up date | 2002年1月 | (追記:2006年6月2日、2008年6月24日、2018年11月23日、2020年6月25日、2022年3月2日) |
クラスノヤルスクからモスクワへ列車で 「モスクワ・ゴールデンリング・ツアー」参加 2002年1月6日から1月13日 |
Из Красноярска в Москву на поезде
ロシアに長く住んでいますが、初めの頃は、夏休みに帰国する時ハバロフスクへ寄る以外は、国内旅行は避けていました。とても不便だったうえ、同じサービスなのに外国人用の高い運賃を支払わなければならなかったからです。 でも、その後、運賃も平等になり、だんだんロシア的交通機関に慣れてきました。そして、まず試みたのが2000年12月末のクラスノヤルスクからウラジオストックまでのシベリア鉄道の旅でした。それから、2001年1月モスクワ、2001年3月イルクーツクへ出かけることがあって、不便さも楽しめるようになり、格安旅行なんかもできるようになって、すっかりロシア国内旅行好きになりました。
モスクワなどは個人旅行としてぶらりと回ってもいいのですが、『リング』を回るには、旅行会社のツァーで回った方が効果的に見物できます。でも、クラスノヤルスクから出発するようなコースはないので、モスクワ発『ゴールデンリングの旅4泊5日間、1月9日から13日』というコースを、クラスノヤルスクの旅行会社を通じて予約し、旅行代金も払い込みました。ですから、パートナーのセルゲイとその出発日に遅れないように、クラスノヤルスクを1月6日に出発したのです。 クラスノヤルスクからモスクワまでは、この時私の乗ったシベリア鉄道の急行では60 時間10分(2日半)かかかりました。距離は3955キロです。車内にその列車の時刻表があって、26の停車駅名と停車時間が書かれています。合計停車時間は4時間20分でした。 ちなみに、クラスノヤルスクからモスクワへ行くには11本の急行列車と2本の普通列車がありますが、毎日あるわけではなく、たとえば、『ヴォストーク』号というモスクワを出発して北京へ向かう列車がクラスノヤルスクに到着するのは水曜日だけです。また、ハバロフスク発の『アムール』号や、イルクーツク発の『バイカル』号は奇数日だけで、ウラジオストック発の『ロシア』号や、クラスノヤルスク発の『エニセイ』号は偶数日だけです。(2006年の時刻表による) 列車によっては、ウラル山脈を越えてから、カザンを通る3955キロのコースのもの、キーロフからウラジーミルを通る4065キロのコース、さらに、キーロフからヤロスラブリを回る4106キロのコースがあります。所要時間は北京からモスクワへ行く『ヴォストーク』号に乗れば、クラスノヤルスクからモスクワまで4065キロのコースを走るのですが、停車駅が少ないので、58時間33分と最も早く行けます。 飛行機ではクラスノヤルスクとモスクワは約4時間で着いてしまいますが、面白くありません。それに値段も高いことです。寝台車だと、4人用コンパートメントで、1人1500円くらいです。これでも高いので、寝棚が縦横とぎっしり並んでいるオープン寝台車のプラツカルタで行きました。日本のB寝台のように縦に2段(カーテンなし、もちろん寝巻きもなし)並んでいるばかりでなく、広軌で車両の幅が広いので横にも窓と平行に2段並んでいます。これは3等寝台車と言えばいいでしょうか。蚕棚のようだといつも思います。 ロシアの冬は、昼間の時間が短いので、外の景色を見るといっても3時を過ぎるともう薄暗くて見えません。それに、シベリア平原、低いウラル山脈、ヨーロッパ・ロシア平原と、雪原、雪の森、雪原、雪の森とどこまでいっても同じ景色です。冬の太陽は昼間も低く、直視しても眩しくはありません。列車の二重窓のガラスが2枚とも汚れていて、外の景色も薄汚れて見えます。 大きな駅では、20分以上も停車するので、外へ出て、新鮮な空気を吸ったり、売店をのぞいたりして、長い旅の気分転換をします。 食べ物は、食堂車を当てにせず、2日半分の食料を持って乗りました。モスクワに近付くにつれて減っていき、到着した頃にちょうどなくなればいいのですが、足りなくなることもあって、その時は停車した時に、買い出しに走ります。でも、外は寒いですし、時刻表通りには運行しないこともあって、何分停車するか分からないという時には、列車の出入り口から顔を出して、 「カップラーメンが欲しいっ」と叫ぶと、それを売っているおばさんがつつっと寄って来て、「18ルーブル」といいます。 「うっ、高い」。「15ルーブルなら買うかね」。「うん、4個欲しい」。「3個しかないよ」。「3個でいい」。 「魚の干し物もいらんかね」と別のおばさんが寄って来て言います。 「いらないよ。チョコレートなら欲しいけど」。 「チョコレートなら、おれのを買ってくれ」と列車の車掌さんが口を出します。これは、車掌さんの内職のようです。私としては誰から買ってもかまわないので、近くの車掌さんから買いました。 車内の明かりは弱いので、外が暗くなると読書もできません。7歳くらいの男の子とおしゃべりしていました。その子はポケモン・ファンでした。ポケモンって日本が出発点でしたか。その男の子がいろいろな登場人物とその特徴を教えてくれました。でも、子供とロシア語で喋るのは疲れます。その他の時間は、ひとえに寝ていました。 モスクワのヤロスラブリ駅に9日の早朝着いて、ツァーの集合場所のコスモス・ホテルの駐車場まで地下鉄で行きました。参加者がみんな集まって、旅行会社の人が、確認をして10時出発です。13日の夕方に同じところに戻って来て解散です。感じのいい添乗員のついたとても快適なグループ旅行でした。
同行者は搭乗員の他、私とパートナーのセルゲイ、南のロストフ・ナ・ダヌ市から来た老夫婦とその孫、ノボシビルスク市から来た親子3人組、モスクワの夫婦、ムルマンスク市から来た1人旅の男性、それにフランス人夫婦とその通訳と、通訳のボーイフレンドの15人と少人数で、フランス人以外のみんなとお知り合いになりました。 各都市に着くと現地ガイドがつき、レストランでの3食付きで、ホテルも、旅行代金に応じて、用意してあります。個人旅行ですと、知らない町でどこを見物すればいいのか分かりませんし、ガイドもすぐに見つかりませんし、ホテルを見つけるのも、もっと大変ですが、その点、団体旅行はみんなにくっついていればいいだけですから、知らない場所の観光旅行はこれに限ります。自分の趣味でないところを回らせられるときは、自分の趣味を場所に合わせればいいのです。 歴史の古い都市巡りなので、寺院、修道院が見物の中心でした。修道院や、寺院は頑丈な城壁で囲まれていて、敵が攻めて来た時は、そこで籠城するそうです。城壁には、銃眼もあり、掘りもあります。 『モスクワ・ゴールデン・リング』はロシア正教巡礼の旅のようでした。それで、参加者は、私を除いて、信心深い人たちでした。最近のロシアのニューリッチ達は、歴史都市巡りのような地味な旅行はせず、海外のリゾート場へ行くようです。 ツァーの料金は宿泊食事観光代すべてで、一人3万2千円くらいです。クラスノヤルスクからの往復旅費も入れると4万2千円くらいです。これは、4泊5日にしては安いようですが、普通の人の給料が2万円以下(当時)のロシアでは、高額です。(ゴールデンリングに当たる都市旅行の詳細については別稿) 13日の夕方に、モスクワの出発点に戻ってきました。モスクワはもう10回以上訪れていますが、次の日、せっかくですから、いつものクレムリンを見て、赤の広場で写真も撮りました。また、一応、大使館広報部に挨拶にいってきました。クラスノヤルスクで住んでいるのは日本人で私一人ですから、クラスノヤルスク大学のことをちょっと報告したり、新しい情報を教えてもらったりして来ました。何かあったら、緊急連絡してくれるでしょう。
帰りの列車は普通列車(モスクワ発チタ市行き)のコンパートメントで、運賃は7000円です。68時間40分かかり、停車駅は29、合計停車時間は6時間で、急行との違いは、時間も8時間半よけいかかりますし、サービスもよくないようです。と言っても急行列車のほうもそれほどよくないのですが、少しは清潔のようです。これでも、5、6年前に比べるとよくなったものです。 ロシアの列車のトイレは、停車中と大都市通過中は鍵がかかって使用できません。これは、廃水が線路上にそのまま流れるからです。ペダルを踏むと、便器の底がぱかっと開き、レールやまくら木が走っていくのが見えます。途中、ウラル山脈のあたりで気温が下がり零下30度になった時は、外気温と直結のトイレも氷ってしまい、特に、洗面台の配水管が氷って、車掌さんがせっせとお湯をかけてとかしていました。ロシアの列車での旅行はトイレさえ解決されれば、少しは快適になります。 (2022年3月2日追記)2002年当時のゴールデンリンク旅行の写真を追加した。デジカメで撮ったもので、写真の中央には私がいる。20年も前の写真なので、もう気にならないか。 |
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