クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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up date 2004年2月4日   (校正:2006年6月7日、2008年6月22日、2008年12月28日、2009年11月16日、2020年8月3日、2022年3月19日)
10−(1)  アルタイ山麓のベロクーリハ(その1)
                   2004年1月15日から1月30日

Белокулихе в подножии горы Алтая с 15 по 30 января 2004 года

1)ラドン湯サナトリウム          
  クラスノヤルスクからベロクーリハへ
  湯治プログラム
  湯治客
  OP 聖ツェルコフカ山
2)「洞窟探検」ツアー
 デニソヴァ洞窟とムゼイナヤ洞窟
3チェマール村
  アルタイの名所
  アヤ湖
  カトゥーニ川
  ゴルノアルタイスク市からビイスク駅へ  ベロクーリハのすぐ後ろの
聖チェルコフカ山の教会のような岩
 ラドン湯のベロクーリハ
 お正月に行ったところはエニセイ川の右岸支流で270キロのシシム川の畔でしたが、この冬休み(1月後半の試験休み)に行ったアルタイ地方の川は、長さが700キロのカトゥーニ川で、アルタイ山脈の最高峰ベルーハ山(4506メートル)の北斜面から流れて、ビイスク市付近でビヤ川と合流してからオビ川(3680キロ)となり、西シベリアを北上して北極海に注ぎます。(ベルーハ Белухаの名は、アルタイ山脈最高峰の名でもあり、哺乳綱鯨偶蹄目のシロクジラもペルーハと言う)
 と言っても今回は川を見に行ったのではなく、アルタイ山麓にあるベロクーリハというラドン湯サナトリウムで2週間の湯治をするために出かけたのでした。ロシアには、このような温泉ホテルと病院が合体したような施設で、長期の湯治客を受け付けているような「サナトリウム」が幾つもあります。日数が短くては治療効果が上がらないからです。以前は、「この病気は、これこれの湯治の必要あり」という医師の診断書がないと受け付けてもらえませんでした。そして、治療費を含む滞在費は、勤め先の企業が(何割かは)負担していたそうです。
 でも、今は、誰でも自費で好きなだけ滞在できます。アルタイ山麓には、スキー場もありますからスキー客も泊まりに来ます。去年は、プーチン大統領も家族連れで4日間泊まったそうです。

 私はロシア式湯治と言うのも体験したかったので、一応、出発前に知り合いの医者に、「関節痛なのでラドン湯で治療の必要あり。軽い慢性胃炎もある」という「サナトリウム用診断書」を書いてもらいました。これがあるとサナトリウムに着いてから、検査したり診断したりする手間が省けて、その日から治療が受けられると言う話だったからです。何しろ2週間の滞在費8万円には治療費も含まれているのですが、検査費は別途のようですから。
(追記:ベロクーリハと言う延長31キロの小川が流れているところに19世紀中頃村ができた。小川はペスチャナヤ Песчаная (276キロ)というオビ川左岸支流に流れ込んで、最後はカラ海から北極海に流れる。ベロクーリハ市は人口1万4千人、ツェルコーフキ山麓の海抜250メートルにある。1920年代からラドン湯の療養の村として知られる。2015年には『ベロクーリハ2』という療養村が10キロ離れたところにできた。
 クラスノヤルスクからベロクーリハへ 
 ロシア製の地図では、アルタイ山脈は、その南東にモンゴル・アルタイゴビ・アルタイと続き、南は中国のジュンガル盆地(天山山脈の北)に、西は中央アジアのカザフスタンに、北斜面が西シベリア大平原に続きます。そのアルタイの北山麓にラドン湯サナトリウムの町ベロクーリハ市があります。
 
4人用コンパートメント。上段ベッドの二人。
彼女らもクラスノヤルスクからベロクリハに湯治に行く
クラスノヤルスク→ノヴォシビリスク→ベロクーリハ
黒線は鉄道、赤線は道路
地形は南高北低。川は南から北へ流れる
 ベロクーリハはクラスノヤルスク市からは南西にあって、直線距離では600キロ程ですが、間に西サヤン山脈やその支脈などがあって交通路がありません。それで、まず、シベリア幹線鉄道で西のノヴォシビルスク市まで800キロ程行き、そこから南へ行く支線に乗り移って400キロ程行ったビイスク駅で鉄道が終るので列車を降り、さらに、バスで70キロ程行くと、目的地です。

 以前は、クラスノヤルスクからの湯治客はノヴォシビリスク駅で、ビイスク行きの列車に乗り換えるか、ノヴォシビルスク駅から直接長距離バスに乗ってベロクーリハまで行っていました。今は、直通列車『クラスノヤルスク・ビイスク601号』があります。と言っても、ビイスク行きの直通車両は1両か2両で、クラスノヤルスクからノヴォシビルスクまでは、チェリャービンスク行きの『11号列車』の最後尾に連結されて引っ張って行ってもらいます。ノヴォシビルスクに着くとビイスク行き車両は切り離されて引き込み線に入り、南へ向かう支線に入る準備をします。南に向かう支線に入る車両はクラスノヤルスク(のような東)から来た私達の車両ばかりではなく、オビ湾の近くの北極圏のウレンゴイから2日半かけて到着している『ウレンゴイ・ビイスク374号列車』に連結されていたビイスク行きの1両か2両の車両も、切り離されて待っています。
 みんなが集まったところで、ノヴォシビルスク発ビイスク行きの『601号列車』がやってきて、お待ちかねの車両をみんなつないで南へと引っ張っていってくれます。
 クラスノヤルスクからビイスクまで29時間もかかるのは、ノヴォシビルスクでの待ち時間が、行きは8時間もあるからです。もちろん4人用コンパートメントの寝台車なので、29時間ぐらい寝て過ごせばいいのです。でも、駅に停車中は、車内のトイレが使えないのが不便なところです。排泄物が直接下に落ちる仕掛けになっているからでしょう。それで、ノヴォシビルスク駅ではたいていの乗客と同じように、私も荷物を自分の寝台に置いて、車掌さんにコンパートメントの鍵をかけてもらって町に散歩に出かけました。でも、一度車両から離れると、戻った時には引き込み線の間を探し回って、自分の乗ってきた車両を見つけなければなりません。
 
クラスノヤルスクと
ビイスク間を運行する
車両の時刻表(拡大) 
 
 後のことになりますが、ビイスクからの帰りは26時間でつきます。ノヴォシビルスクでの待ち時間が3時間ほどだからです。今度は、モスクワからハバロフスクへ向かう急行アムール号が来て、クラスノヤルスク行きの一両だけの車両を東へ引っ張って行ってくれます。やはり、待ち時間が3時間もあるので車内にいるのは退屈です。ノヴォシビルスク駅をぶらぶらして戻って来ると、また、幾つもの線路を跨ぎ、引き込み線内の自分の車両を捜さなければなりません。見つからない時はアムール号が到着するのを待てばいいです。20両もあるアムール号の最後尾に必ず、どこかの引き込み線から私の荷物が置いてある車両が、連結されにやって来るはずですから。

 クラスノヤルスクからビイスクまで、行きは普通急行列車なので2800円程でした。帰りの車両はアムール号というデラックス急行に引っ張ってもらったので3600円もしました。ちなみに、ビイスクからベラクーリハまではタクシーの相乗りで500円でした。ノヴォシビリスクからベラクーリハへの直通のバスではちょっと安いかもしれません。

 湯治プログラム
 サナトリウムに着いて部屋に落ち着くと、まず、内科医のところへ行きます。そこで肩こりのこと、さらに、誰にでもあることですが、時々憂鬱で夜も眠れないことがあると言いました。ベロクーリハの広告に精神神経病にも効くと書いてあったからです。それで整形外科医と心療内科のところにもいって診てもらうように言われました。結局、マッサージ、アクア・マッサージ、つぼシャワー、磁石(で治療)、体操、ラドン湯浴、トレーニング・ジム、洞窟心理治療、リラックス心理治療をすることになりました。

 ラドン湯浴はベロクーリハのメインで、36度のラドン湯を入れた浅いバスタブにじっと10分程浸かります。寒いと言うと少し温かくしてくれます。泡が身体中にくっついてきます。一人が終るとバスタブからお湯を抜き掃除をしてから新しいお湯を入れ、次の人が浸かります。
 アクア・マッサージと言うのは深めのバスタブに横になってつかっていると、水中の肩や腰に3気圧(だそうだ)の噴流を当ててマッサージ効果をあげます。噴流を当ててくれるアクア・マッサージ師が、毎回「痛くないですか」と聞いてくれます。
 肩を指圧マッサージしてくれるのは男性です。マッサージしながら、いろいろ日本事情を聞くのでした。自分の知っている限り、このサナトリウムに日本人が来たのは初めてだと言っていました。
 つぼシャワーというのは上下左右のシャワー口から勢いよく湯が出てきます。幾つかの湯治メニューは、日本の銭湯にもあるでしょう。
いくつかあるサナトリウムのひとつ
私の宿泊部屋は9階
 リラックス心理治療は、暗くした部屋でゆったりと座り、気持ちのいい音楽を聞きながら、専門指導員の言う通りに身体の力を抜いたりしてリラックスの仕方を勉強します。洞窟心理治療は洞窟のようにした暗い部屋で、静かな音楽を聞きながら25分間休みます。皆、鼾をかいたりして寝てしまいます。私も、鼾がうるさいと思いながらたいていは寝てしまうのでした。
 これだけ治療処置項目があると、時間割り調整が大変です。始めは指定時間が重なって、出られないことがあったりしましたが、あちらの窓口こちらの窓口と交渉をして、9時15分に始まり3時に終る時間割りを決めました。それで、心理治療棟から整形治療棟、浴場と、時計を見ながら走っていました。アクア・マッサージで服を脱ぎ、終ると身体を拭いて服を着て廊下に出て、すぐ、つぼシャワーの順番につきます。それが終るとまた身体を拭いて服を着て、ラドン湯に浸かるため、また脱いだり拭いたり着たりします。タオルをまいただけで廊下に出られないと言うのが辛いところです。でも、できるだけ簡単な服で脱ぎ着が素早くできるようにしました。素足でスポンジのつっかけです。いつも分厚い靴下をはいているロシア人は、足を拭いて靴下をはくだけで3分は私よりよけいにかかっているでしょう。

 私の部屋は9階にあったので、丁度いい運動と思って、食堂や治療棟に降りて行く時には、1日何回でも階段の昇り降りをしました。上の階の方が景色がいいだろうと思って、一番高い階の部屋を依頼したのです。始めに案内された10階の部屋は、窓の向きが悪かったので、断ったところ、9階のアルタイ山脈の端が見渡せるいい部屋になりました。冬なので日の出が遅く、朝食から帰ってきた頃、アルタイ山脈の山の端から金色の太陽が登るのが毎日見渡せました。アルタイというのは、アルタイ語(チュルク語系)で黄金という意味だそうです。
 
  9階の私の部屋からの眺め

 ベロクーリハの一番いいところは、アルタイの新鮮な空気だと聞いていました。私の受け持ち医に
「マッサージをもっと増やして下さい」と頼んだところ、
「マッサージはこれで十分。遊歩道を山の方に散歩したらいいですよ」と言われたくらいです。ベロクーリハが療養の地となっているのは、ラドン湯の他、夏は涼しく冬は暖かい気候、山地の空気(スイスのような)、アルペンスキーとなっています。サナトリウム、病院、ホテル、ペンションなど19棟で5000人の客を受け入れることができるそうです(2020年)。確かに、ここは病気を直すと言うより、都会のスモッグ(ロシアはこれがひどい)から逃れてゆっくり疲れを癒すところのようです。

 3時にその日の治療が終ると、毎日外へ散歩に出ました。アルタイ地方は晴れの日の日数が多いことでも有名です。毎日雲一つない快晴の寒い日が続きました。クラスノヤルスク市は、今年の1月は零下15度程度でしたが、アルタイは零下30度近く、外を歩くと頬が真っ赤になるのでした。でも、風がないので辛くありません。ベラクーリハには、大きなサナトリウムが10軒程もあります。ですから湯治客のためにお土産屋が並んでいます。山と高原があるだけで工場のないアルタイの特産と言えば、パンタクリン(アカシカの角袋から採る強壮剤)や、ハーブ、蜂蜜です。

 湯治客
 湯治客はみんな暇なので、すぐ友だちができます。食堂で同じテーブルのケーメロヴォ州から来たおじさんは、炭坑で何年も働き、職業病の診断がされたので、毎年企業の費用で湯治に来ているそうです。北極圏のノリリスク市から来たおじさんは、身体の調子を直しているそうです。費用は企業持ちです。オムスク市から来ている女性建築士のターニャは、1年間休暇なしで働いたので、会社が費用を出してくれたそうです。ウスチイリムスクから来ている企業内女性弁護士のレーナは、その企業とサナトリウムが契約しているので従業員は無料です。みんな、ベロクーリハへ来て身体の調子がよくなったと言っていました。私はと言えば、ちょっと体が軽くなったでしょう。
郊外への散歩道、ベロクーリハ川
 たいていの湯治客は3週間ほど滞在し、去って行きますから、私が着いたばかりのころの顔ぶれと、帰る頃の顔ぶれは、違っていました。『サナトリウムでの恋』と言うのが、有名です。全国各地からやってきた湯治客は暇ですから、つかの間のロマンスが生まれるのだそうです。チェホフの『子犬を連れた婦人』を思い出します。
 でも、現代の『サナトリウム族』はそれほど優雅ではなく(子犬を連れた婦人は一応貴族だ)、笑い話の種になっています。オプショナル・ツアーに参加すると、ガイドがそれらの話をおもしろおかしく話してくれます。サナトリウムに来る男性のタイプは、虎型、狼型、熊型、鷲型、サモワール型などとあって、それぞれ女性からハントの「され方」が違うそうです。女性は、りす型、ねずみ型、しか型、ひつじ型、きつね型、ねこ型、めんどり型、お馬鹿さん型などたくさんタイプがあって、男性ハントの「仕方」が違うそうです。ロシアの場合、数の多い女性の方が積極的にでなければなりません。
 でも、私のように、お洒落をしてディスコやダンスにでると言うことは全くしないで、せっせと治療とオプシャナル・ツアーに励み、散歩をすると本屋を見つけて地元の地理歴史の本を買い、夜はそれに読みふけっていたと言う「まじめ勉強」型もいるはずです。

 オプショナル・ツアー『聖ツェルコフカ山』
広い広いシベリア平原の一部が見渡せる。
この平原が北極海まで、ほぼ起伏なく続く
リフトで上ったところから北の平原を見下ろす
 
親しくなったターニャはオムスク市からの建築士 
 湯治客相手のオプシャナル・ツアーは治療が休みの土曜の午後や日曜日に行われます。ホテルのロビーにツアー会社の案内人が来て勧誘します。2週間滞在していたので『ベロクーリハ市内見物』、『聖ツェルコフカ山登山』、『常春の村チェマール』、『洞窟の秘密』の4つに参加できました。
 聖ツェルコフカ山(801m)は、ベロクーリハのすぐ後ろにあり、スキー場になっていて、山頂に登るリフトもあります。日本のように、リフトの椅子から、万一、渓谷へ落ちた場合の板やネットでできた受け皿(安全装置)もなく、積もった雪の間から切り立った岩々のごつごつした斜面が、そのまま足の下に見えるのはスリルがありましたが、頂上までの30分無事リフトは動いてくれました。このリフトも、零下25度以下だと運転しないそうです。寒くて30分も座っていられないからです。オプショナル・ツアーは寒さの少し弛んだ頃を見計らって行われました。往復のリスト代を含む参加費は800円ですが、さらに40円出すと、毛布を貸してもらえます。寒いので、その毛布を敷いたりかぶったりして終点までいきます。万一落ちた時のクッションになるかもしれません。
 
 ターニャと
 
 リフトで上がる

 ベロクーリハは広い広い西シベリア平原の一番南の端にあって、その後ろにある聖ツェルコフカ山より後ろの先は、つまり南から先は険しいアルタイの山々と高原しかありません。あまり高くなくてもチェルコフカ山の頂上から、登ってきた方(北)を向くと、はるか遠くまで西シベリア平原が見渡せます。ロシアは何と広いのだろうといつも思います。反対側(南)は、山また山です。

 <親しくなったターニャТатьяна Ставпивскаяとはその後も文通していた。2011年オムスクへ行く機会があったとき、彼女宅にホームスティさせてもらった.オムスク市内も案内してもらった。ターニャは、スペイン語を勉強して、退職後は南米などへ旅行したそうだ。日本へも行きたいと書いてあった。しかし、2022年2月24日のロシア軍のウクライナ侵攻で、意見が分かれた。彼女は私がバイデンのプロパガンダを信じているといい、真実はこうだとプーチンのプロパガンダを披露する。ウクライナ東部のロシア語話し手がウクライナのネオナチから攻撃されているから守るためだとか、ロシアは自分の国境のすぐ外側にNATOの核兵器を置いてほしくないためだとか、オデッサやマウリポリなどで2014年市民がウクライナ軍からジェノサイドをうけたためだとか、多くのロシア年配市民が口をそろえて言うことに同じ。と言うわけで、散々アドノクラスニキ Однокласникиと言うロシアのチャットで言い合った。後記2022年3月>