クラスノヤルスク滞在記と滞在後記

В Красноярске       Welcome to my home page

up date 2006年6月3日(校正08年6月24日)
クラスノヤルスクからイルクーツクへ、列車の旅            2002年3月11日から3月16日

     Из Красноярска в Иркутск на поезде


 クラスノヤルスクからイルクーツクまではシベリア鉄道で18時間ほどです。ウラジオストックまで4日間半もかかるのに比べて、あっと言う間の距離です。それで、4人用コンパートメントの寝台車(2等車)ではなく、寝棚が縦横にぎっしり並んでいるオープン寝台車プラツカルタ(3等車)のチケットを買いました。チケットには、列車の出発時間は、モスクワ時間3月11日20時40分と書いてあり、それは、クラスノヤルスク時間で12日0時40分なので、時間的にもまずまずでした。しかし、当日、駅に行って始めてわかったことですが、その列車はウズベキスタンの首都タシケントからイルクーツクへ向かう「国際列車」だったのです。ウズベキスタンは1991年までソ連構成15共和国の1つでした。ソ連崩壊後も、ロシアとよい関係にありますが、一応、外国です。でもロシア人や、ウズベキスタン人はビザ無しで行き来ができます。

 タシケントの列車に乗るのは2度目で、これはロシアの列車以上にエキゾチックです。清潔な日本の列車に慣れた人にはちょっとショックです。また、列車と言えば交通機関だと思っている人(私のような)にもショックです。このタシケント発の列車は、移動する店でした。
 夜中12時過ぎにプラットホームに到着した列車に入ってみると、1つの寝台に何人もの人が座っていたり、1つの寝台に2人の大人が寝ていたり、ただ、大きな荷物がおいてあったりしているのでした。寝台の数、つまり定員より乗客の数がかなり多そうです。
 私のチケットには、もちろん寝台番号が書いてありますが、すでに、その寝台はウズベク人女性が2人占領していました。3人で寝るのはたまりません。列車が発車して暫くして、ぽっちゃりしたウズベク人の車掌が来たので、
「この寝台は、私ので、ほらこのチケットにちゃんと番号が書いてあるでしょう。この人たちに退くように言って下さい。」と頼みましたが、思っていた通り、そのウズベク人女性は、
「私は、タシケント出発からずっとここにいるのよ。」と知らん顔です。丸顔ウズベク人の車掌も、
「チケットはチケット。ここでは別の決まりがあって、すべては車掌が決めるのです。あなたは、こちらの方で寝て下さい。」と少し離れた上段の寝台をさしました。そこにはウズベク人のおじさんが熟睡しています
「今、この人を起こして、退かしますから。」と言われました。その上段でもよかったのですが、私のチケットの番号は下段です。下段ですと寝台の下に、オーバーや自分の荷物を置けますが、上段ですと、安全な置き場がありません。下段の方がずっと便利です。それで、
「いいえ、それでは、困ります。」と食い下がりました。「私はわざわざ下段を買ったのです。上段に寝るのは怖いのです。1度落ちたことがありますから。」と、実はデタラメを言いました。何でも口実があればいいのです。
「落ちるから、私は絶対に上段にはいかないわ。ここが私の場所なんだから、他の人を退かしてちょうだい。」と、もう喧嘩腰で言いました。すると驚いたことに、そのウズベク人車掌はあっさりと承知して、私の寝台を占領していた女性を退かしてくれました。

 そのせいかどうか、シーツ代として、普通の値段の3倍(200円)も請求されました。ウズベク人乗客は70円くらいでシーツをもらっています。でも、130円で、事がおさまったとすれば安いものです。丸顔さんも少し儲かったことですし。
 その夜、上にも下にも横にもぎっしりと置かれているウズベク人の荷物が落ちてこないかと心配しながら、何とか寝ました。
停車時間の長い駅ではプラットホームに売り物を持って出る
バイヤーが買いに来る。

 次の日は、寝台の上にもテーブルにも、市場の売り台のように、いろいろの商品が並びました。駅につくと、大きな鞄を持ったバイヤーが乗り込んできて、それら商品を卸値で買っていきます。停車時間が20分30分の大きな駅ではウズベク人が、プラットホームに自分の商品を並べます。列車の移動中、どこかの駅から乗り込んだバイヤーが車両から車両へと回って買っていきます。バイヤーが通る度に、私の向いのウズベク女性が
「女性用下着はいかが?」
「綿の部屋着は、安いよ。」
「この靴下はいい品質だよ。」と声をかけています。なるほど、上段では商売がしにくいわけです。寝台に並び切らない商品はひもに吊るしてぶら下げてあります。ウズベクは物価が安いので、それを持てるだけ持って列車に乗り、4、5日かけてイルクーツクヘ行く途中で売り捌き、そのお金で、イルクーツクでは安いがウズベクでは高いと言う物、例えば、チョコレート、ビスケット(と言っていました)を買って、同じ列車で、タシケントまで戻っていくのです。

 夏、ウズベキスタンなど中央アジアでは果物や野菜が安いので、それを大量に北国ロシアに運びます。バイヤーではない一般のロシア人でさえ、中央アジアから列車が着く頃(通過する頃)、駅のプラットホームに行って、運び屋から、直接安く買ったりします。

 昨夜は、私が「寝台を明け渡せ」だの、「荷物を退かせ」だのと喧嘩腰で話していたウズベク人達でしたが、実はみんな愛想のいい人たちで、目があえばにっこり微笑んでくれます。お互いにはウズベク語で話していますが、わたしとは、ロシア語で話しました。
寝台が売り場となって、所狭しと売り物の下着やスカーフなどが並ぶ
窓に紐を通してぶら下げて展示もしてある。

 ウズベキスタンはイスラム教の国ですから、一夫多妻です。妻達は夫の家で一緒に暮らし、2人ほど妻があるのが一般的だそうです。彼女の夫は失業中なので、妻は、一応、一人しかいません。ウズベキスタンでは多くの工場が倒産状態で失業者が多く、この列車のほとんどの乗客のように、個人的な国境貿易で生活しているそうです。最近、国境の税関が厳しくなったので、需要は大きいが税率の高い果物などは避けて、衣料品を中心に運んでいるそうです。途中通過するカザフスタンで、安い中国製の衣料品を買い足すのだそうです。失業中の夫がこの運び屋をやらないで、女性がやるのは、その方が税関を通りやすいからだそうです。泣いたり、叫んだりすれば、少しぐらいの違反には目をつむってくれるとか。なるほど、車両内のウズベク人は大部分が女性です。わずかな男性は上段で寝ています。 一人のウズベク人男性が起きてきて、私に、
「日本人は豚を食べるか。」と聞きました。
「もちろん食べる。」と答えましたが、すぐ、イスラム教徒の人たちは、豚は不浄な動物なので食べないのだと思い出しました。彼は日本人に豚を売って、日本の優秀な電気製品を買いたいのだそうです。
「豚を食べるウズベク人もいるのよ。私は絶対に食べないけどね。」と先ほどの女性が顔をしかめながら言っていました。

 知り合いになったのですから、彼等の安い綿製品も少し買いました。せっかくですから、首都タシケントや、古都ブハラ、サマルカンド、コーカンドのこと、征服者チムールのこと、ついでに、ウズベク語も少し教えてもらいました。

 タシケント発イルクーツク行き列車は、そんなわけで、ロシア人はめったに交通機関として利用しません。時々、やむなく乗り合わせるはめになったロシア人は、あきらめて、小さくなって上段に寝ているか、おとなしく隅っこに座ったまま目的地まで乗っているか、です。
 
 夕方遅くなってイルクーツクに着いた時、ほとんどのウズベク人は降りようとしませんでした。もうイルクーツクの卸売市場や工場は閉まっているので、イルクーツク製品は何も買うことなく、この列車でまたタシケントに帰るのです。帰りの駅々で又商売ができます。昨日のぽっちゃりウズベク顔の車掌さんが、
「この列車はどうだったかね。」と聞くものですから、
「おもしろかったわ。さようなら。」とちゃんとウズベク語で答えました。

 確かに面白かったです。でも、贅沢な旅になれた日本人にはすすめられません。車内はとても汚れています。ウズベキスタンの列車にくらべれば、ロシアの列車は豪華ホテル並です。
 1月のモスクワ旅行の時、シベリア鉄道では、トイレに苦労しました。駅に停車中やその前後2、30分はトイレが使えないよう鍵がかかるのです。でも、タシケント列車は、鍵なんて壊れていて、いつでも使えます。自分が使う時は、長い手を伸ばして、開かないよう押さえていればいいわけです。

 イルクーツクには4日半いました。ホテル代が1泊4000円と高かったので、副知事に頼んで割引料金にしてもらいました。もちろん、その人のほうから「何か御希望は」と聞かれたからです。イルクーツク州と石川県は35年来の姉妹都市で、その副知事が昔まだそんなにえらくなかった時、よく金沢に来て、中古車を買っていきました。その時私も通訳をしたらしいです。私が今回イルクーツクに来たのは、その姉妹都市の日露協会の関係で、日本語教育などの調査に来たのですから、イルクーツク州庁管轄ホテルの宿泊料を安くしてくれても、いい訳です。割引は15%と大きくはないですが、でも、何でも言ってみるものです。

         ホーム ページのはじめ↑