キャンプ小屋村)Турбаза "Снежный барс"で、そこに3日間滞在しました。 クラスノヤルスク市からアバカン市までは南へ410キロで、アバカン市からアバザ市までは南西へ180キロ、そこからさらに100キロほど行ったところが目的地の『ユキヒョウ』バンガロー・ビレッジで、合計700キロですから、車で行くのにちょうどよい距離です。でも、私の車は古くて故障ばかりするようになったので、去年の夏売ってしまいました(2700ドル)。それで、バスか、列車で行くほかありません。 クラスノヤルスクからアバカンまでは、1日に数本長距離バスが出ています。8時間はかかります。日本のように高速道路を走り、パーキングエリアでトイレ休憩をしたり、お茶を飲んだりという程度の快適さも期待できません。朝のバスに乗ると到着は夕方になってしまいます。夕方アバカンに到着して、そこから300キロの山道をキャンプ小屋まで行くと、目的地到着は夜中です。それでは途中の景色が暗くて見えません。しかし、朝早い時間にアバカンに着くにはクラスノヤルスク発夜行バスに乗らなくてはなりません。これは、体力が持ちませんから、バスはあきらめて列車にしました。 寝台車に乗れば、夜ゆっくり寝ているうちに目的地につきます。ただ、アバカン市はシベリア幹線鉄道からは離れているので、ウヤル市経由の田舎の支線に乗らなくてはなりません。遠回りするうえ(道のり600キロ)ゆっくり走るので14時間20分もかかります。急行ですと2時間ほど早いのですが、急ぐ旅でもないときは各駅停車でのろのろ走るのもいいものです。春分も過ぎて、昼間の明るい時間が延びましたから、窓からの景色を楽しむこともできます。 鉄道はアバカンで終わり(*)、その先はアバザ市まで路線バスがあります。アバザ市からは、キャンプ小屋経営社の車が出ています。でも、私はアバカンからキャンプ小屋まで続けて300キロほど車で行くことにしました。往復で12,000円とちょっと車代は高いですが、去年売った車代の2,700ドルもまだ少し残っていることですし。 (*)鉄道は、実はアバカンからアスキス村を通りアバザ市へ行く列車が週3回走っています。21時26分発で翌日8時38分着です(2006年6月現在)。たった、168キロに12時間もかかるのは、アスキス駅で6時間以上も停車しているからです。アバカン駅出発の時は、ノヴォクズネツク行きの列車につながれていき、アスキス駅で離されて、後はアバザまで70キロは自力で行きます。次回はこんな列車にも乗ってみたいものです。ちなみに、ノヴォクズネツクはロシア石炭の70%を採掘しているクズバスの中心地です。ハカシア共和国やクラスノヤルスク地方の西隣のケーメロフ州にあります。
まず、アバカン駅を出発すると、どこまでも続く草原の中、遠くに木の生えてない低い丘を見ながら車を走らせます。車の運転手は目の青いハカシア人でした。ハカシア人はテュルク語系なので、顔つきは全くアジア人ですが、時々、目だけが北ヨーロッパ人のように青色のハカシア人を見かけます。同じアジア人でもモンゴル語系のブリヤート人には碧眼は見かけません。彼の両親も祖父母も生粋のハカシア人だそうです。ちなみに配偶者もハカシア人で、子供が2人いるそうです。ハカシア人は数が減っているから、本当は子沢山の方がいいのに、などと話しながら、ドライブしていきました。まだ枯れ草しかない草原に牛や羊が放牧されているのが見えました。時々、止まってもらって、日本にはない草原の風景を撮りました。これが、路線バスと違っていい点です。『ユキヒョウ』キャンプ小屋までの道のりを楽しむことも、今回の小旅行の目的でした。 私の知り合いのロシア人は、 「草原は何もなくて面白くない、山があったり森があったりした方が面白い」と言います。草原が好きだと言うのは私だけです。草原地帯は降水量が少ないので雪もほとんど積もっていません。茫々とした冬の草原も私には異国的です。
アバカン市から南東のこのあたりも、古墳や、古代人の遺跡が多く見られます。草原の中、あちこちに高さ2メートル前後の石が立っています。見晴らしがいいので遠くからもよく見えます。道のすぐ近くにも石像群があります。 古代集落跡、塚、古墳、岩石画群、石像(カメンナヤ・ババ)群など、ハカシアには3万箇所もあるそうです。車を止めて近くへ行き、触ってみました。打刻画のあるのもあります。ハカシアは何度か旅行して廻ったことがありますが、今回は幹線道路から離れたせいか、こんなに多くの遺跡を一度に見れたのです。
「ぼた山、ぼた山(直訳では空っぽの鉱石)」と言うので、運転手が、 「いや、このぼたの中にも、まだ多少は鉄が含まれているはずだ」と困ったように言ったくらいです。 道路はアバザ市でアバカン川を渡り先に続いていますが、この先はほとんど町も村もありませんから、私たちはここで一休みしました。アバザ市には「ユキヒョウ」キャンプ場経営の旅行会社もあるので、そのオフィスで車代を払い、お茶も飲みました。そして、今度は待機していたキャンプ小屋専属のガイド兼レクレーション係のエジックも同乗させて、今度は3人で出発しました。冬場のキャンプ場は客足が少なく、週末にたまに来るくらいなので、エジックは普通アバザ市にいます。今回お客の私が来たので、私のお相手のために私の車に便乗して小屋へ行くわけです。この週末の客は、一人ぼっちの旅行者の私の他、クラスノヤルスクから、自家用車で2家族が来ることになっていました。
古いシベリアマツと低木カバノキがうっそうと茂る中、少し開けたところにビレッジ小屋があり、1階建てバンガローが6軒、2階建て4軒と、食堂やホール、蒸し風呂小屋、従業員の住む家、事務所、家畜小屋などがあります。1階建てのバンガローにはペチカがあり、2階建ての方にはマントルピース(暖炉)があり、室内は、アカシカの角や、熊の皮のインテリアで飾ってがあります。 まだ雪は深く、寒いので、ペチカにはどんどんまきをくべなければなりません。それは従業員がやってくれます。夜、寒くないように12時ごろたっぷりとまきを入れておくと、ペチカの火はほとんど消えても、ペチカの壁や煙突などの暖かさが残っていて、朝方まで室内は暖かいのです。朝早く、まだ私が寝ている頃、従業員がペチカの火をおこしにやってきます。そして室内が十分暖かくなった頃、私も起きだして、9時には朝ごはんです。 食事つき観光つきで1泊3500円と、シベリアのキャンプ場(ビレッジ)にしては高めなのは、設備が比較的整っているからです。たとえば、ロシアの他のキャンプ場ではトイレ小屋が外の離れたところにあるのに、ここでは各バンガローに一個ポータブル・トイレがあります。夜中に襟巻きをして、オーバーを着て、帽子をかぶって、ブーツを履いて、懐中電灯を持って外に出なくてもいいです。また、専用のコックさんがいて、私の好みを聞いて食事を作ってくれ、エジックはキャンプ場周囲の自然の中を案内して、動植物について説明してくれます。 夏なら、ここを基地に、日帰りの登山コース、ストックティシュ湖散策コース、1泊のマランクリ湖キャンプコース、オナ川をボートやいかだで下るコースなど、サヤン山脈の自然を味わえるので、客も多いのですが、今は雪がまだ深くてどこへもいけません。ちなみに、この辺りに円錐状の2160メートルの山があり『フジヤマ』という名前だそうです。ハカシア共和国にまで富士山があるなんて。 |