up date | 2006年11月6日 | (追記・校正:2008年6月22日、2018年12月26日、2019年11月16日、2020年8月23日、2002年年3月16日) |
(8) クラスノヤルスク南部サナトリウム 『ソルニチヌィ・テシ(テシ村の陽だまり館)』 2003年12月10日から12月15日 |
Санаторий "Солничный Тесь" на юге Крснярском крае (с 10 декабря
2003 года до 15 декабря 2003 года)
12月12日は、1995年から2004年までロシアでは祝日「憲法記念日」で大学は休みでした。(その後12月12日は祝日からはずされました。昔の革命記念日11月7日も祝日からはずされています。) それで、授業のない日と日曜日をつなげて、12月10日(水)の夜出発して15日朝帰ってくるような小旅行に、仲良しの友達のナースチャと一緒に出かけることにしました。二人で、どこがいいだろうかといろいろ調べてみたのですが、だいたい12月は旅行シーズンではありませんし、この近くで、4、5日の旅行と言うとオール・シーズン営業サナトリウムしかありません。それでクラスノヤルスクから500キロほど南の テシТесь 村にある『ソルニチヌィ(直訳では『太陽の』だが、『陽だまり』と訳せるかも)』というサナトリウムに決めました。 サナトリウムは、普通、温泉や鉱泉の出るところにあって長期湯治客を受け入れています。特に、ハカシア共和国やクラスノヤルスク南部のミヌシンスク盆地には塩湖が多いので、夏場には治療効果があるという『湖水』浴場のそばに宿泊設備がたくさんできています。 それらサナトリウムは、夏場だけが多いのですが、通年営業のものもあります。冬は日光浴はできなくても、スモックの都会から逃れて、きれいな空気のところで数日休息ができます。私は、それ程、クラスノヤルスクのスモッグに悩まされていたわけではなく、仕事に謀殺されていたわけではありませんが、ただ、旅行してあちこち見て回りたいために行ってきました。 前回のサヤノゴルスク市への小旅行と、方向は同じです。前回はバスでいきましたから、今回は列車にしました。そのサナトリウムはクラスノヤルスクの南500キロ程の所にある、といっても、それは自動車道でまっすぐ行った場合で、鉄道では、遠回りするので1倍半もの道のりがあるでしょう。だから、行きは13時間、帰りは急行だったので10時間半ぐらいかかりました。 と言うのは、モスクワからウラジオストックへ通じているシベリア幹線鉄道沿線の町でしたら、交通も便利ですが、『ソルニチヌィ』のあるミヌシンスク方面に行くには、クラスノヤルスクから東へしばらく行ったウヤール駅で南に別れる支線に乗り移り、さらにしばらく行ってサヤンスキー駅で『アーチンスク・アバカン・タイシェット線』と言う支線にまた乗り移らなければならないからです(乗客が乗り換えるのではなく『クラスノヤルスクからアバカンへ』行く車両が、目的地へ行く機関車につなぎ替えられる)。急行でなければ、その度の分岐駅で何十分も停車します。 13時間も乗っていると言っても、夜行ですから、乗るとすぐ寝て、起きるころはもう目的地の近くまで来ています。冬なので外は早くに暗くなり景色も見られません。朝明るくなった頃、トゥバ Тубв という普通列車でも2分間しか泊まらないような駅で降りて、あらかじめ予約してあった迎えの車に乗りました。40キロ程走るとテシ村で、車代が約1000円でした。 サナトリウム『ソルニチヌィ』(鉱泉治療所)は構内が広く、新しく建てられた幾つも棟があり、それらがみんな真っ白い雪で被われていました(クラスノヤルスクの雪は、すぐ黒くなります)。医療棟、治療棟、ホテル(室内設備が整っていてバス・トイレ付き)、宿泊棟(宿泊料はホテルより安い)、食堂、スポーツセンター、レジャー棟などあって、たいていの泊まり客は最低2週間の療養にやって来るようです。シーズンオフなので個人客は私達を入れても5組程しかいないようでした。 私とナースチャはホテルのよい方のツインルームに泊まりました。何がいいかと言うと、この部屋だけのバスとトイレがあるからです。そうでなければ2部屋共通のバス・トイレになります。(つまり隣の部屋の人と共通のバス・トイレ。こんな設計はロシアによくあって、中の中クラスのルームです。ちなみに中の下と言うと、3部屋または4部屋で共通のバス・トイレとなり、その下のクラスは、ホテルの各階の部屋全部の共通のシャワーとトイレになり、部屋も4人から6人用で、知らない人と相部屋になったりします。そういう部屋はせめても屋根の下でベッドで寝られればいいだけという感じです。) 私とナースチャは部屋に落ち着くと、まずは医療棟に行って、滞在中の医療方針を決めました。12月12日の憲法記念日は祭日なので、医療ができるのは1日半だけでした。医療と言ってもきれいな空気を吸って仕事をしないと言うのが第一で、その他は有料メニューがあって、薬草入浴が100円、マッサージが400円、人工日光浴、泥浴療法、ビタミン・カクテルなどがあります。どれにするか医師と相談して決めます。私たちは短期の湯治です。湯治と言っても、ここに温泉が出るわけではなく、泥浴用の薬効泥などは産地(つまり本当の温泉地)から運んでくるようです。
この辺はミヌシンスク盆地で、『シベリアのイタリア』とも言われているのは、気候がシベリアにしては穏やかで、健康にいいということでしょう。気候帯で言えば森林ステップ地帯です。療養所はもちろんステップ(草原)の中にではなく森林のそばにありますから、スキー(レンタル)を履いて森の中を散歩できます。私達は、スキーを履かずに森の中に入ったので膝まで埋まりながら、散歩しました。 カデットスキー・コルプスと言うのはもともと、革命前の帝政ロシアで、貴族の子弟を士官に養成するための寄宿学校でした。17世紀プロシャではじめにできました。18世紀にはどこの国でもその前身となる軍人養成機関が駐屯地内にでき、その後、ソ連時代はもちろんなかったのですが、1998年から2000年までクラスノヤルスク地方知事だったレベジ将軍(ソ連軍の『英雄』で、1996年の大統領選挙ではエリツィンと票を争った。その当時は、国際的にも有名な人物だったかもしれない)が復活させました。クラスノヤルスク市を始めクラスノヤルスク地方のいくつかの市にはカデットスキー・コルプスがあります。(完全寄宿制の軍事教育に特化した中等教育機関) ノリリスクのカデットスキー・コルプスは北極圏のノリリスク市にではなく、クラスノヤルスク南部のテシ村のサナトリウム『ソルニチヌィ』内にあるのです。 でも、だいたいカデット(カデットスキー・コルプスの生徒)などと言うのは革命前の復古調です。正装で行進するときなど、小さな男の子が19世紀風の軍服を着ているのが可愛い可笑しいです。普段は、20世紀風迷彩服も着ています。 『ソルニチヌィ』は1500人くらい収容できるそうですが、そのうち400人は、カデットたちだそうです。構内に、もちろん、彼等の学校もあります。つまり教官も宿泊しているわけです。 それで、ホテルから食堂へ、朝食、昼食、おやつ、夕食と食べに出る度に、大人や子供の軍服姿に会うので、サナトリウムに来たのか、軍事基地(駐屯地)に来たのか分からないくらいでした。生徒達はどこへ行くにも隊を組んでいきます。食堂の外套置き場には、「第3中隊、第5小隊」用とか書いてあります。私はいつも、「第2中隊、第5小隊」の子供たち用の空いているホックの一つに自分の外套をかけておきました。意外なところに来たものです。 ちなみにノリリスク・ニッケル会社がスポンサーとなっているこのカデットスキー・コルプス(陸軍幼年学校)は、ミヌシンスク盆地の田舎にあるのが不便だとして、クラスノヤルスク市に移そうと言う計画があります。そうすると、『ソルニチヌィ』は、普通の子供用サナトリウムにもどるわけです。 普通の子供用料金は大部屋に3週間宿泊で、1日5食(おやつも含む)、バス遠足2回付きで5万円くらいだそうです。サナトリウム・メニューが加わると6万円位になります。 後記:テシ村『ソルニチヌィ』内のノリリスク・カデットスキー・コルプスは1999年から2008年まで運営していた。その後、クラスノヤルスク近郊のジェレズノゴルスク市に移ったのだ。ジェレズノゴルスク市と言えばクラスノヤルスク地方にあった4つの閉鎖都市の一つで、現在は、そのうち2市が依然として閉鎖されたままだ。ゼレノゴルスク市(かつてのクラスノヤルスク45市でウラン精製工場がある)とジェレズノゴルスク市(かつてのクラスノヤルスク26市でプルトニウム関係とか)だ。閉鎖が解かれたかつてのクラスノヤルスク61市(ミサイル師団が配置されていた)は2002年ケドローヴィ町となり、そこにもカデットスキー・コルプス(孤児を集めた寄宿舎)が置かれた。クラスノヤルスク地方には、レソシビリスク市やアーチンスク市、シャルィポフ市、カンスク市、ミヌシンスク市など全部で8校のカデットスキー・コルプスがある。 追記:『ソルネチヌィ・テシ』サナトリウムは2020年のインターネットでも検索できる。子供向け健康キャンプとなっている。四日目の朝、チェックアウトを済ませ、9時半に『ソルニチヌィ』から1日2本出ているバスに乗りミヌシンスク市へ発ちました。44キロの距離ですが、冬なので1時間程かかります。当てにしていたナースチャの友だちはクラスノヤルスクに行っていて留守でした。遠くから尋ねてきてもこんなことがあります。あらかじめ電話で確かめておくと言うことはしないのです。電話のある家は少ないですから。でも、別の友達の家ではお母さんが在宅でした。荷物を置かせてもらって町見物。 ミヌシンスクの町並みは古くて美しい廃墟となった建物が並んでいても遠目には立派に見えるのでした。ナースチャとさ迷い歩き、夕方、駅の売店でクラスノヤルスクにでも売っているような本を2冊買い、8時に発車する寝台車に乗って、ミヌシンスクを出発し、翌日(月曜日)の6時半にクラスノヤルスクに戻りました。 |
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