クラスノヤルスク滞在記と滞在後記 
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up date  2006年5月20日 (校正08年6月21日、11年1月16日)
北極圏のタイムィール半島、ドゥジンカ市からハータンガ村(1)
      2004年6月22日から7月3日

1) 2)ハータンガ村博物館
  「不思議の国」タイムィール自治管区  ハータンガ村を歩く
  ノリリスク空港到着  村の郊外
  世界で最北の自動車道と鉄道  孫たちと親戚の若夫婦
  ドゥジンカ市でのホームスティ  トナカイ
  ドゥジンカ港  『もっと田舎へ』
  凍土地帯の建築の不経済さ(と思う)  はじめのの『もっと田舎』
  ツンドラ体験  さらに『もっと田舎』
  エレガントな公害都市  民族語女流作家
  ハータンガ区  11日間の『日帰り』旅行
    旅行の目的

『不思議の国』タイムィール(タイミール)自治管区について。どうしたらそこに行けるか
 もう8年間も私が住むクラスノヤルスク地方の北に、エヴェンキ自治管区という自治体があります。さらに北にタイムィール(ドルガノ・ネネツ)自治管区があり、その先は北極です(2007年、自治体の再編成で両自治管区はクラスノヤルスク地方に統合され、タイムィール区、エヴェンキア区となった)。タイムィール自治管区は面積が日本の2倍半ほどあり、人口は4万人あまりです。地図で見ると、ユーラシア大陸の最も北にあり、半島の北端チェリュスキン岬は北緯77度43分で、スカンジナビアや北米大陸の北端より緯度が高いです。そもそも、タイムィール自治管区全体が、北緯66度33分以上の北極圏内にあるのです。つまり、夏至の頃は太陽が沈まず、冬至の頃は太陽が上らないという不思議の国です。
タイムィール自治管区全体が北極圏内にある
 いつか、できるだけ北へ行って、夜中の太陽でも見ながら何日か過ごしたいものだと夢見ていました。でも、タイムィールは観光地ではないどころか、ロシア連邦保安部(旧KGB)や国境警備隊の許可がないと近づけません。北極に向かう北の国境なので、多くの軍事基地が作られ国境警備隊が警備しています。さらに、半島にはロシア経済にとって重要なノリリスク・ニッケル銅鉱山があるため、ソ連時代から住民と関係者以外は出入りできないことになっています。
 ちなみに,人口20万余の鉱業都市ノリリスクは世界で最も北にある(北緯69度)都市で、タイムィールにあるのに、タイムィール自治管区(自治体)に属していなくてクラスノヤルスク地方(自治体)に直属しています。クラスノヤルスク地方では人口88万のクラスノヤルスク市が一番大きいのですが、ノリリスク市が2番目です。
 でも、最近は、外国からマンモスの研究者や、北極圏の動植物や人類学の研究者たちが訪れているだけでなく、北極点へ行くためのヘリコプターをタイムィールからチャーターする外国人旅行者もいるようです。私のような普通の旅行者も行けそうですが、やはり、担当機関の許可手続きが必要です。ロシア人でもタイムィール方面行きの飛行機のチケットは許可なしでは売ってもらえないのですから。
 旅行会社が手続きを代行してくれるかもしれません。そこで、クラスノヤルスクのいくつかの旅行社にあたってみましたが、「タイムィールは扱っていない。どうしてそんなところに行くのですか。黒海の保養地や地中海など他にいいところがいっぱいありますよ」と言われてしまいました。でも、旅行会社はたくさんあります。

 クラスノヤルスク地方をほぼまっすぐ南から北へ流れて、タイムィール自治管区内も通り、北極海に注ぐエニセイ川のクルーズは、外国人船客も受け入れています(そのクルーズは北緯69度のドゥジンカ市までしか行かない。私も一昨年クルーズして、エキゾチックな北極圏の夏が好きになった)。そのクルーズを企画している『エニセイ旅行会社』がそうした個人旅行の手続きができるかもしれません。
 冬休みの冬至の前、「北極圏の夜とオーロラを見に行きたいのですが」と、その旅行会社にあたってみました。地図で見ると、ドゥジンカやノリリスクよりもっと北の、タイムィール半島の東側のラプテフ海(北極海の一部)に注ぐハータンガ川の右岸にハータンガ村(北緯度)があります。それより北にも小さな村がありますが、定期便の飛行機は飛んでいないようです。ですから、その最北のハータンガへ行きたいと言いました。でも、その旅行会社でも、「冬場は観光できるようなところはなく、外国人ツーリストを受け入れる機関も探せないから、個人旅行は超困難だ」と言われました。飛行機も冬は飛んだり飛ばなかったりかも知れません。
 それでは、夏至の頃の旅行ならどうだろうかと、半年後、また、同じ旅行会社を訪れてみました。「可能だ」ということです。訪問地をドゥジンカ、ノリリスク、ハータンガにしてもらって、フライトのダイヤを見て日程を組んでもらいました。
 ここで難しいのは、ドゥジンカにもノリリスクにもハータンガにも旅行会社はないので、私を個人的に受け入れる機関を捜さなければならない、と言うことらしいです。『エニセイ旅行会社』はドゥジンカの市役所に電話して、市の文化委員会青少年ツーリズム・センター所長に、私の受け入れ責任者になるよう頼んでくれました。ハータンガ村は、郷土博物館館長が、私の受け入れ責任者になることを引き受けました。つまり、この自治体の職員の人たちが、私の保証人となってくれたわけです。
 こうして保証人を立て、ロシア連邦保安部に申請をしてくれました。そして、出発の前日にファックスで『認可する』という印鑑の押された私の旅行日程表が送り返されてきて、やっと私の夢は実現できました。ただ、旅行会社に支払った金額は安くなかったです。クラスノヤルスクからノリリスク空港(そこからドゥジンカまでは、車で往復できる)までと、ノリリスクからハータンガタまで、ハータンガからクラスノヤルスクまでの3種類の飛行機のチケット代が、全部で約500ドル、ドゥジンカの3日間(ノリリスクも含めて)の滞在費と食費、観光費(車代を含む)が300ドル、ハータンガ村8日間も300ドル、旅行会社の手数料も300ドル、合計で1400ドルでした。

 300ドルの手数料を受け取った旅行会社の人も、このファックスで送られてきた書類で、本当に、私がクラスノヤルスクからノリリスク行きの飛行機への搭乗が許可されるものかどうか、心配だったらしく、6月22日朝早い出発だったのですが、見送りに来てくれ、搭乗手続きもやってくれました。と言うことは、ちょっとまだ問題があったようです。

ノリリスク空港到着
 クラスノヤルスクからノリリスク空港までは約1500キロの距離があり、小型ですが地方便にしては上等な飛行機で2時間ほどです。
 着陸すると、内務省職員が機内に入ってきて乗客一人一人のパスポートを調べ、問題がない乗客はタラップを降りていきます。私は、もちろん問題ありで、誰もいなくなった飛行機の座席に一人座ったままです。やがて、内務省の車に乗せられて、空港の一室に連れて行かれ、もう一度、書類が調べられて、やっと放免されました。(旅行会社の人は書類をたっぷり私に持たせてくれましたから)。

 ドゥジンカでの私の保証人が、この空港まで迎えにきてくれているはずです。普通の乗客とは違う出口から出たので、私を見つけられないようでしたが、私の方から見つけました。ドゥジンカ市とノリリスク市は85キロほど離れていて、ノリリスク空港はその中間にあります。

 世界で最北の自動車道と鉄道
 『内地(と、現地の人たちはタイムィール半島以外のロシアのことを呼んでいる)』からノリリスクへ入るには、ノリリスクリ空港への航空便かドゥジンカ港への船便のみです。ドゥジンカ港からはノリリスク鉱山のニッケルや銅を積出し、ノリリスク鉱山会社や住民の必要物資を受け入れます。港からノリリスク市までの85キロは陸送しなければなりませんが、陸送というのがツンドラ地帯では簡単ではありません。凍土帯のため地盤が不安定なので、舗装道路が沈んだり浮いたりしないように、下に数メートルの厚さに砂利が敷いてあります。それでも道路がでこぼこしてスピードは全く出せません。道路と平行に走っている鉄道にいたっては、年に何度も修理しなければなりません。危険なので、今は貨物しか運んでいないそうです。以前は乗客も運んでいたのですが、85キロを走るのにまる1日もかかったそうです。このドゥジンカからノリリスクまでの85キロが、世界で最北にある自動車道と鉄道です。 
ツンドラを走る自動車道
 タイムィール自治管区には、この他に自動車道路はありません。夏のツンドラと言うのは、地表近くの氷が少し融けるのですが、その水分は、気温が低いのであまり蒸発しなくて、地下は氷なので地面にしみ込みもしないで溜まっています。つまり、一面の湿原と湖沼地になります。冬はまた一面の氷原で、普通でも零下40度50度と気温が下がりますから、ツンドラとは住める所ではないのです。少なくとも、大きな町や道路を作って住むようなところではないです。でも、そんなところに、スターリン時代、鉱山を開いて、工場を築き、鉱山労働者たちの町や鉱物輸送のための港町を作り、鉱山と港を結ぶ道路や鉄道を敷き、ソ連経済発展に(むりやり)貢献させました。それらを作ったのは、無料の囚人労働力です。ですから、この辺のものはみんな『囚人の白骨の上に立っている』わけです。

 空港まで出迎えてくれた保証人のルービナさん(ロシア人)と一緒に車でドゥジンカへ向かいました。車の窓から見える景色がツンドラです。途中そのツンドラに縞模様のレーダーが4基、高くそびえています。冷戦時代は緊張していたでしょうが、今はなんだか寂れた感じです(その方がいいですが)。空港からほど近い、ツンドラの中道路わきに、数軒の高層アパートが立ち並び暖房設備のパイプが通っている小さな町が見えました。遠くから見るとなかなか近代的な町ですが、ここには今は一人も住んでいません。近づくと廃墟なのがわかります。航空関係者(つまり空軍)が住んでいたそうです。(注 アルィケリ軍事パイロット村だったが、飛行中隊の撤退の後ゴーストタウンになった。)
 
 ドゥジンカ市でのホームスティ
知り合いになったエネツ人、ネネツ人、ドルガン人の言語学者たち
ヌガンサン語で「光」さんと娘さん
 7月22日から3日間は、ドゥジンカ市に住む先住北方少数民族のひとつヌガンサン人の家庭にホームスティし、そこのディザールさん(ヌガンサン語で光と言う意味)と言う女性から、ヌガンサン人の伝統や習慣、祖先の事を教えてもらったり、ディザールさん執筆のヌガンサン語の初等読本を見せてもらったり、ディザールさんしか持っていないという古い時代の白黒ビデオ・フィルムを見せてもらったりしていました。ヌガンサン人の祖先は数千年前からこの地に住んでいた最も古い、最も北方の民族だと、ディザールさんが強調していました。その後、南から移動してきたツングース人(と彼女が言った、今ではエヴェンキ人という・単数はエヴェンク・彼らが住む土地をエヴェンキア)やサモイェード人と交流して、今のヌガンサン人ができ、タイムィール半島中部で広く野生トナカイの狩猟をして暮らしてきました。17世紀、ロシア人が来るようになると、伝染病の抵抗力のなかったヌガンサン人に天然痘などが広まったりして人口が減っていき、今では800人くらいしかいません。それも、両親のどちらかが非ヌガンサン人だったりします。ディザールさん自身父親はロシア人で、夫もロシア人です。超少数民族のヌガンサン人はもうお互いが近い親戚のようなものなので、結婚しない方がいいそうです。
 エネツ人、ネネツ人、ドルガン人の人たちとは、ルービナさんのセンターでお茶会を開いてもらって知り合いました。私の会った少数民族の人たちはみんな年配の教育のある女性で、レニングラード民族大学やクラスノヤルスク教育大学出身者だったりして、民族語の辞書編集者でもあるそうです。少数民族の男性たちの方は、あまり教育を受けたがらないとか。

 ドゥジンカ港
 さて、クラスノヤルスク市からエニセイ川に沿って下流へ2000キロほど行ったところにあるのがドゥジンカ港で、さらに、200キロほど北へ下ると、エニセイ湾へ出ます。エニセイ湾は、北極海の一部のカラ海に面しています。ですから、ドゥジンカ港はエニセイ川を通じてクラスノヤルスク市と結ばれ、北極海を通じてバレンツ海のムルマンスクや白海のアルハンゲリスクと結ばれるというシベリア北部の重要な港なので、冬でも営業をしています。
 大企業ノリリスク鉱山会社が港と船舶運行関係のすべてを経営しています。冬は、ムルマンスクから原子力砕氷船がやってきますが、『北洋航路号』などの原子力砕氷船は、世界中どの港からも寄港を断られているので、ロシアの国内輸送だけしているのだと、ルービナさんが言っていました。氷が張っていない今は、エニセイ川をさかのぼる河川艇、エニセイ川を下って北極海へ出る外洋船などの数隻が停泊しています。ドゥジンカ港は、毎年春先(つまり5月後半から6月)の増水期には埠頭が水に浸かるので、クレーンなどの港湾施設は高台に上げておきます。多いときでは水位は20メートル以上も上がるそうです。私の訪れた6月後半は、まだ春なので、クレーンは高台にあり、埠頭の半分は水に浸かっていました。
夏至の頃のエニセイ川(ドゥジンカ市で)
 ほんの1週間前にやっと緑の芽が出てきたそうです。北極圏の夏は短いので、植物たちは急いで芽を出し、急いで花をつけ、実を結び、枯れなければなりません。
「10日間もここにいると周りの景色ががらりと変わりますよ」と言われましたが、私はドゥジンカには3日間しかいなくて、春らしくなる前に、もっと北のハータンガへ行きました。そこではまだ春先でした。

 凍土帯での建築の不経済さ(と、思う)
 タイムィール半島の土地は凍土なので住宅建築は超困難です。昔の北方少数民族は、円錐形の組み立て移動式の住居チュムなどで暮らし、定住はしていませんでした。冬季だけ小さな集落で暮らしていました。でも、ドゥジンカは近代的自治体の行政中心地ですから、5階建てや6階建てのアパートが幾つも建っています。どの家も、下駄を履いたように、地面から2メートルも突き出た杭の上に建っています。普通の土台で建てると、夏に家の下の凍土の表面が融けた時地面が下がり家が傾き、冬凍りついた時地面が上がりさらに家が傾きます。凍土の中深くまで(岩盤までか)杭を何本も打ち込み、その杭の上に家を立てれば、表面の凍土地層が少し融けても家は傾きません。
 家の熱で凍土ができるだけ融けないように『縁の下』は囲ってあり、中はひんやりと冷たく氷が融けずにたまっています。杭をどのくらい深く地中に打ち込まなければならないのかは、家の高さ(つまり重さ)や、凍土の厚さ、その土地の地中の状態によって違うそうですが、数十メートルは打ち込むそうです。建築費の大部分は杭代に使われます。ドゥジンカの町づくりはとても高くつくわけです。ペレストロイカの後はほとんど新しい建物は作られず、人口も減っています。
 住民の中でロシア人は、『内地』から働きにきた人が多く、賃金の高い北方特別地で十分稼いだ後、戻っていくそうです。ルービナさんも、ずっと住むつもりはないといっていました。ドゥジンカは積出港としての経済的意味しか今はなくなったので、それに関係しない『内地』からの出稼ぎ者は戻っていき、人口は減っているのだそうです。
「若い資本家が新知事になったからね、儲からないようなことはどんどん省いていくのよ」と、ルービナさんが言っていました。
 
 ツンドラ体験
 旅行会社がわたしの注文で作ってくれた日程表の中には『ツンドラ体験』というのも入っていたので、ツンドラに詳しいニコライ先生という人と一緒に出かけました。ルービナさんの車にゴム長靴も忘れずに積み込みました。
 ツンドラへ行くといっても、町から一歩外へ出れば、ツンドラです。でも、車で20キロほどは離れたところまで行きました。舗装道路の両側にツンドラが広がっています。別の言い方をするなら、ツンドラという湿原と湖沼地の中にドゥジンカとノリリスクという人工島があり、その間を道路が橋のようにかかっているわけです。
ツンドラに詳しいニコライ先生
永久凍土の氷の頭

 私たちは道路の端に車を止め、ツンドラに入るために長靴を履きました。ルービナさんは車の番です。ニコライ先生は
「ツンドラの匂いはいいな、久しぶりに来たな」と言ってタバコを吸いながら、先へ進みます。矮小の柳や、矮小のハンノキ、矮小の白樺が芽を出しています。バグーリニク(つつじの1種)の花はまだ咲いていません。これが一面に咲くと、いい匂いで頭がくらくらするそうです。コケや地衣類が分厚く生えていて、歩くとふわふわします。所々に融けた氷水がたまって、コケやビート(泥炭)の間で沼地になっています。そんなところを、ニコライ先生は沈みながらもずんずん進んでいくのですが、私は怖くて入れません。ためらっていると、ニコライ先生が、戻ってきて、
「凍土帯の氷はまだそんなに溶けてはいない」、と近くに生ええているコケとその下の泥炭をどかして10センチほどの穴をあけ、底を触ってみています。
「ほら、硬くて冷たいでしょう」というので、私も触ってみると、かちかちです。土をこすってみると本当に透明な氷の頭が見えてきました。これが有名な凍土なのかと、感心して何度も頭を撫でておきました。
 底なし沼でないことがわかったので、ニコライさんの後について進んでいきました。もっと夏になると凍土がさらに溶けて、通行不能な沼地になるそうです。でも全部融けることはありません(だから永久凍土地帯です)。夏、ツンドラが通行不能になるのは、沼地のせいばかりではなく、蚊やサシバエが巨大集団で襲ってきて、防御装置などがなければ、すきまなく刺されて死んでしまうからです。ですから、野生トナカイも家畜のトナカイも夏はツンドラを避け、もっと北方か高山へ移動します。

 ドゥジンカは極寒ツンドラ地帯の中でも南部ですが、まだ、所々に雪が残っています。特に斜面の北側に多いです。融けないうちに新しい雪が降ることも珍しくないそうです。

 ドゥジンカ滞在中に、連邦保安部ドゥジンカ国境警備部へ出向き、次のハータンガへ行く許可書をもらってきました。それには『8月31日まで有効、副司令官マトヴェエフ少佐』と署名されています。ずいぶん長い間、ハータンガ滞在が許可されているものです。

 エレガントな公害都市ノリリスクからハータンガへ
 25日はドゥジンカを出発して、ノリリスクに向かいました。ニッケルや、銅精錬工場の煙突の煙は遠くから見えてきます。聞いてはいましたが、公害の状況は厳しいようです。近づくにつれて、醜い工場の建物や、パイプ、廃水池が見えてきます。
 しかし、郊外の一群の工場地帯を通り過ぎて、市街地に入ると、そこは一転してサンクト・ペテルブルグ風の町並みです。ごみごみしたドゥジンカ市とも大違いの洗練されたミニ都会です。でも、その日は風がなかったので、スモッグで、隣の建物もぼやけて見えるくらいでした。長年生活していると健康によくないでしょう。
ノリリスク空港から飛び立つ
 歴史博物館も休みで、『ノリリスクで最初の家の記念館』というのだけを見学して、空港に直行し、ハータンガ行きの飛行機に乗り込みました。普通の搭乗手続きのほかに、迷彩服の職員がさらに許可書を調べます。

 飛行機は、ロシアの地方便ではよく見かける小型のおんぼろ機体でしたが、ドゥジンカから800キロを1時間40分という普通の速度で飛び、無事ハータンガに到着しました。ハータンガ行きの乗客は、ドゥジンカなどの学校で学び、夏休みを過ごしに両親のところに帰る少数民族の生徒や学生たちが大部分です。ちなみに、8日後ハータンガからクラスノヤルスク行きの飛行機に乗りましたが、その乗客は、夏期休暇を過ごしにクラスノヤルスク方面に帰るロシア人が大部分でした。

 ハータンガ区
 空港に迎えてくれたのは、ここでホームスティすることになっているエヴドキヤ(ドルガン語ではオグドゥワ)・アクショーノワさんで、一面識もないのですが、すぐに私の方から見つけました。というのも、たった4000人ほどの村ですから、飛行機内で知り合った人に、
「博物館館長のエヴドキヤさんを見つけたら教えてね」と頼んでおいたのです。
タイムィール(ドルガノ・ネネツ)自治管区
 北極海に突き出たタイミール半島の西側の海にはエニセイ川が流れ込み、東側にはハータンガ川が流れ込んでいます。半島の付け根にあるプトラナ高原から、大回りして北へ流れていくカトイ川と、北シベリア低地を北東に流れてきたヘタ川が、クレスト村で合流してハータンガ川となります。長さは227キロですが、カトイ川とあわせると1636キロです。4000キロのエニセイより小さく、1870キロのヨーロッパ・ロシアのドン川と並ぶくらいですが、ツンドラ地帯の人口稀薄地帯を流れるので、ハータンガとその上流のヘタ川に沿って、7個の小さな村があるだけです。
 タイムィール半島の最北を除く東半分は、全部ハータンガ区で、人口は約7500人です。日本より少し小さいくらいの面積(336千平方キロ)のハータンガ区には、区役所所在地のハータンガ村の他に、パピガイ川のパピガイ村、ハータンガ湾のノヴォリブノエ村とセンダスコ村、カトイ川のカヤク炭田村(最北の炭田)、ヘタ川のヘタ村などぜんぶで10ヶ村があるだけです。ハータンガ村だけで人口のほぼ半分が住んでいて、その住民の中で、ロシア人が半数以上を占めます。他の村は数百人で、ノーヴァヤ村のほかは、ドルガン人の村です。ノーヴァヤ村はヌガンサン人が住んでいます。
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