クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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up date 2004年2月4日   (追記・校正:2006年6月7日、2008年6月22日、2011年2月7日、2018年12月28日、2019年11月16日、2020年8月4日、2022年3月20日)
10−(2)  アルタイ山麓のベロクーリハ(その2)
                   2004年1月15日から1月30日

Белокулихе в подножии горы Алтая с 15 по 30 января 2004 года

1)ラドン湯サナトリウム
  クラスノヤルスクからベロクーリハへ
  湯治プログラム
  湯治客
  OP 聖ツェルコフカ山
2)『洞窟の秘密』ツアー、
  デニソヴァ洞窟とムゼイナヤ洞窟
)チェマール村
  アルタイの名所
  アヤ湖
  カトゥーニ川
  ゴルノアルタイスク市からビイスク駅へ
ベロクーリハ近くの雪原
 オプショナル・ツアー『洞窟の秘密』 デニソヴァ洞窟とムゼイナヤ洞窟
 『洞窟の秘密』ツアーは、日曜日の朝まだ暗い7時に出発して夜12時過ぎてからやっと戻ってきました。参加費用は、交通費、食事、蒸し風呂、洞窟探検インストラクター費、ヘルメット付き探検服レンタル込みで5000円と高かったので、最低参加人数の4人に満たず、一度はお流れになりました。
デニソヴァ洞窟探検用国際総合施設の全景
アヌイ山脈の辺りに目的地の洞窟がある

 広いロシアにはたくさんの未探検の洞窟があります。調査済みの洞窟もありますが、シベリアには、人手の入らない洞窟の方がずっと多いらしいです。人手と言うのは現代人のことで、石器時代人は、アルタイの洞窟に住んでいました。アルタイのすぐ東で、私の住むクラスノヤルスク地方南部のサヤン山脈やハカシア共和国にも、洞窟に何十万年も前の旧石器時代の遺跡がたくさん見つかり、現地の人は、この辺が人類発祥の地だといっているくらいです。
 紀元前3000年紀の青銅器のアファナシエフ文化(始めにクラスノヤルスク地方のアファナシエフ村で見つかったので、その名があるが、アフェナシエフ村はアファナシエフ文化の東端に近かった)の遺跡も、アルタイにはたくさん残っています。紀元前9世紀から同3世紀のスキタイ文化の遺跡は、黄金の副葬品があるので18世紀ごろから発掘されていました。
タポリノエ村の犬
 『洞窟の秘密』ツアーはロシア製改良ジープで、アルタイの一部アヌイ山脈の奥へ奥へと行きます。ジープに乗っていたのは、ツアー客6人(男性4人、女性2人)に、インストラクター(男性)、ガイド(男性)、コック(女性)の9人で、空き席がまだ2つありました。100キロも行ったところの、最後の村タポリノエを過ぎると、道はますます険しくなり、景色はますます美しくなるのでした。山道と言っても絶壁に作られているのではなく、アヌイ川に沿って、低いところに通じているので、春の雪解け水が溢れ出す頃には、どこまでが川でどこから道か分からないようなところを行くことになります。今は冬ですから、凍った川と地面の道の区別がつきます。

 ベロクーリハから150キロも行ったところが、私達の基地のデニソヴァ洞窟探検用国際総合施設です。その施設は夏場だけ営業していて、世界各地から考古学者や学術団体を受け入れています。山奥にしては設備の整った(つまりトイレ付き)宿泊所です。日本からも考古学研究者が訪れているそうです。と言うのも、デニソヴァ洞窟は、一番古い層は30万年前の遺跡から、新しいのは鉄器時代まで20層以上の遺跡が古いものから順番に層になって見つかったと言う、考古学にはわかりやすい洞窟だからです。パイ菓子のミル・フィーユのようです。
 冬場は、世界各地からの研究者は来ませんから、「快適」な方の宿泊所は閉まったままですが、その横にあるロシア人の研究者(一人)が常駐する質素な小屋だけは開いています。私達は、まずそこでひと休みして、それから、そのロシア人研究者がデニソヴァ洞窟に案内してくれました。そこは、旧石器の遺跡から順番に積み重なっている『目で見る』人類史博物館洞窟かと期待していたわけではありませんが、入ってみると、土の他は何もありませんでした。発掘物は博物館や研究所に持ち去られたでしょうし、未発掘物は、まだ土に埋まったままでしょうから。周りの景色はきれいですし、そばにアヌイ川も流れているので、古代人は安全な洞窟の中で幸せに暮らしていたでしょう。
<後記>2008年、デニソヴァ洞窟の約4万年前の地層から見つかった小指の骨先端部分小片のDNAが、ホモ・サピエンスのものとも、ネアンダール人のものとも異なる未知の人類のものだった。仮にデニソヴァ人と呼ばれている。「こんな寒冷地の辺境の中の辺境に!」といった驚きが人類進化の解説本などに書かれているが、当時寒冷だったとは限らない。シベリアにも旧石器時代の遺跡は多い。つまり、マンモスなどの獲物が多かったのかも知れない。アルタイの東のハカシアにはドゥブグラスカ洞窟の4万年から5万年前、マラヤ・スィア遺跡は3万4千年前とあるから。

洞窟内部(記念写真)
ムゼイナヤ洞窟の入り口の前で
洞窟内部(中央女性はウスチ・イリムスクから)
 小屋に戻って、簡単に昼食をとると、私達は、迷彩服を着て(私に合う小さなサイズがなかなか見つからなかった)、ライト付きのヘルメットをかぶり、登山用靴をはき、軍手をはめ、胸ポケットにろうそくを入れて、またジープに乗り込みました。今度は、アヌイ川の支流カラコル川が流れ出るカラコル山にあるムゼイナヤ洞窟へ行きます。ガイドの土地カンを頼りに、15キロほど道もないところを進みました(目印になるようなものもない)。
 それから、車から降りて、カラコル山の急斜面を1キロ程登らなくてはなりません。長い足のロシア人に遅れず、雪で滑る急斜面を30分も登るのは、キャベツのように着膨れして(ロシア語の表現ではこうなる)日頃から運動不足の私のような怠け者には大変なことでした。汗をかいて息を切らし、自分の歳を打ち明け、もう少しゆっくり行ってくれるよう頼みました。みんな笑って私を引っ張ってくれました。
 やっと登ったところの斜面に80センチメートル程の穴が開いています。これがムゼイナヤ洞窟の入り口で、深さが33メートル、通行できる距離が850メートルあるそうです。
 インストラクターが、まず、私に命綱をつけてくれました。そして私をそろそろと穴に落として行きます。私はと言えば、
「どこにも足をかけるところがない」とか「暗くて見えない」とか、おびえた声を出していましたが、数メートルも降りたところで、足が平面に着きました。
 中は鍾乳洞の洞窟で、天井からは鍾乳石が珊瑚礁のように生えていました。ヘルメットのライトやろうそくに照らされて、むくむくと成長している薄茶色の鍾乳石の間に、光沢のある石や、透明な石、キラキラと輝いている石も見えました。みんな記念に石を拾っていました。私は、どうせ、日本まで持って帰られるわけでもないので、余分な荷物は拾いませんでした。

 誰も迷子にならないよう、みんな一緒に先へ進んで行きます。私は、やはり不安なので、インストラクターに、そっと
「帰り道は分かっているわね」と囁きました。
「もちろんだ」と言う頼もしい返事でした。
 立って歩けないような狭いところも多く、這って進みました。ところどころ深い亀裂も開いているので、落ちないように、手と足とお尻で歩きました。その洞窟のいいところは足場がぐらぐらしないところです。切り立った岩の上にそろそろと足を降ろしても、私の重みで岩がぐらっと傾いたりはしません。

天井に張り付いていたこうもり
 天井にはコウモリが冬眠していました。群れになってぶら下がっているのや、ぽつんと一匹だけ天井にしがみついているのがいました。ヘルメットのランプでよく見ると、時々ぶるぶるっとうごめいています。せっかく冬眠しているのに、ヘルメットで擦って起こさないよう、私達は頭を低くして通りました。

 時々、ひと休みしました。ガイドに言われて、ライトも消して瞑想に耽りました。この時、伝説によれば「洞窟の主」があらわれるはずです。同行の女性は、遠くで何か物音が聞こえたと言っていました。それは空気の音でしょう。

 さて、洞窟から出る時も難しそうです。ガイドとインストラクターは、以前、65歳で100キロのおばあさんを引っ張りあげたことがある、と言っていました。「タカコなんてそれに比べたら軽いものだ、まだそれ程おばあさんでもないし」と言ってくれました。
 入り口の下まで戻ると、また命綱をつけて引き上げてくれました。できるだけ自分の力で這い上がろうとしたのですが、足ががくがくして言うことを聞いてくれません。洞窟の外へ出てみるともう薄暗くなっていました。
地表に出る
 全員が無事この世に戻れたことを祝って、私達はヴォッカで乾杯をし、サンドイッチを食べて元気をつけました。斜面の下には、乗ってきたジープと運転手が待っています。

 私達が小屋に戻ると、もう蒸し風呂がわかしてありました。女性3人(コックの女性も含めて)が蒸し風呂に入り、ロシアの伝統通り、白樺の小枝で背中をたたいたり雪で身体を洗ったりしている間に、男性達はバーベキューを焼いてくれました。

 その、当直の考古学者の小屋を出発したのはもう9時を過ぎていました。ですから帰り道では、景色を楽しむことはできませんでした。